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第8話 修道院の静寂と、鉄板の夢
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第8話 修道院の静寂と、鉄板の夢
馬車が止まったのは、王都から丸一日走ったころだった。
ステラはカーテンの隙間から外を覗く。夕暮れの薄橙に染まった山間の修道院――灰色の石造り、壁は苔むし、屋根の鐘楼には小さな鳥が巣を作っていた。
「……なるほど。静養っちゅうより、軟禁やな」
呟いた瞬間、馬車の外から扉が開かれた。冷たい風が吹き込み、乾いた空気が肌に触れる。
「こちらが滞在のお部屋になります。食事は一日二回、祈りの時間には必ず参加を」
修道女の言葉は機械的だった。ステラはにこりと笑い、「おおきに」とだけ答える。
案内された部屋は狭く、窓からは山しか見えない。机と椅子、そして質素な寝台。王城の豪奢な部屋とは、まるで別世界だ。
「静かやねぇ……」
そう呟くと、頭の奥であの声が返る。
――せやな。音がないいうのは、たまにはええ。けど、寂しすぎるとアカン。
「せやねぇ。うち、基本うるさい方やし」
ステラは笑って、懐から飴を一つ取り出した。
包みを破る音が、やけに大きく響く。
飴を舐めながら、机に腰をかけた。
頭の中に、ぼんやりと映像が浮かぶ――夜の街、赤提灯、鉄板の上でジュウジュウと音を立てるお好み焼き。湯気の向こうで、笑う自分の姿。
「……なんや、急に腹減ってきたわ」
おばちゃん時代の記憶が、まるで昨日のことのように蘇る。
あの頃は、誰かのためにご飯を焼いて、笑ってもらうのが一番の喜びやった。
ここではそれすら許されない。鉄板も、ソースの匂いも、全部置いてきた。
――でも、戻るんやない。新しく作るんや。
頭の声が、静かに言う。
「……せやな。せっかくの静養や、考える時間には困らんわ」
そう言ってステラは、紙とペンを取り出した。
修道女が祈りに使う記録帳の一部を、そっと拝借したのだ。
そこに、書き始める。
「鉄板」「粉」「たこ」「油」
まるで呪文のようなメモ。
“たこ焼き”の作り方を、丁寧に書き出していく。分量、手順、焼き方、裏返すタイミング。指が止まらない。
「うわ、懐かし……! いや、違う違う、これ何してんのうち」
笑いながら頭を抱える。
でも、止まらない。思い出すほどに、心があったかくなる。
――ステラ。思い出したんやな。
「うん。浪速のおばちゃん、完全復活や」
ステラは立ち上がった。
部屋の隅のろうそく立てを見つめる。鉄の皿。……鉄板の代わりになるかもしれん。
「うーん、火力が足らんな。けど焼けんこともない」
真剣に考え込む姿は、もはや聖女というより屋台の職人である。
そのとき、外から足音が近づいた。修道女が扉を叩く。
「ステラ様、祈りの時間です」
「はいはい、いま行くで」
慌てて紙を隠し、飴を口に放り込む。
修道院の礼拝堂は冷えきっていた。石造りの床に膝をつくと、寒さが骨に沁みる。
修道女たちが一斉に祈りの言葉を唱える中、ステラだけが違うことを考えていた。
――たこ焼き機、どうやって作るか。
ふと隣の修道女が小声で囁いた。
「ステラ様、寒くないですか?」
「寒いけどな、鉄板あったらだいぶマシやろな」
「……て、鉄板……?」
「そ。熱々の鉄板。人の心も温めるで?」
修道女は意味がわからず、困惑した表情で小さく頷いた。
祈りが終わると、院長がステラのもとに歩み寄った。
白髪交じりの穏やかな女性――だが、その瞳は老獪だ。
「ステラ・ダンクル様。あなたの静養は長くなるかもしれません。心を鎮め、神に仕えなさい」
「神さんも、腹減るんちゃう?」
「……え?」
「祈るより、腹ごしらえの方が先や思うで。健康第一や」
院長は返す言葉を失った。
修道女たちがざわつく。
ステラは悪びれず、にっこりと笑う。
「心配せんでええ。うち、祈るのも嫌いやないから」
そう言い残し、席を立った。
その夜、ステラは自室で鉄皿を磨いていた。
灯りの下で、反射する光がゆらゆらと揺れる。
――さて、これをどうやって温めるかやな。
頭の声が呟く。
「うちに火魔法が使えたら、ちょちょいのちょいやのになぁ」
ふと、窓の外を見た。星が瞬いている。
遠くで狼が鳴いた。冷たい風がカーテンを揺らす。
その瞬間、ステラの指先が、かすかに光った。
飴玉を掴んだ手の中から、温かな光がにじみ出る。
「……ん? なんやこれ」
驚いて手を開くと、飴が淡く輝いていた。
柔らかく、鉄皿の上の空気がほんのり温かくなる。
「……ははっ。なんや、便利やなこれ」
ステラは笑った。
「神の加護? 知らんけど、うちの飴ちゃん、火ぃ出すんか!」
新たな“奇跡”の発見に、修道院の静寂がほんの少し揺れた。
――この女、やっぱりただでは済まんな。
頭の奥で、誰かが呆れ混じりに呟く。
ステラは肩をすくめ、飴をもう一つ懐から取り出した。
「神さんも腹減るやろ? ほな、うちの飴ちゃん食べて元気出しや」
窓の外で風が鳴る。
静かな修道院の夜に、浪速の声が、ふっと混ざった。
ステラ・ダンクル。
――修道院を“聖域”から、“鉄板研究所”へと変える第一歩が、今、始まった。
馬車が止まったのは、王都から丸一日走ったころだった。
ステラはカーテンの隙間から外を覗く。夕暮れの薄橙に染まった山間の修道院――灰色の石造り、壁は苔むし、屋根の鐘楼には小さな鳥が巣を作っていた。
「……なるほど。静養っちゅうより、軟禁やな」
呟いた瞬間、馬車の外から扉が開かれた。冷たい風が吹き込み、乾いた空気が肌に触れる。
「こちらが滞在のお部屋になります。食事は一日二回、祈りの時間には必ず参加を」
修道女の言葉は機械的だった。ステラはにこりと笑い、「おおきに」とだけ答える。
案内された部屋は狭く、窓からは山しか見えない。机と椅子、そして質素な寝台。王城の豪奢な部屋とは、まるで別世界だ。
「静かやねぇ……」
そう呟くと、頭の奥であの声が返る。
――せやな。音がないいうのは、たまにはええ。けど、寂しすぎるとアカン。
「せやねぇ。うち、基本うるさい方やし」
ステラは笑って、懐から飴を一つ取り出した。
包みを破る音が、やけに大きく響く。
飴を舐めながら、机に腰をかけた。
頭の中に、ぼんやりと映像が浮かぶ――夜の街、赤提灯、鉄板の上でジュウジュウと音を立てるお好み焼き。湯気の向こうで、笑う自分の姿。
「……なんや、急に腹減ってきたわ」
おばちゃん時代の記憶が、まるで昨日のことのように蘇る。
あの頃は、誰かのためにご飯を焼いて、笑ってもらうのが一番の喜びやった。
ここではそれすら許されない。鉄板も、ソースの匂いも、全部置いてきた。
――でも、戻るんやない。新しく作るんや。
頭の声が、静かに言う。
「……せやな。せっかくの静養や、考える時間には困らんわ」
そう言ってステラは、紙とペンを取り出した。
修道女が祈りに使う記録帳の一部を、そっと拝借したのだ。
そこに、書き始める。
「鉄板」「粉」「たこ」「油」
まるで呪文のようなメモ。
“たこ焼き”の作り方を、丁寧に書き出していく。分量、手順、焼き方、裏返すタイミング。指が止まらない。
「うわ、懐かし……! いや、違う違う、これ何してんのうち」
笑いながら頭を抱える。
でも、止まらない。思い出すほどに、心があったかくなる。
――ステラ。思い出したんやな。
「うん。浪速のおばちゃん、完全復活や」
ステラは立ち上がった。
部屋の隅のろうそく立てを見つめる。鉄の皿。……鉄板の代わりになるかもしれん。
「うーん、火力が足らんな。けど焼けんこともない」
真剣に考え込む姿は、もはや聖女というより屋台の職人である。
そのとき、外から足音が近づいた。修道女が扉を叩く。
「ステラ様、祈りの時間です」
「はいはい、いま行くで」
慌てて紙を隠し、飴を口に放り込む。
修道院の礼拝堂は冷えきっていた。石造りの床に膝をつくと、寒さが骨に沁みる。
修道女たちが一斉に祈りの言葉を唱える中、ステラだけが違うことを考えていた。
――たこ焼き機、どうやって作るか。
ふと隣の修道女が小声で囁いた。
「ステラ様、寒くないですか?」
「寒いけどな、鉄板あったらだいぶマシやろな」
「……て、鉄板……?」
「そ。熱々の鉄板。人の心も温めるで?」
修道女は意味がわからず、困惑した表情で小さく頷いた。
祈りが終わると、院長がステラのもとに歩み寄った。
白髪交じりの穏やかな女性――だが、その瞳は老獪だ。
「ステラ・ダンクル様。あなたの静養は長くなるかもしれません。心を鎮め、神に仕えなさい」
「神さんも、腹減るんちゃう?」
「……え?」
「祈るより、腹ごしらえの方が先や思うで。健康第一や」
院長は返す言葉を失った。
修道女たちがざわつく。
ステラは悪びれず、にっこりと笑う。
「心配せんでええ。うち、祈るのも嫌いやないから」
そう言い残し、席を立った。
その夜、ステラは自室で鉄皿を磨いていた。
灯りの下で、反射する光がゆらゆらと揺れる。
――さて、これをどうやって温めるかやな。
頭の声が呟く。
「うちに火魔法が使えたら、ちょちょいのちょいやのになぁ」
ふと、窓の外を見た。星が瞬いている。
遠くで狼が鳴いた。冷たい風がカーテンを揺らす。
その瞬間、ステラの指先が、かすかに光った。
飴玉を掴んだ手の中から、温かな光がにじみ出る。
「……ん? なんやこれ」
驚いて手を開くと、飴が淡く輝いていた。
柔らかく、鉄皿の上の空気がほんのり温かくなる。
「……ははっ。なんや、便利やなこれ」
ステラは笑った。
「神の加護? 知らんけど、うちの飴ちゃん、火ぃ出すんか!」
新たな“奇跡”の発見に、修道院の静寂がほんの少し揺れた。
――この女、やっぱりただでは済まんな。
頭の奥で、誰かが呆れ混じりに呟く。
ステラは肩をすくめ、飴をもう一つ懐から取り出した。
「神さんも腹減るやろ? ほな、うちの飴ちゃん食べて元気出しや」
窓の外で風が鳴る。
静かな修道院の夜に、浪速の声が、ふっと混ざった。
ステラ・ダンクル。
――修道院を“聖域”から、“鉄板研究所”へと変える第一歩が、今、始まった。
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