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第11話 聖女の評判は、粉の匂いより早く広がる
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第11話 聖女の評判は、粉の匂いより早く広がる
修道院に、来客があった。
それは珍しいことではない。辺境とはいえ、この修道院は教会の管理下にあり、定期的に視察や物資の補給が行われる。
だが、その日の来客は、少し違った。
「……司祭様、どうしてこちらへ?」
院長が出迎えたのは、王都教会から派遣された中級司祭だった。年は四十前後、視線は落ち着いているが、どこか探るような癖がある。
「最近、この修道院の名が耳に入るもので」
司祭はそう言って、柔らかく微笑んだ。
「“元聖女が妙なことをしている”と」
院長の喉が、わずかに鳴る。
「……妙なこと、とは」
「食事の改善、修道女たちの体調向上、祈りの集中力の向上」
司祭は淡々と続けた。
「どれも、本来は喜ばしい話です。ですが――」
一拍置く。
「やり方が、問題だと」
院長は、内心でため息をついた。
――やはり、来たか。
「規律を乱すことは、しておりません」
「承知しています」
司祭は頷く。
「だからこそ、私は“確認”に来ました」
その視線が、修道院の中庭へ向けられる。
そこでは今、ステラ・ダンクルが、いつものように鉄皿を前に立っていた。
「はいはい、並ばんでええよ。逃げへん逃げへん」
修道女たちに声をかけながら、手際よく粉を焼く。
「……あの方ですか」
司祭の眉が、わずかに動いた。
「ええ」
院長は正直に答えた。
「ステラ・ダンクル。元・聖女です」
「なるほど……」
司祭は、しばらくその様子を眺めていた。
祈りの場にあるまじき光景。だが、混乱はない。騒ぎもない。ただ、空気が――生きている。
「……おや?」
司祭が、小さく声を漏らす。
ステラが、ふとこちらに気づいたのだ。
「あれ? 見ん顔やな」
粉を焼く手を止めずに、声をかける。
「観光?」
院長が咳払いをした。
「ステラ様、こちらは王都教会よりお越しの――」
「おお、えらい遠くから」
ステラは、にこりと笑った。
「ほな、立ち話もなんやし、食べてく?」
司祭は一瞬、言葉を失った。
「……私に、ですか?」
「そらそうよ。腹減っとる顔しとる」
完全に偏見だが、的確だった。
「これは……修道院の規則では」
「火ぃ使ってへんし、祈りの時間ちゃうで?」
即答。
司祭は、院長を見る。院長は、何も言わず頷いた。
――すでに、折れている。
「……では、一口だけ」
司祭は慎重に受け取り、口に運んだ。
「……」
一瞬、無言。
「……温かいですね」
「せやろ」
ステラは、得意げでも謙虚でもなく言った。
「冷たい飯ばっかりやと、心も固なるで」
司祭は、その言葉を反芻した。
教義にはない。だが、否定しづらい。
「……あなたは」
司祭は問いかける。
「なぜ、これを?」
ステラは少し考えてから、肩をすくめた。
「暇やったから」
修道女たちが、噴き出す。
「それと」
続ける。
「腹減っとる人放っとく方が、しんどいからな」
司祭は、何も言えなくなった。
視察の名目で来たはずが、気づけば修道院の空気そのものを“見せられて”いる。
そして理解する。
――これは、問題ではない。
――少なくとも、“悪”ではない。
その夜、司祭は報告書を書いた。
『当修道院における元聖女ステラ・ダンクルの行動は、規律違反には該当せず。
むしろ、修道女たちの健康と精神安定に寄与している』
そして、最後にこう付け加えた。
『……ただし、本人の言動は制御不能』
王都へ向かう書状は、翌朝には旅立った。
それはやがて、
偽聖女クレア・グレコの耳にも届くことになる。
ステラは、その頃――
「はいはい、今日はここまで! あとは消化せえへんでええから、よく噛みや!」
飴を配りながら、いつもの調子だった。
嵐の気配など、まるで気づかぬままに。
修道院に、来客があった。
それは珍しいことではない。辺境とはいえ、この修道院は教会の管理下にあり、定期的に視察や物資の補給が行われる。
だが、その日の来客は、少し違った。
「……司祭様、どうしてこちらへ?」
院長が出迎えたのは、王都教会から派遣された中級司祭だった。年は四十前後、視線は落ち着いているが、どこか探るような癖がある。
「最近、この修道院の名が耳に入るもので」
司祭はそう言って、柔らかく微笑んだ。
「“元聖女が妙なことをしている”と」
院長の喉が、わずかに鳴る。
「……妙なこと、とは」
「食事の改善、修道女たちの体調向上、祈りの集中力の向上」
司祭は淡々と続けた。
「どれも、本来は喜ばしい話です。ですが――」
一拍置く。
「やり方が、問題だと」
院長は、内心でため息をついた。
――やはり、来たか。
「規律を乱すことは、しておりません」
「承知しています」
司祭は頷く。
「だからこそ、私は“確認”に来ました」
その視線が、修道院の中庭へ向けられる。
そこでは今、ステラ・ダンクルが、いつものように鉄皿を前に立っていた。
「はいはい、並ばんでええよ。逃げへん逃げへん」
修道女たちに声をかけながら、手際よく粉を焼く。
「……あの方ですか」
司祭の眉が、わずかに動いた。
「ええ」
院長は正直に答えた。
「ステラ・ダンクル。元・聖女です」
「なるほど……」
司祭は、しばらくその様子を眺めていた。
祈りの場にあるまじき光景。だが、混乱はない。騒ぎもない。ただ、空気が――生きている。
「……おや?」
司祭が、小さく声を漏らす。
ステラが、ふとこちらに気づいたのだ。
「あれ? 見ん顔やな」
粉を焼く手を止めずに、声をかける。
「観光?」
院長が咳払いをした。
「ステラ様、こちらは王都教会よりお越しの――」
「おお、えらい遠くから」
ステラは、にこりと笑った。
「ほな、立ち話もなんやし、食べてく?」
司祭は一瞬、言葉を失った。
「……私に、ですか?」
「そらそうよ。腹減っとる顔しとる」
完全に偏見だが、的確だった。
「これは……修道院の規則では」
「火ぃ使ってへんし、祈りの時間ちゃうで?」
即答。
司祭は、院長を見る。院長は、何も言わず頷いた。
――すでに、折れている。
「……では、一口だけ」
司祭は慎重に受け取り、口に運んだ。
「……」
一瞬、無言。
「……温かいですね」
「せやろ」
ステラは、得意げでも謙虚でもなく言った。
「冷たい飯ばっかりやと、心も固なるで」
司祭は、その言葉を反芻した。
教義にはない。だが、否定しづらい。
「……あなたは」
司祭は問いかける。
「なぜ、これを?」
ステラは少し考えてから、肩をすくめた。
「暇やったから」
修道女たちが、噴き出す。
「それと」
続ける。
「腹減っとる人放っとく方が、しんどいからな」
司祭は、何も言えなくなった。
視察の名目で来たはずが、気づけば修道院の空気そのものを“見せられて”いる。
そして理解する。
――これは、問題ではない。
――少なくとも、“悪”ではない。
その夜、司祭は報告書を書いた。
『当修道院における元聖女ステラ・ダンクルの行動は、規律違反には該当せず。
むしろ、修道女たちの健康と精神安定に寄与している』
そして、最後にこう付け加えた。
『……ただし、本人の言動は制御不能』
王都へ向かう書状は、翌朝には旅立った。
それはやがて、
偽聖女クレア・グレコの耳にも届くことになる。
ステラは、その頃――
「はいはい、今日はここまで! あとは消化せえへんでええから、よく噛みや!」
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嵐の気配など、まるで気づかぬままに。
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