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第7話 静養という名の隔離
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第7話 静養という名の隔離
修道院への移送は、「静養」という聞こえのいい言葉で包まれていた。
実際のところ、それは隔離だった。王城の喧騒から切り離し、噂の渦から遠ざけ、そして――声を上げる機会そのものを奪うための。
出立の日の朝、ステラ・ダンクルは療養室の窓から外を眺めていた。石畳の中庭に、馬車が一台止まっている。装飾は控えめだが、作りは堅牢だ。逃げるためのものではなく、運ぶためのもの。人ではなく、処理対象を。
「……あれに乗せられるんやな」
独り言は、自然と零れた。
頭の奥で、あの声が応じる。
――そらそうや。
――丁寧に扱う分、遠慮なく隔離できる。
「やなぁ」
苦笑しながら、ステラは荷物を確認した。衣服が数着。身の回りの小物。祈祷具はない。聖女としての証は、すでにすべて取り上げられている。
けれど、ひとつだけ。
懐に、確かな重みがあった。
――飴ちゃん。
無意識に指で触れて、少し安心する自分に、ステラは内心で首を傾げた。
「……なんでやろな。これあるだけで、落ち着くわ」
返事は、頭の中から返ってきた。
――そらそうや。
――腹減っとる時と、頭回らん時の味方や。
扉がノックされる。
「ステラ様。出立のお時間です」
教会騎士の声。丁寧だが、拒否権はない。
「はいはい」
返事をして立ち上がる。足取りは、思ったより軽かった。身体の痛みはまだ残っているが、動けないほどではない。むしろ、じっとしている方が落ち着かない。
廊下を進むと、修道女たちが道の端に並んでいた。視線は伏せられている。哀れみと恐れと、「関わらない方がいい」という空気が混ざった沈黙。
その中で、一人だけ、ちらりとこちらを見る少女がいた。
まだ若い修道女だ。目が合った瞬間、慌てて視線を逸らすが、完全には隠せていない。
――この子、怖がっとるけど、悪意はないな。
ステラは、足を止めた。
「なあ」
声をかけられ、修道女はびくっと肩を震わせる。
「は、はい……?」
「これ、持っとき」
そう言って、ステラは懐から飴を一つ取り出し、そっと差し出した。
「……え?」
「朝は頭回らんやろ。甘いもん食べ」
修道女は、一瞬どうしていいか分からず、周囲を見回した。教会騎士の視線が刺さる。
「……あ、あの……」
「ええって」
軽く笑って、手を引っ込めない。
「怒られたら、うちが勝手に渡した言うたらええ」
少し迷ってから、修道女は恐る恐る飴を受け取った。指先が触れた瞬間、なぜか目が潤む。
「……ありがとうございます」
「どないいたしまして」
それだけで、ステラは歩き出した。
背中に、視線が残る。
中庭に出ると、馬車の前に数人の関係者が立っていた。高位司祭、教会騎士、そして――王太子アッシュ。
ステラの視線が、一瞬だけ止まる。
アッシュは、公式の場で使う無表情を貼り付けていた。昨夜の舞踏会で見せた「守る王太子」の顔でも、評議室での「決断する為政者」の顔でもない。ただの、責任を終えた人間の顔。
「……ステラ」
名前を呼ばれ、ステラは一礼する。
「王太子殿下」
「……身体は」
「落ちた割には、元気ですわ」
わざと、少しだけ砕けた言い方をする。アッシュの眉が、わずかに動いた。
「……それは、何よりだ」
それ以上、言葉は続かなかった。
アッシュは、この場で言うべきことをすべて終えている。婚約破棄も、追放も、“事故”の処理も。あとは、忘れるだけだ。
だから、ステラも深追いしない。
「では、失礼いたします」
そう言って、馬車へ向かう。
背後で、アッシュが何か言いかけた気配があった。だが、結局声にはならなかった。
馬車に乗り込むと、扉が閉められる。外の音が、急に遠くなる。
車輪が動き出した。
王城が、少しずつ離れていく。
窓越しに見える塔や壁は、これまでの人生そのものだった。聖女として、公爵令嬢として、黙って耐える役を演じてきた舞台。
「……お疲れさん」
誰に向けた言葉か分からないまま、呟く。
馬車は、街道へ出た。舗装が荒れ、揺れが増す。
頭の奥の声が、低く言った。
――ここからが、本番や。
「せやな」
ステラは、頷いた。
修道院は、辺境にある。人が少なく、権力の目が届きにくい場所。つまり――自由に動ける余地がある。
誰も期待していない。
誰も見張っていない。
それは、不幸でもあり、好機でもある。
ステラは、懐から飴を一つ取り出し、口に放り込んだ。甘さが、ゆっくりと広がる。
「静養、なぁ」
小さく笑う。
「静かにしとけ言われても、無理やで」
馬車は、修道院へ向かって走り続ける。
その中で、ステラ・ダンクルははっきりと理解していた。
――黙って耐える時間は、もう終わった。
これからは、
黙るふりをして、準備する時間だということを。
修道院への移送は、「静養」という聞こえのいい言葉で包まれていた。
実際のところ、それは隔離だった。王城の喧騒から切り離し、噂の渦から遠ざけ、そして――声を上げる機会そのものを奪うための。
出立の日の朝、ステラ・ダンクルは療養室の窓から外を眺めていた。石畳の中庭に、馬車が一台止まっている。装飾は控えめだが、作りは堅牢だ。逃げるためのものではなく、運ぶためのもの。人ではなく、処理対象を。
「……あれに乗せられるんやな」
独り言は、自然と零れた。
頭の奥で、あの声が応じる。
――そらそうや。
――丁寧に扱う分、遠慮なく隔離できる。
「やなぁ」
苦笑しながら、ステラは荷物を確認した。衣服が数着。身の回りの小物。祈祷具はない。聖女としての証は、すでにすべて取り上げられている。
けれど、ひとつだけ。
懐に、確かな重みがあった。
――飴ちゃん。
無意識に指で触れて、少し安心する自分に、ステラは内心で首を傾げた。
「……なんでやろな。これあるだけで、落ち着くわ」
返事は、頭の中から返ってきた。
――そらそうや。
――腹減っとる時と、頭回らん時の味方や。
扉がノックされる。
「ステラ様。出立のお時間です」
教会騎士の声。丁寧だが、拒否権はない。
「はいはい」
返事をして立ち上がる。足取りは、思ったより軽かった。身体の痛みはまだ残っているが、動けないほどではない。むしろ、じっとしている方が落ち着かない。
廊下を進むと、修道女たちが道の端に並んでいた。視線は伏せられている。哀れみと恐れと、「関わらない方がいい」という空気が混ざった沈黙。
その中で、一人だけ、ちらりとこちらを見る少女がいた。
まだ若い修道女だ。目が合った瞬間、慌てて視線を逸らすが、完全には隠せていない。
――この子、怖がっとるけど、悪意はないな。
ステラは、足を止めた。
「なあ」
声をかけられ、修道女はびくっと肩を震わせる。
「は、はい……?」
「これ、持っとき」
そう言って、ステラは懐から飴を一つ取り出し、そっと差し出した。
「……え?」
「朝は頭回らんやろ。甘いもん食べ」
修道女は、一瞬どうしていいか分からず、周囲を見回した。教会騎士の視線が刺さる。
「……あ、あの……」
「ええって」
軽く笑って、手を引っ込めない。
「怒られたら、うちが勝手に渡した言うたらええ」
少し迷ってから、修道女は恐る恐る飴を受け取った。指先が触れた瞬間、なぜか目が潤む。
「……ありがとうございます」
「どないいたしまして」
それだけで、ステラは歩き出した。
背中に、視線が残る。
中庭に出ると、馬車の前に数人の関係者が立っていた。高位司祭、教会騎士、そして――王太子アッシュ。
ステラの視線が、一瞬だけ止まる。
アッシュは、公式の場で使う無表情を貼り付けていた。昨夜の舞踏会で見せた「守る王太子」の顔でも、評議室での「決断する為政者」の顔でもない。ただの、責任を終えた人間の顔。
「……ステラ」
名前を呼ばれ、ステラは一礼する。
「王太子殿下」
「……身体は」
「落ちた割には、元気ですわ」
わざと、少しだけ砕けた言い方をする。アッシュの眉が、わずかに動いた。
「……それは、何よりだ」
それ以上、言葉は続かなかった。
アッシュは、この場で言うべきことをすべて終えている。婚約破棄も、追放も、“事故”の処理も。あとは、忘れるだけだ。
だから、ステラも深追いしない。
「では、失礼いたします」
そう言って、馬車へ向かう。
背後で、アッシュが何か言いかけた気配があった。だが、結局声にはならなかった。
馬車に乗り込むと、扉が閉められる。外の音が、急に遠くなる。
車輪が動き出した。
王城が、少しずつ離れていく。
窓越しに見える塔や壁は、これまでの人生そのものだった。聖女として、公爵令嬢として、黙って耐える役を演じてきた舞台。
「……お疲れさん」
誰に向けた言葉か分からないまま、呟く。
馬車は、街道へ出た。舗装が荒れ、揺れが増す。
頭の奥の声が、低く言った。
――ここからが、本番や。
「せやな」
ステラは、頷いた。
修道院は、辺境にある。人が少なく、権力の目が届きにくい場所。つまり――自由に動ける余地がある。
誰も期待していない。
誰も見張っていない。
それは、不幸でもあり、好機でもある。
ステラは、懐から飴を一つ取り出し、口に放り込んだ。甘さが、ゆっくりと広がる。
「静養、なぁ」
小さく笑う。
「静かにしとけ言われても、無理やで」
馬車は、修道院へ向かって走り続ける。
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