異世界に突如召喚された、ごく普通の日本人女子――雪月風花(せつげつふうか)。 黒髪というだけで「聖女様!」と崇められ、魔物も災厄もすべて彼女

ふわふわ

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第5章-3:それでも、祈らない

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第5章-3:それでも、祈らない

 

「ねえ、知ってる? あの雪月風花様って、まだ生きてるらしいよ」

 

市場の角にできた仮設の茶屋で、そんな噂が囁かれはじめたのは、王都の滅亡から数ヶ月が過ぎたころだった。

 

「ほら、王都を去った後、“神の声を拒んだ聖女”って言われてた人。
国が滅びるのを黙って見てたって非難されたのに、今じゃ――」

 

「“真の聖女”って呼ばれてるらしいな。“祈られないことを選んだ者こそが、神に最も近い存在”だって……」

 

「それが“沈黙の聖女伝説”。いま、各地の神官が講和の中で引用してるよ。“救わないことも、救いの形”だってさ」

 

風花がその噂を耳にしたのは、診療所の裏で薬草を干していた午後のことだった。
風に乗って、遠くの通りから届いたその言葉は、まるで冗談のようで、しかしどこか現実味を帯びていた。

 

「……また、始まったのね」

 

彼女はぽつりとつぶやき、干しかけた葉を手に取ると、そのまま握りつぶした。

 

 

* * *

 

夕暮れ、風花は町の会合所に呼ばれた。

 

集まっていたのは、隣町からやって来た旅の僧侶、役人、文筆家、そして町の有志たち。

 

「風花様。こうしてご本人にお目にかかれるとは思っておりませんでした……」

 

「やめて。『様』はいらない。“風花”でいい」

 

「……はい。それでは、風花さん。私たちは、ぜひあなたに“新たな時代の象徴”になっていただきたいと考えております」

 

「象徴?」

 

「はい。旧王都が滅び、国が分裂するなかで、新たな信仰と道徳が必要とされているのです。
各地の寺院では、あなたの在り方に注目が集まっています。“祈られることを拒否し、それでも人を癒した”その生き様は、まさしく――」

 

「――聖女じゃないわ」

 

風花の言葉は、場の空気を一瞬で凍らせた。

 

「……え?」

 

「私は、神の使いでも、象徴でもない。“ただの人間”よ。どんなに祈られても、動かない。祈られたくもない。
私を使って“新しい神”を作ろうとするなら――全部、拒否する」

 

僧侶が戸惑いながら口を開く。

 

「で、ですが……人々はあなたを望んでいます。あなたが“沈黙した”ことで、かえって人々の心に深く残った。
“祈る対象ではなく、共に生きる存在”として、あなたは理想なのです」

 

「私は、“理想”になりたいなんて、一度も言ったことない」

 

「ですが、影響力が――」

 

「“影響力”なんて、欲しかったら王都に残ってたわよ」

 

風花は、机の上に置かれていた“風花伝”と銘打たれた紙束を指差す。

 

「これは何? 私の発言でもない、私の筆跡でもない言葉が並んでる。“風花様が王に放った痛烈な一言”“拒絶こそ真理”……全部、私が言ったことと違う。
それを勝手に“伝説”にしないで」

 

場の空気が重くなる。
誰もが言葉を失った。

 

風花は静かに続ける。

 

「私は、誰にも祈られたくない。
そして、誰かにとっての“神様”になるくらいなら、ただ目の前の人のために手を動かす方がいい」

 

「……でも、もし、あなたに憧れてしまった人がいたら?」

 

「それでも。“祈らないで”って言う」

 

レオンが、扉の前で黙って立っていた。

 

風花の言葉が、誰かを刺してしまうことを、彼は理解していた。
それでも、彼女が“そう在ること”を選んだなら――誰よりも、それを守るつもりだった。

 

 

* * *

 

その夜。風花は焚き火の前で一人座っていた。

 

レオンが湯を沸かしながら問う。

 

「……悔いはないか?」

 

「あるよ、いっぱい」

 

「でも、それでも“祈られない”道を選んだ」

 

「うん」

 

「理由は?」

 

風花はしばらく火を見つめていたが、やがてぽつりと答えた。

 

「……怖いから、かな。“祈り”って、便利なの。誰かを理想に仕立てて、崇めて、そして裏切られたって思った瞬間に、簡単に捨てられる。
私、それを何度も味わった。人の祈りがどれだけ身勝手で、無責任か――もう充分知ってる」

 

「……ああ」

 

「だからもう、誰にも祈ってほしくない。
私は“誰かにとっての聖女”じゃなくて、“私自身のために”生きていたいの。
誰かの救世主じゃなくて、ただの風花として、笑っていたい」

 

レオンは湯を注ぎながら、静かにうなずいた。

 

「なら、その道を守ろう。何があっても、俺が」

 

「うん。ありがとう、レオン」

 

焚き火がパチパチと音を立て、静かな夜に馴染んでいく。

 

その音は、かつて王都を満たした祈りの鐘とはまったく違っていた。
だが、風花にとっては――この火の音こそが、いちばん優しい“祈り”のように思えた。

 

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