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第9話 修道院に、異物が混ざる
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第9話 修道院に、異物が混ざる
修道院の朝は、驚くほど早い。
鐘が鳴る前から、空気が動き出す。風が回廊を抜け、石壁に溜まった冷気を攫っていく。ステラ・ダンクルはその音で目を覚ました。
「……朝かいな」
寝台の上で身を起こし、窓の外を見る。山の稜線が薄く白み始めている。王都では考えられないほど、静かで、素朴な朝だ。
――静かすぎるんが問題やけどな。
「せやな」
小さく返事をして、ステラは身体を伸ばす。昨日感じた痛みは、かなり引いていた。むしろ、妙に身体が軽い。
視線を落とすと、机の上に置いた鉄皿が目に入る。昨夜、飴が淡く光ったあの皿だ。
「……夢やなかったんやな」
そっと指先で触れると、ほんのりとした温もりが残っている。
――聖女の奇跡言うたら、普通は癒やしとか光とかやろ。
――なんで“加熱”やねん。
「知らんがな」
ステラは鼻で笑った。
「うちが欲しかったんやから、しゃあないやろ」
そのまま、懐を探る。いつもの感触。飴玉が、確かにある。
コンコン、と控えめなノック。
「ステラ様、朝のお祈りのお時間です」
若い修道女の声だ。昨日、飴を渡したあの子や。
「はいはい、今行くで」
身支度を整え、廊下へ出る。修道院の朝は規則正しく、誰もが決められた動きしかしない。だが、その整然とした列の中で、ステラだけが少し浮いていた。
歩き方が違う。視線が違う。何より、表情が違う。
「……ステラ様」
修道女が小声で呼びかけてきた。
「なに?」
「あの……昨日の……」
「飴?」
修道女はこくんと頷く。
「美味しかったです」
「そらよかった」
ステラは何でもないことのように言い、祈祷室へ入った。
祈りが始まる。神への感謝、赦し、従順。何度も聞いた文句だ。
ステラは目を閉じるが、心は別のところにあった。
――この修道院、飯は誰が作っとるんや?
視線を薄く開けると、修道女たちの手は荒れている者が多い。料理、洗濯、掃除。すべて人力だ。
――粉も、油も、ありそうやな。
祈りが終わり、食堂へ移動する。
朝食は薄い粥と黒パン。味気ないが、空腹は満たせる。
「……」
ステラは黙って一口食べ、しばし考え込んだあと、立ち上がった。
「なあ」
院長に声をかける。
「はい、ステラ様?」
「台所、使ってええ?」
一瞬、食堂の空気が止まる。
「……理由を、お聞きしても?」
「腹減っとる人が多そうやから」
正直な答えだった。
院長はじっとステラを見つめる。測るような視線。危険人物か、それとも単なる変わり者か。
「修道院の規律に反することは、許されません」
「火ぃ使わんでもええで」
ステラは即座に返した。
「ちょっと温めるだけや」
その言葉に、院長の眉が僅かに動く。
「……何を?」
「鉄の皿」
「……?」
説明するだけ無駄やな、とステラは悟った。
「とりあえず、見てから決めて。あかんかったら、すぐやめるさかい」
院長は長い沈黙の末、ため息をついた。
「……一刻だけです」
「おおきに!」
その返事の勢いに、修道女たちがざわついた。
台所は、石造りの古い部屋だった。かまどはあるが、朝の仕事はすでに終わっている。
ステラは鉄皿を台の上に置き、懐から飴を一つ取り出した。
「さて……」
皿の中央に、そっと置く。
指先が、また淡く光る。
「……え?」
見ていた修道女たちが、息を呑む。
鉄皿が、じんわりと赤みを帯びた。
「ほら」
ステラは肩をすくめた。
「ちょっと、あったまるやろ」
「……聖女の奇跡……?」
誰かが呟いた。
「ちゃうちゃう」
ステラは即座に否定する。
「奇跡言うほどやない。便利なだけや」
その言葉が、逆に異様だった。
普通なら、奇跡を誇り、神を讃える。だがステラは、まるで新しい鍋を試すかのような態度だ。
「油、ある?」
戸惑いながらも、修道女が差し出す。
「粉は?」
「ありますが……」
「よし」
ステラの目が、きらりと光った。
――ほらな。
――揃っとる。
その日、修道院の台所に、今までになかった匂いが立ち込めた。
焦げる寸前の小麦粉の香り。油の弾く音。
修道女たちは、呆然とそれを見ていた。
「……これ、なんですか?」
「粉焼きや」
「……」
「失敗したらお粥に戻すさかい、安心し」
出来上がったそれは、形も不格好だった。だが、湯気は確かに“温かさ”を伝えていた。
一口、修道女が恐る恐る食べる。
「……美味しい……」
その声が、広がる。
院長は遠巻きに見ながら、静かに呟いた。
「……この修道院に、異物が入りましたね」
ステラは、にっと笑った。
「せやで」
飴を一つ、院長の前に置く。
「これから、ちょっとだけ騒がしなるわ」
修道院の静寂に、
確かに“異物”が混ざり始めていた。
修道院の朝は、驚くほど早い。
鐘が鳴る前から、空気が動き出す。風が回廊を抜け、石壁に溜まった冷気を攫っていく。ステラ・ダンクルはその音で目を覚ました。
「……朝かいな」
寝台の上で身を起こし、窓の外を見る。山の稜線が薄く白み始めている。王都では考えられないほど、静かで、素朴な朝だ。
――静かすぎるんが問題やけどな。
「せやな」
小さく返事をして、ステラは身体を伸ばす。昨日感じた痛みは、かなり引いていた。むしろ、妙に身体が軽い。
視線を落とすと、机の上に置いた鉄皿が目に入る。昨夜、飴が淡く光ったあの皿だ。
「……夢やなかったんやな」
そっと指先で触れると、ほんのりとした温もりが残っている。
――聖女の奇跡言うたら、普通は癒やしとか光とかやろ。
――なんで“加熱”やねん。
「知らんがな」
ステラは鼻で笑った。
「うちが欲しかったんやから、しゃあないやろ」
そのまま、懐を探る。いつもの感触。飴玉が、確かにある。
コンコン、と控えめなノック。
「ステラ様、朝のお祈りのお時間です」
若い修道女の声だ。昨日、飴を渡したあの子や。
「はいはい、今行くで」
身支度を整え、廊下へ出る。修道院の朝は規則正しく、誰もが決められた動きしかしない。だが、その整然とした列の中で、ステラだけが少し浮いていた。
歩き方が違う。視線が違う。何より、表情が違う。
「……ステラ様」
修道女が小声で呼びかけてきた。
「なに?」
「あの……昨日の……」
「飴?」
修道女はこくんと頷く。
「美味しかったです」
「そらよかった」
ステラは何でもないことのように言い、祈祷室へ入った。
祈りが始まる。神への感謝、赦し、従順。何度も聞いた文句だ。
ステラは目を閉じるが、心は別のところにあった。
――この修道院、飯は誰が作っとるんや?
視線を薄く開けると、修道女たちの手は荒れている者が多い。料理、洗濯、掃除。すべて人力だ。
――粉も、油も、ありそうやな。
祈りが終わり、食堂へ移動する。
朝食は薄い粥と黒パン。味気ないが、空腹は満たせる。
「……」
ステラは黙って一口食べ、しばし考え込んだあと、立ち上がった。
「なあ」
院長に声をかける。
「はい、ステラ様?」
「台所、使ってええ?」
一瞬、食堂の空気が止まる。
「……理由を、お聞きしても?」
「腹減っとる人が多そうやから」
正直な答えだった。
院長はじっとステラを見つめる。測るような視線。危険人物か、それとも単なる変わり者か。
「修道院の規律に反することは、許されません」
「火ぃ使わんでもええで」
ステラは即座に返した。
「ちょっと温めるだけや」
その言葉に、院長の眉が僅かに動く。
「……何を?」
「鉄の皿」
「……?」
説明するだけ無駄やな、とステラは悟った。
「とりあえず、見てから決めて。あかんかったら、すぐやめるさかい」
院長は長い沈黙の末、ため息をついた。
「……一刻だけです」
「おおきに!」
その返事の勢いに、修道女たちがざわついた。
台所は、石造りの古い部屋だった。かまどはあるが、朝の仕事はすでに終わっている。
ステラは鉄皿を台の上に置き、懐から飴を一つ取り出した。
「さて……」
皿の中央に、そっと置く。
指先が、また淡く光る。
「……え?」
見ていた修道女たちが、息を呑む。
鉄皿が、じんわりと赤みを帯びた。
「ほら」
ステラは肩をすくめた。
「ちょっと、あったまるやろ」
「……聖女の奇跡……?」
誰かが呟いた。
「ちゃうちゃう」
ステラは即座に否定する。
「奇跡言うほどやない。便利なだけや」
その言葉が、逆に異様だった。
普通なら、奇跡を誇り、神を讃える。だがステラは、まるで新しい鍋を試すかのような態度だ。
「油、ある?」
戸惑いながらも、修道女が差し出す。
「粉は?」
「ありますが……」
「よし」
ステラの目が、きらりと光った。
――ほらな。
――揃っとる。
その日、修道院の台所に、今までになかった匂いが立ち込めた。
焦げる寸前の小麦粉の香り。油の弾く音。
修道女たちは、呆然とそれを見ていた。
「……これ、なんですか?」
「粉焼きや」
「……」
「失敗したらお粥に戻すさかい、安心し」
出来上がったそれは、形も不格好だった。だが、湯気は確かに“温かさ”を伝えていた。
一口、修道女が恐る恐る食べる。
「……美味しい……」
その声が、広がる。
院長は遠巻きに見ながら、静かに呟いた。
「……この修道院に、異物が入りましたね」
ステラは、にっと笑った。
「せやで」
飴を一つ、院長の前に置く。
「これから、ちょっとだけ騒がしなるわ」
修道院の静寂に、
確かに“異物”が混ざり始めていた。
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