19 / 20
第5章-3:それでも、祈らない
しおりを挟む
第5章-3:それでも、祈らない
「ねえ、知ってる? あの雪月風花様って、まだ生きてるらしいよ」
市場の角にできた仮設の茶屋で、そんな噂が囁かれはじめたのは、王都の滅亡から数ヶ月が過ぎたころだった。
「ほら、王都を去った後、“神の声を拒んだ聖女”って言われてた人。
国が滅びるのを黙って見てたって非難されたのに、今じゃ――」
「“真の聖女”って呼ばれてるらしいな。“祈られないことを選んだ者こそが、神に最も近い存在”だって……」
「それが“沈黙の聖女伝説”。いま、各地の神官が講和の中で引用してるよ。“救わないことも、救いの形”だってさ」
風花がその噂を耳にしたのは、診療所の裏で薬草を干していた午後のことだった。
風に乗って、遠くの通りから届いたその言葉は、まるで冗談のようで、しかしどこか現実味を帯びていた。
「……また、始まったのね」
彼女はぽつりとつぶやき、干しかけた葉を手に取ると、そのまま握りつぶした。
* * *
夕暮れ、風花は町の会合所に呼ばれた。
集まっていたのは、隣町からやって来た旅の僧侶、役人、文筆家、そして町の有志たち。
「風花様。こうしてご本人にお目にかかれるとは思っておりませんでした……」
「やめて。『様』はいらない。“風花”でいい」
「……はい。それでは、風花さん。私たちは、ぜひあなたに“新たな時代の象徴”になっていただきたいと考えております」
「象徴?」
「はい。旧王都が滅び、国が分裂するなかで、新たな信仰と道徳が必要とされているのです。
各地の寺院では、あなたの在り方に注目が集まっています。“祈られることを拒否し、それでも人を癒した”その生き様は、まさしく――」
「――聖女じゃないわ」
風花の言葉は、場の空気を一瞬で凍らせた。
「……え?」
「私は、神の使いでも、象徴でもない。“ただの人間”よ。どんなに祈られても、動かない。祈られたくもない。
私を使って“新しい神”を作ろうとするなら――全部、拒否する」
僧侶が戸惑いながら口を開く。
「で、ですが……人々はあなたを望んでいます。あなたが“沈黙した”ことで、かえって人々の心に深く残った。
“祈る対象ではなく、共に生きる存在”として、あなたは理想なのです」
「私は、“理想”になりたいなんて、一度も言ったことない」
「ですが、影響力が――」
「“影響力”なんて、欲しかったら王都に残ってたわよ」
風花は、机の上に置かれていた“風花伝”と銘打たれた紙束を指差す。
「これは何? 私の発言でもない、私の筆跡でもない言葉が並んでる。“風花様が王に放った痛烈な一言”“拒絶こそ真理”……全部、私が言ったことと違う。
それを勝手に“伝説”にしないで」
場の空気が重くなる。
誰もが言葉を失った。
風花は静かに続ける。
「私は、誰にも祈られたくない。
そして、誰かにとっての“神様”になるくらいなら、ただ目の前の人のために手を動かす方がいい」
「……でも、もし、あなたに憧れてしまった人がいたら?」
「それでも。“祈らないで”って言う」
レオンが、扉の前で黙って立っていた。
風花の言葉が、誰かを刺してしまうことを、彼は理解していた。
それでも、彼女が“そう在ること”を選んだなら――誰よりも、それを守るつもりだった。
* * *
その夜。風花は焚き火の前で一人座っていた。
レオンが湯を沸かしながら問う。
「……悔いはないか?」
「あるよ、いっぱい」
「でも、それでも“祈られない”道を選んだ」
「うん」
「理由は?」
風花はしばらく火を見つめていたが、やがてぽつりと答えた。
「……怖いから、かな。“祈り”って、便利なの。誰かを理想に仕立てて、崇めて、そして裏切られたって思った瞬間に、簡単に捨てられる。
私、それを何度も味わった。人の祈りがどれだけ身勝手で、無責任か――もう充分知ってる」
「……ああ」
「だからもう、誰にも祈ってほしくない。
私は“誰かにとっての聖女”じゃなくて、“私自身のために”生きていたいの。
誰かの救世主じゃなくて、ただの風花として、笑っていたい」
レオンは湯を注ぎながら、静かにうなずいた。
「なら、その道を守ろう。何があっても、俺が」
「うん。ありがとう、レオン」
焚き火がパチパチと音を立て、静かな夜に馴染んでいく。
その音は、かつて王都を満たした祈りの鐘とはまったく違っていた。
だが、風花にとっては――この火の音こそが、いちばん優しい“祈り”のように思えた。
「ねえ、知ってる? あの雪月風花様って、まだ生きてるらしいよ」
市場の角にできた仮設の茶屋で、そんな噂が囁かれはじめたのは、王都の滅亡から数ヶ月が過ぎたころだった。
「ほら、王都を去った後、“神の声を拒んだ聖女”って言われてた人。
国が滅びるのを黙って見てたって非難されたのに、今じゃ――」
「“真の聖女”って呼ばれてるらしいな。“祈られないことを選んだ者こそが、神に最も近い存在”だって……」
「それが“沈黙の聖女伝説”。いま、各地の神官が講和の中で引用してるよ。“救わないことも、救いの形”だってさ」
風花がその噂を耳にしたのは、診療所の裏で薬草を干していた午後のことだった。
風に乗って、遠くの通りから届いたその言葉は、まるで冗談のようで、しかしどこか現実味を帯びていた。
「……また、始まったのね」
彼女はぽつりとつぶやき、干しかけた葉を手に取ると、そのまま握りつぶした。
* * *
夕暮れ、風花は町の会合所に呼ばれた。
集まっていたのは、隣町からやって来た旅の僧侶、役人、文筆家、そして町の有志たち。
「風花様。こうしてご本人にお目にかかれるとは思っておりませんでした……」
「やめて。『様』はいらない。“風花”でいい」
「……はい。それでは、風花さん。私たちは、ぜひあなたに“新たな時代の象徴”になっていただきたいと考えております」
「象徴?」
「はい。旧王都が滅び、国が分裂するなかで、新たな信仰と道徳が必要とされているのです。
各地の寺院では、あなたの在り方に注目が集まっています。“祈られることを拒否し、それでも人を癒した”その生き様は、まさしく――」
「――聖女じゃないわ」
風花の言葉は、場の空気を一瞬で凍らせた。
「……え?」
「私は、神の使いでも、象徴でもない。“ただの人間”よ。どんなに祈られても、動かない。祈られたくもない。
私を使って“新しい神”を作ろうとするなら――全部、拒否する」
僧侶が戸惑いながら口を開く。
「で、ですが……人々はあなたを望んでいます。あなたが“沈黙した”ことで、かえって人々の心に深く残った。
“祈る対象ではなく、共に生きる存在”として、あなたは理想なのです」
「私は、“理想”になりたいなんて、一度も言ったことない」
「ですが、影響力が――」
「“影響力”なんて、欲しかったら王都に残ってたわよ」
風花は、机の上に置かれていた“風花伝”と銘打たれた紙束を指差す。
「これは何? 私の発言でもない、私の筆跡でもない言葉が並んでる。“風花様が王に放った痛烈な一言”“拒絶こそ真理”……全部、私が言ったことと違う。
それを勝手に“伝説”にしないで」
場の空気が重くなる。
誰もが言葉を失った。
風花は静かに続ける。
「私は、誰にも祈られたくない。
そして、誰かにとっての“神様”になるくらいなら、ただ目の前の人のために手を動かす方がいい」
「……でも、もし、あなたに憧れてしまった人がいたら?」
「それでも。“祈らないで”って言う」
レオンが、扉の前で黙って立っていた。
風花の言葉が、誰かを刺してしまうことを、彼は理解していた。
それでも、彼女が“そう在ること”を選んだなら――誰よりも、それを守るつもりだった。
* * *
その夜。風花は焚き火の前で一人座っていた。
レオンが湯を沸かしながら問う。
「……悔いはないか?」
「あるよ、いっぱい」
「でも、それでも“祈られない”道を選んだ」
「うん」
「理由は?」
風花はしばらく火を見つめていたが、やがてぽつりと答えた。
「……怖いから、かな。“祈り”って、便利なの。誰かを理想に仕立てて、崇めて、そして裏切られたって思った瞬間に、簡単に捨てられる。
私、それを何度も味わった。人の祈りがどれだけ身勝手で、無責任か――もう充分知ってる」
「……ああ」
「だからもう、誰にも祈ってほしくない。
私は“誰かにとっての聖女”じゃなくて、“私自身のために”生きていたいの。
誰かの救世主じゃなくて、ただの風花として、笑っていたい」
レオンは湯を注ぎながら、静かにうなずいた。
「なら、その道を守ろう。何があっても、俺が」
「うん。ありがとう、レオン」
焚き火がパチパチと音を立て、静かな夜に馴染んでいく。
その音は、かつて王都を満たした祈りの鐘とはまったく違っていた。
だが、風花にとっては――この火の音こそが、いちばん優しい“祈り”のように思えた。
0
あなたにおすすめの小説
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
やけに居心地がいいと思ったら、私のための愛の巣でした。~いつの間にか約束された精霊婚~
小桜
恋愛
ルディエル・アレンフォードは森に住む麗しの精霊守。
そんな彼が、いよいよ伴侶を迎えようと準備を始めているらしい。
幼馴染という関係に甘んじていたネネリア・ソルシェは、密かにショックを受けていた。
そろそろ彼との関係も終わらせなければならないけれど、ルディエルも精霊達もネネリアだけに優しくて――?
「大丈夫。ずっと居たいと思えるような場所にしてみせるから」
鈍感なネネリアと、一途で奥手なルディエル。
精霊に導かれた恋は、本人だけが気づかない。
裏庭係の私、いつの間にか偉い人に気に入られていたようです
ルーシャオ
恋愛
宮廷メイドのエイダは、先輩メイドに頼まれ王城裏庭を掃除した——のだが、それが悪かった。「一体全体何をしているのだ! お前はクビだ!」「すみません、すみません!」なんと貴重な薬草や香木があることを知らず、草むしりや剪定をしてしまったのだ。そこへ、薬師のデ・ヴァレスの取りなしのおかげで何とか「裏庭の管理人」として首が繋がった。そこからエイダは学び始め、薬草の知識を増やしていく。その真面目さを買われて、薬師のデ・ヴァレスを通じてリュドミラ王太后に面会することに。そして、お見合いを勧められるのである。一方で、エイダを嵌めた先輩メイドたちは——?
引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~
浅海 景
恋愛
オッドアイで生まれた透花は家族から厄介者扱いをされて引きこもりの生活を送っていた。ある日、双子の姉に突き飛ばされて頭を強打するが、目を覚ましたのは見覚えのない場所だった。ハウゼンヒルト神聖国の王子であるフィルから、世界を救う御子(みこ)だと告げられた透花は自分には無理だと否定するが、御子であるかどうかを判断するために教育を受けることに。
御子至上主義なフィルは透花を大切にしてくれるが、自分が御子だと信じていない透花はフィルの優しさは一時的なものだと自分に言い聞かせる。
「きっといつかはこの人もまた自分に嫌悪し離れていくのだから」
自己肯定感ゼロの少女が過保護な王子や人との関わりによって、徐々に自分を取り戻す物語。
オネエ伯爵、幼女を拾う。~実はこの子、逃げてきた聖女らしい~
雪丸
ファンタジー
アタシ、アドルディ・レッドフォード伯爵。
突然だけど今の状況を説明するわ。幼女を拾ったの。
多分年齢は6~8歳くらいの子。屋敷の前にボロ雑巾が落ちてると思ったらびっくり!人だったの。
死んでる?と思ってその辺りに落ちている木で突いたら、息をしていたから屋敷に運んで手当てをしたのよ。
「道端で倒れていた私を助け、手当を施したその所業。賞賛に値します。(盛大なキャラ作り中)」
んま~~~尊大だし図々しいし可愛くないわ~~~!!
でも聖女様だから変な扱いもできないわ~~~!!
これからアタシ、どうなっちゃうのかしら…。
な、ラブコメ&ファンタジーです。恋の進展はスローペースです。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。(敬称略)
家族に支度金目当てで売られた令嬢ですが、成り上がり伯爵に溺愛されました
日下奈緒
恋愛
そばかす令嬢クラリスは、家族に支度金目当てで成り上がり伯爵セドリックに嫁がされる。
だが彼に溺愛され家は再興。
見下していた美貌の妹リリアナは婚約破棄される。
勇者の婿取り~強面女性騎士と報奨の王子~
小西あまね
恋愛
国王が布告を出した。強大な魔物を倒した勇者に王女を与える--
クレシュは顔に大きな傷がある頑健な強面騎士。魔物討伐は職務を果たしただけだったのに、勇者として思わぬ報奨を得てしまい困惑する。
「……うちに美人がいるんです」
「知ってる。羨ましいな!」
上司にもからかわれる始末。
--クレシュが女性であったために、王女の代わりに王子ヴェルディーンを婿に与えられたのだ。
彼も彼なりに事情があり結婚に前向きで…。
勇猛果敢で生真面目な27歳強面女性騎士と、穏やかだが芯の強い美貌の24歳王子。
政争やら悪者退治やら意外と上手くいっている凸凹夫婦やらの話。
嫉妬や当て馬展開はありません。
戦闘シーンがあるので一応残酷な描写ありタグを付けますが、表現は極力残酷さを抑えた全年齢です。
全18話、予約投稿済みです。
当作品は小説家になろうにも投稿しています。
枯れ専令嬢、喜び勇んで老紳士に後妻として嫁いだら、待っていたのは二十歳の青年でした。なんでだ~⁉
狭山ひびき
恋愛
ある日、イアナ・アントネッラは父親に言われた。
「来月、フェルナンド・ステファーニ公爵に嫁いでもらう」と。
フェルナンド・ステファーニ公爵は御年六十二歳。息子が一人いるが三十年ほど前に妻を亡くしてからは独り身だ。
対してイアナは二十歳。さすがに年齢が離れすぎているが、父はもっともらしい顔で続けた。
「ジョルジアナが慰謝料を請求された。ステファーニ公爵に嫁げば支度金としてまとまった金が入る。これは当主である私の決定だ」
聞けば、妹のジョルジアナは既婚者と不倫して相手の妻から巨額の慰謝料を請求されたらしい。
「お前のような年頃の娘らしくない人間にはちょうどいい縁談だろう。向こうはどうやらステファーニ公爵の介護要員が欲しいようだからな。お前にはぴったりだ」
そう言って父はステファーニ公爵の肖像画を差し出した。この縁談は公爵自身ではなく息子が持ちかけてきたものらしい。
イオナはその肖像画を見た瞬間、ぴしゃーんと雷に打たれたような衝撃を受けた。
ロマンスグレーの老紳士。なんて素敵なのかしら‼
そう、前世で六十歳まで生きたイオナにとって、若い男は眼中にない。イオナは枯れ専なのだ!
イオナは傷つくと思っていた両親たちの思惑とは裏腹に、喜び勇んでステファーニ公爵家に向かった。
しかし……。
「え? ロマンスグレーの紳士はどこ⁉」
そこでイオナを待ち受けていたのは、どこからどう見ても二十歳くらいにしか見えない年若い紳士だったのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる