6 / 30
第6話 事故は事故として処理される
しおりを挟む
第6話 事故は事故として処理される
クレア・グレコが療養室を去ったあと、部屋にはしばらく静寂が残った。
扉の向こうで足音が遠ざかるのを聞きながら、ステラは深く息を吐く。胸の奥に溜まっていた空気を、ゆっくりと外へ押し出すように。
「……ふぅ」
天井を見上げると、白い石造りの装飾が視界に入った。清潔で、無機質で、感情を許さない場所。教会の療養室は、いつだってこうだ。誰かが傷つき、誰かが黙らされ、そして「適切に処理された」結果だけが残る。
――ほんま、ええ趣味しとるわ。
頭の奥で、あの声がぼやいた。
ステラは、くすりと小さく笑う。声に出すと面倒になるから、笑いは胸の内だけに留めた。
やがて、扉が控えめに叩かれる。
「ステラ様。お加減はいかがでしょうか」
入ってきたのは、年配の神官だった。白と金の法衣を身にまとい、穏やかな表情を貼り付けている。いかにも「話を丸く収める役目」を与えられた人間だ。
「……痛みは?」
「まあ、階段から落ちたら、こんなもんやろ」
自然に出た言葉に、神官は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに柔らかな笑みに戻った。
「そうですか。命に別状がなく、何よりです」
その言葉は事実だ。だが同時に、「それ以上を望むな」という釘でもある。
神官は椅子に腰を下ろし、ゆっくりと話し始めた。
「今回の件ですが……王太子殿下、ならびに教会の見解としては、“不慮の事故”という結論になりました」
きっぱりとした口調。
「階段は古く、夜間は足元が見えにくい。精神的にお辛い状況だったことも考慮され……」
「要するに」
ステラは、遮るように言った。
「調べへん、ってことやな」
神官の口が、わずかに止まる。
「……ステラ様」
「ええよ、ええよ」
ステラは軽く手を振った。
「分かっとる。今さらや」
“事故”という結論は、誰かのために用意されたものだ。王太子の判断を疑わないために。新聖女候補の立場を守るために。教会と王権の関係を揺るがせないために。
そのために、ステラ一人の疑問や違和感は、最初から切り捨てられる。
神官は少し安堵したように頷いた。
「ご理解いただけて、助かります。今はご静養を。修道院への移送は、数日後を予定しております」
「修道院、な」
その響きを口の中で転がす。
「……辺境の?」
「はい。人里から離れた、静かな場所です。世間の目も届きません」
――つまり、声も届かへん。
ステラは内心でそう付け加えたが、表には出さなかった。
「分かりました」
あっさりと頷くと、神官は明らかに拍子抜けした様子を見せた。泣くでも抗うでもなく、素直に受け入れる聖女は、扱いやすい。
「では……何か必要なものがあれば、遠慮なく」
「ひとつだけええ?」
神官が顔を上げる。
「なんでしょう」
「甘いもん」
一瞬、沈黙。
「……甘い、もの、ですか?」
「せや。砂糖入ったやつ」
ステラは真顔だった。
「頭使うと、糖分足らんようになるんや」
神官は何か言いかけて、結局黙って頷いた。理屈が通じるのか通じないのか分からない相手に、深く突っ込むのは得策ではない。
「……用意いたしましょう」
そう言って、神官は退出していった。
再び、静寂。
ステラはベッドに深く腰を下ろし、指先でシーツをつまんだ。上等な布だ。聖女として扱われていた名残。
「事故、か」
ぽつりと呟く。
頭の奥の声が、鼻で笑った。
――事故言うたら、全部片付く思とるんや。
「ほんまそれ」
ステラは小さく肩をすくめる。
怒りは、不思議と湧いてこなかった。代わりにあるのは、冷静な計算だ。
――今ここで騒いでも、意味ない。
――力も、立場も、全部向こうにある。
なら、どうするか。
答えは簡単だった。
――今は、黙っとく。
黙ることと、何も考えないことは違う。耐えることと、諦めることも違う。ステラは、これまで「黙って耐える」役を演じてきた。だが今は、その黙り方を変えるつもりだった。
扉が再び開き、今度は若い修道女が盆を持って入ってきた。
「ステラ様。こちら……」
盆の上には、温かい薬湯と、小さな皿。その上に載っているのは、砂糖菓子だった。
「おお」
ステラの目が、わずかに輝く。
「気ぃ利くやん」
修道女はきょとんとしたが、何も言わなかった。
ステラは砂糖菓子を一つ手に取り、口に運ぶ。甘さが、ゆっくりと広がる。脳が、現実を噛み締めるための燃料を受け取ったような感覚。
「……よし」
小さく頷く。
この場所では、誰も味方にならない。
でも、敵も油断している。
クレアは、“事故”が成立したと思っている。
王太子アッシュも、“面倒が片付いた”と思っている。
その油断は、必ず綻びになる。
ステラは、もう一つ砂糖菓子を口に放り込んだ。
「焦らん、焦らん」
声に出さず、心の中で言う。
――修道院行ってからや。
――動くんは。
窓の外では、鐘が鳴っていた。王城の日常が、何事もなかったかのように進んでいく音。
その音を聞きながら、ステラ・ダンクルは目を閉じた。
“事故”は、こうして“事故”として処理された。
だがそれは、終わりではない。
――ただの、始まりや。
甘さが残る舌の感覚を確かめながら、ステラは静かに笑った。
クレア・グレコが療養室を去ったあと、部屋にはしばらく静寂が残った。
扉の向こうで足音が遠ざかるのを聞きながら、ステラは深く息を吐く。胸の奥に溜まっていた空気を、ゆっくりと外へ押し出すように。
「……ふぅ」
天井を見上げると、白い石造りの装飾が視界に入った。清潔で、無機質で、感情を許さない場所。教会の療養室は、いつだってこうだ。誰かが傷つき、誰かが黙らされ、そして「適切に処理された」結果だけが残る。
――ほんま、ええ趣味しとるわ。
頭の奥で、あの声がぼやいた。
ステラは、くすりと小さく笑う。声に出すと面倒になるから、笑いは胸の内だけに留めた。
やがて、扉が控えめに叩かれる。
「ステラ様。お加減はいかがでしょうか」
入ってきたのは、年配の神官だった。白と金の法衣を身にまとい、穏やかな表情を貼り付けている。いかにも「話を丸く収める役目」を与えられた人間だ。
「……痛みは?」
「まあ、階段から落ちたら、こんなもんやろ」
自然に出た言葉に、神官は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに柔らかな笑みに戻った。
「そうですか。命に別状がなく、何よりです」
その言葉は事実だ。だが同時に、「それ以上を望むな」という釘でもある。
神官は椅子に腰を下ろし、ゆっくりと話し始めた。
「今回の件ですが……王太子殿下、ならびに教会の見解としては、“不慮の事故”という結論になりました」
きっぱりとした口調。
「階段は古く、夜間は足元が見えにくい。精神的にお辛い状況だったことも考慮され……」
「要するに」
ステラは、遮るように言った。
「調べへん、ってことやな」
神官の口が、わずかに止まる。
「……ステラ様」
「ええよ、ええよ」
ステラは軽く手を振った。
「分かっとる。今さらや」
“事故”という結論は、誰かのために用意されたものだ。王太子の判断を疑わないために。新聖女候補の立場を守るために。教会と王権の関係を揺るがせないために。
そのために、ステラ一人の疑問や違和感は、最初から切り捨てられる。
神官は少し安堵したように頷いた。
「ご理解いただけて、助かります。今はご静養を。修道院への移送は、数日後を予定しております」
「修道院、な」
その響きを口の中で転がす。
「……辺境の?」
「はい。人里から離れた、静かな場所です。世間の目も届きません」
――つまり、声も届かへん。
ステラは内心でそう付け加えたが、表には出さなかった。
「分かりました」
あっさりと頷くと、神官は明らかに拍子抜けした様子を見せた。泣くでも抗うでもなく、素直に受け入れる聖女は、扱いやすい。
「では……何か必要なものがあれば、遠慮なく」
「ひとつだけええ?」
神官が顔を上げる。
「なんでしょう」
「甘いもん」
一瞬、沈黙。
「……甘い、もの、ですか?」
「せや。砂糖入ったやつ」
ステラは真顔だった。
「頭使うと、糖分足らんようになるんや」
神官は何か言いかけて、結局黙って頷いた。理屈が通じるのか通じないのか分からない相手に、深く突っ込むのは得策ではない。
「……用意いたしましょう」
そう言って、神官は退出していった。
再び、静寂。
ステラはベッドに深く腰を下ろし、指先でシーツをつまんだ。上等な布だ。聖女として扱われていた名残。
「事故、か」
ぽつりと呟く。
頭の奥の声が、鼻で笑った。
――事故言うたら、全部片付く思とるんや。
「ほんまそれ」
ステラは小さく肩をすくめる。
怒りは、不思議と湧いてこなかった。代わりにあるのは、冷静な計算だ。
――今ここで騒いでも、意味ない。
――力も、立場も、全部向こうにある。
なら、どうするか。
答えは簡単だった。
――今は、黙っとく。
黙ることと、何も考えないことは違う。耐えることと、諦めることも違う。ステラは、これまで「黙って耐える」役を演じてきた。だが今は、その黙り方を変えるつもりだった。
扉が再び開き、今度は若い修道女が盆を持って入ってきた。
「ステラ様。こちら……」
盆の上には、温かい薬湯と、小さな皿。その上に載っているのは、砂糖菓子だった。
「おお」
ステラの目が、わずかに輝く。
「気ぃ利くやん」
修道女はきょとんとしたが、何も言わなかった。
ステラは砂糖菓子を一つ手に取り、口に運ぶ。甘さが、ゆっくりと広がる。脳が、現実を噛み締めるための燃料を受け取ったような感覚。
「……よし」
小さく頷く。
この場所では、誰も味方にならない。
でも、敵も油断している。
クレアは、“事故”が成立したと思っている。
王太子アッシュも、“面倒が片付いた”と思っている。
その油断は、必ず綻びになる。
ステラは、もう一つ砂糖菓子を口に放り込んだ。
「焦らん、焦らん」
声に出さず、心の中で言う。
――修道院行ってからや。
――動くんは。
窓の外では、鐘が鳴っていた。王城の日常が、何事もなかったかのように進んでいく音。
その音を聞きながら、ステラ・ダンクルは目を閉じた。
“事故”は、こうして“事故”として処理された。
だがそれは、終わりではない。
――ただの、始まりや。
甘さが残る舌の感覚を確かめながら、ステラは静かに笑った。
22
あなたにおすすめの小説
半世紀の契約
篠原皐月
恋愛
それぞれ個性的な妹達に振り回されつつ、五人姉妹の長女としての役割を自分なりに理解し、母親に代わって藤宮家を纏めている美子(よしこ)。一見、他人からは凡庸に見られがちな彼女は、自分の人生においての生きがいを、未だにはっきりと見い出せないまま日々を過ごしていたが、とある見合いの席で鼻持ちならない相手を袖にした結果、その男が彼女の家族とその後の人生に、大きく関わってくる事になる。
一見常識人でも、とてつもなく非凡な美子と、傲岸不遜で得体の知れない秀明の、二人の出会いから始まる物語です。
『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ
夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」
華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!
公爵家の侍女見習い、王宮の帳簿を黙らせます―
鍛高譚
恋愛
没落寸前の子爵家に生まれたキャル・キュレイションは、公爵家で侍女見習いとして働くことになる。
高位貴族から見れば、子爵令嬢など平民と大差ない。そんな弱い立場の彼女には、ただひとつ、とんでもない才能があった。
それは――暗算。
市場の会計をごまかす商人を見抜き、屋敷の帳簿の乱れを整え、誰も気づかなかった数字の歪みを拾い上げる。
その力はやがて公爵家の中だけに留まらず、領地経営、王宮財務局、そして国そのものを動かす大きな数字へと繋がっていく。
「魔法? ただの暗算です」
けれど、数字が見えるということは、見なくていいものまで見えてしまうということでもあった。
貴族社会の冷たい現実、王宮に渦巻く思惑、そしてなぜか彼女を放っておかない王太子。
立場は弱い。権力もない。
それでもキャルは、数字を武器に、自分の居場所を切り開いていく。
これは、公爵家の侍女見習いから始まった子爵令嬢が、暗算ひとつで王宮の帳簿を読み解き、成り上がっていくお仕事成長ファンタジーです。
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~
スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」
王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。
伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。
婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。
それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。
――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。
「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」
リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。
彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。
絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。
彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。
ギフトに振り回されてきたので、今世はひそかに生きていきます
mio
恋愛
ギフト、と呼ばれる超能力が人々に現れる国。
その中でも特に『神の目』と呼ばれるギフトは特別視されていた。基本的に貴族の令嬢が授かるそのギフトを持つものが現れると王家に嫁ぐことが定められているほどに。
そんなギフトをもって生まれたフリージアは過去を思い出し決心した。自分の持っているギフトがばれる前に逃げ、ギフトを隠したまま今世こそは自由に生きようと。
だがその決心はなかなかうまくいかなくて……。
他サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる