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第6話 事故は事故として処理される
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第6話 事故は事故として処理される
クレア・グレコが療養室を去ったあと、部屋にはしばらく静寂が残った。
扉の向こうで足音が遠ざかるのを聞きながら、ステラは深く息を吐く。胸の奥に溜まっていた空気を、ゆっくりと外へ押し出すように。
「……ふぅ」
天井を見上げると、白い石造りの装飾が視界に入った。清潔で、無機質で、感情を許さない場所。教会の療養室は、いつだってこうだ。誰かが傷つき、誰かが黙らされ、そして「適切に処理された」結果だけが残る。
――ほんま、ええ趣味しとるわ。
頭の奥で、あの声がぼやいた。
ステラは、くすりと小さく笑う。声に出すと面倒になるから、笑いは胸の内だけに留めた。
やがて、扉が控えめに叩かれる。
「ステラ様。お加減はいかがでしょうか」
入ってきたのは、年配の神官だった。白と金の法衣を身にまとい、穏やかな表情を貼り付けている。いかにも「話を丸く収める役目」を与えられた人間だ。
「……痛みは?」
「まあ、階段から落ちたら、こんなもんやろ」
自然に出た言葉に、神官は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに柔らかな笑みに戻った。
「そうですか。命に別状がなく、何よりです」
その言葉は事実だ。だが同時に、「それ以上を望むな」という釘でもある。
神官は椅子に腰を下ろし、ゆっくりと話し始めた。
「今回の件ですが……王太子殿下、ならびに教会の見解としては、“不慮の事故”という結論になりました」
きっぱりとした口調。
「階段は古く、夜間は足元が見えにくい。精神的にお辛い状況だったことも考慮され……」
「要するに」
ステラは、遮るように言った。
「調べへん、ってことやな」
神官の口が、わずかに止まる。
「……ステラ様」
「ええよ、ええよ」
ステラは軽く手を振った。
「分かっとる。今さらや」
“事故”という結論は、誰かのために用意されたものだ。王太子の判断を疑わないために。新聖女候補の立場を守るために。教会と王権の関係を揺るがせないために。
そのために、ステラ一人の疑問や違和感は、最初から切り捨てられる。
神官は少し安堵したように頷いた。
「ご理解いただけて、助かります。今はご静養を。修道院への移送は、数日後を予定しております」
「修道院、な」
その響きを口の中で転がす。
「……辺境の?」
「はい。人里から離れた、静かな場所です。世間の目も届きません」
――つまり、声も届かへん。
ステラは内心でそう付け加えたが、表には出さなかった。
「分かりました」
あっさりと頷くと、神官は明らかに拍子抜けした様子を見せた。泣くでも抗うでもなく、素直に受け入れる聖女は、扱いやすい。
「では……何か必要なものがあれば、遠慮なく」
「ひとつだけええ?」
神官が顔を上げる。
「なんでしょう」
「甘いもん」
一瞬、沈黙。
「……甘い、もの、ですか?」
「せや。砂糖入ったやつ」
ステラは真顔だった。
「頭使うと、糖分足らんようになるんや」
神官は何か言いかけて、結局黙って頷いた。理屈が通じるのか通じないのか分からない相手に、深く突っ込むのは得策ではない。
「……用意いたしましょう」
そう言って、神官は退出していった。
再び、静寂。
ステラはベッドに深く腰を下ろし、指先でシーツをつまんだ。上等な布だ。聖女として扱われていた名残。
「事故、か」
ぽつりと呟く。
頭の奥の声が、鼻で笑った。
――事故言うたら、全部片付く思とるんや。
「ほんまそれ」
ステラは小さく肩をすくめる。
怒りは、不思議と湧いてこなかった。代わりにあるのは、冷静な計算だ。
――今ここで騒いでも、意味ない。
――力も、立場も、全部向こうにある。
なら、どうするか。
答えは簡単だった。
――今は、黙っとく。
黙ることと、何も考えないことは違う。耐えることと、諦めることも違う。ステラは、これまで「黙って耐える」役を演じてきた。だが今は、その黙り方を変えるつもりだった。
扉が再び開き、今度は若い修道女が盆を持って入ってきた。
「ステラ様。こちら……」
盆の上には、温かい薬湯と、小さな皿。その上に載っているのは、砂糖菓子だった。
「おお」
ステラの目が、わずかに輝く。
「気ぃ利くやん」
修道女はきょとんとしたが、何も言わなかった。
ステラは砂糖菓子を一つ手に取り、口に運ぶ。甘さが、ゆっくりと広がる。脳が、現実を噛み締めるための燃料を受け取ったような感覚。
「……よし」
小さく頷く。
この場所では、誰も味方にならない。
でも、敵も油断している。
クレアは、“事故”が成立したと思っている。
王太子アッシュも、“面倒が片付いた”と思っている。
その油断は、必ず綻びになる。
ステラは、もう一つ砂糖菓子を口に放り込んだ。
「焦らん、焦らん」
声に出さず、心の中で言う。
――修道院行ってからや。
――動くんは。
窓の外では、鐘が鳴っていた。王城の日常が、何事もなかったかのように進んでいく音。
その音を聞きながら、ステラ・ダンクルは目を閉じた。
“事故”は、こうして“事故”として処理された。
だがそれは、終わりではない。
――ただの、始まりや。
甘さが残る舌の感覚を確かめながら、ステラは静かに笑った。
クレア・グレコが療養室を去ったあと、部屋にはしばらく静寂が残った。
扉の向こうで足音が遠ざかるのを聞きながら、ステラは深く息を吐く。胸の奥に溜まっていた空気を、ゆっくりと外へ押し出すように。
「……ふぅ」
天井を見上げると、白い石造りの装飾が視界に入った。清潔で、無機質で、感情を許さない場所。教会の療養室は、いつだってこうだ。誰かが傷つき、誰かが黙らされ、そして「適切に処理された」結果だけが残る。
――ほんま、ええ趣味しとるわ。
頭の奥で、あの声がぼやいた。
ステラは、くすりと小さく笑う。声に出すと面倒になるから、笑いは胸の内だけに留めた。
やがて、扉が控えめに叩かれる。
「ステラ様。お加減はいかがでしょうか」
入ってきたのは、年配の神官だった。白と金の法衣を身にまとい、穏やかな表情を貼り付けている。いかにも「話を丸く収める役目」を与えられた人間だ。
「……痛みは?」
「まあ、階段から落ちたら、こんなもんやろ」
自然に出た言葉に、神官は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに柔らかな笑みに戻った。
「そうですか。命に別状がなく、何よりです」
その言葉は事実だ。だが同時に、「それ以上を望むな」という釘でもある。
神官は椅子に腰を下ろし、ゆっくりと話し始めた。
「今回の件ですが……王太子殿下、ならびに教会の見解としては、“不慮の事故”という結論になりました」
きっぱりとした口調。
「階段は古く、夜間は足元が見えにくい。精神的にお辛い状況だったことも考慮され……」
「要するに」
ステラは、遮るように言った。
「調べへん、ってことやな」
神官の口が、わずかに止まる。
「……ステラ様」
「ええよ、ええよ」
ステラは軽く手を振った。
「分かっとる。今さらや」
“事故”という結論は、誰かのために用意されたものだ。王太子の判断を疑わないために。新聖女候補の立場を守るために。教会と王権の関係を揺るがせないために。
そのために、ステラ一人の疑問や違和感は、最初から切り捨てられる。
神官は少し安堵したように頷いた。
「ご理解いただけて、助かります。今はご静養を。修道院への移送は、数日後を予定しております」
「修道院、な」
その響きを口の中で転がす。
「……辺境の?」
「はい。人里から離れた、静かな場所です。世間の目も届きません」
――つまり、声も届かへん。
ステラは内心でそう付け加えたが、表には出さなかった。
「分かりました」
あっさりと頷くと、神官は明らかに拍子抜けした様子を見せた。泣くでも抗うでもなく、素直に受け入れる聖女は、扱いやすい。
「では……何か必要なものがあれば、遠慮なく」
「ひとつだけええ?」
神官が顔を上げる。
「なんでしょう」
「甘いもん」
一瞬、沈黙。
「……甘い、もの、ですか?」
「せや。砂糖入ったやつ」
ステラは真顔だった。
「頭使うと、糖分足らんようになるんや」
神官は何か言いかけて、結局黙って頷いた。理屈が通じるのか通じないのか分からない相手に、深く突っ込むのは得策ではない。
「……用意いたしましょう」
そう言って、神官は退出していった。
再び、静寂。
ステラはベッドに深く腰を下ろし、指先でシーツをつまんだ。上等な布だ。聖女として扱われていた名残。
「事故、か」
ぽつりと呟く。
頭の奥の声が、鼻で笑った。
――事故言うたら、全部片付く思とるんや。
「ほんまそれ」
ステラは小さく肩をすくめる。
怒りは、不思議と湧いてこなかった。代わりにあるのは、冷静な計算だ。
――今ここで騒いでも、意味ない。
――力も、立場も、全部向こうにある。
なら、どうするか。
答えは簡単だった。
――今は、黙っとく。
黙ることと、何も考えないことは違う。耐えることと、諦めることも違う。ステラは、これまで「黙って耐える」役を演じてきた。だが今は、その黙り方を変えるつもりだった。
扉が再び開き、今度は若い修道女が盆を持って入ってきた。
「ステラ様。こちら……」
盆の上には、温かい薬湯と、小さな皿。その上に載っているのは、砂糖菓子だった。
「おお」
ステラの目が、わずかに輝く。
「気ぃ利くやん」
修道女はきょとんとしたが、何も言わなかった。
ステラは砂糖菓子を一つ手に取り、口に運ぶ。甘さが、ゆっくりと広がる。脳が、現実を噛み締めるための燃料を受け取ったような感覚。
「……よし」
小さく頷く。
この場所では、誰も味方にならない。
でも、敵も油断している。
クレアは、“事故”が成立したと思っている。
王太子アッシュも、“面倒が片付いた”と思っている。
その油断は、必ず綻びになる。
ステラは、もう一つ砂糖菓子を口に放り込んだ。
「焦らん、焦らん」
声に出さず、心の中で言う。
――修道院行ってからや。
――動くんは。
窓の外では、鐘が鳴っていた。王城の日常が、何事もなかったかのように進んでいく音。
その音を聞きながら、ステラ・ダンクルは目を閉じた。
“事故”は、こうして“事故”として処理された。
だがそれは、終わりではない。
――ただの、始まりや。
甘さが残る舌の感覚を確かめながら、ステラは静かに笑った。
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