12 / 30
第12話 偽聖女の胸に刺さる、違和感
しおりを挟む
第12話 偽聖女の胸に刺さる、違和感
王都・大神殿。
白大理石の床に朝の光が差し込み、ステンドグラスの色彩が淡く揺れる。その中心に立つクレア・グレコは、静かに目を閉じていた。
「……女神よ」
祈りの言葉は、完璧だった。声の震え、間の取り方、指先の角度まで、すべてが“聖女らしい”。周囲に控える神官たちの視線が、賞賛と安堵を帯びる。
――これでいい。
――私は、聖女だ。
そう自分に言い聞かせるように、クレアはゆっくりと目を開けた。
「本日の祈りも、素晴らしゅうございました」
高位司祭が微笑み、深く頷く。クレアは控えめに頭を下げ、感謝の言葉を返した。いつも通り。何一つ、問題はない。
……はずだった。
儀式が終わり、控えの間へ戻る廊下で、クレアはふと足を止めた。胸の奥に、棘のような感覚が残っている。理由は分からない。ただ、引っかかる。
「……おかしい」
呟きは、誰にも聞かれない。
控えの間に入ると、側仕えの侍女が一通の書状を差し出した。
「王都教会より、報告書が届いております」
クレアは一瞬だけ眉を動かした。王都教会から、ではない。辺境の修道院からの報告が、王都教会を経由して届いたのだ。
「……読み上げて」
「はい」
侍女は、丁寧に文面を追う。
『当修道院における元聖女ステラ・ダンクルの行動は――』
その名前を聞いた瞬間、クレアの指先がわずかに震えた。
――まだ、その名を出すの?
侍女は続ける。
『規律違反には該当せず。修道女たちの健康および精神安定に寄与している』
クレアの背筋に、冷たいものが走る。
「……精神安定?」
思わず、声に出た。
「……はい。報告書には、そのように」
侍女は戸惑いながらも続けた。
『食事の改善、祈りの集中力の向上が確認され――』
「やめて」
クレアは、ぴしりと遮った。
部屋の空気が、固まる。
「……それ以上は、いいわ」
「……かしこまりました」
侍女が下がると、クレアは椅子に深く腰を下ろした。背もたれに体重を預け、天井を見上げる。
――おかしい。
――すべて、処理したはず。
婚約破棄。追放。事故としての処理。辺境修道院への隔離。
どれも、完璧だった。誰も疑わない。誰も掘り返さない。はずだった。
「……なんで、あの女が」
思わず、歯ぎしりする。
ステラ・ダンクル。
常に穏やかで、反論せず、感情を表に出さない女。
だからこそ、簡単だった。
突き落としたときも、確信があった。
――この女は、騒がない。
――私を疑っても、声を上げない。
だからこそ、あの悲鳴を上げた。
“善意の目撃者”として、完璧な振る舞いを演じた。
「……なのに」
胸の奥で、違和感が膨らむ。
報告書の一文が、頭から離れない。
――精神安定に寄与。
聖女とは、祈り、癒やし、導く存在。
それを――祈り以外で成し得ている?
「……ばかばかしい」
クレアは、首を振った。
「所詮、追放された元聖女。何ができるというの」
そう言い切ってみても、胸のざわつきは消えない。
別の侍女が、恐る恐る声をかけた。
「クレア様……次の祝福の儀式ですが」
「ええ。予定通り行うわ」
即答だった。
躊躇を見せれば、不安は周囲に伝染する。
「……ただし」
クレアは、言葉を選ぶ。
「修道院の件、もう少し詳しい情報が欲しいわ」
「……調査、でしょうか?」
「“調査”なんて大げさなものじゃない」
クレアは微笑んだ。
完璧な、聖女の笑みで。
「ただの、確認よ」
侍女が下がったあと、クレアは独り、窓辺に立った。王都の街が、遠くまで見渡せる。
――あの女は、何をしている?
――何を、掴み始めている?
答えは、まだ見えない。
だが、ひとつだけ確信があった。
無視していい存在ではなくなっている。
クレアは、そっと拳を握った。
「……今度は、慎重にやらないと」
聖女の仮面の下で、冷たい計算が回り始める。
一方その頃、辺境の修道院では――
「はいはい、熱いでー。ふーふーしてからやで」
ステラ・ダンクルが、いつもの調子で粉焼きを配っていた。
誰かの不安も、疑念も知らぬまま。
それが、何よりクレアを苛立たせると――まだ、ステラ自身は気づいていなかった。
王都・大神殿。
白大理石の床に朝の光が差し込み、ステンドグラスの色彩が淡く揺れる。その中心に立つクレア・グレコは、静かに目を閉じていた。
「……女神よ」
祈りの言葉は、完璧だった。声の震え、間の取り方、指先の角度まで、すべてが“聖女らしい”。周囲に控える神官たちの視線が、賞賛と安堵を帯びる。
――これでいい。
――私は、聖女だ。
そう自分に言い聞かせるように、クレアはゆっくりと目を開けた。
「本日の祈りも、素晴らしゅうございました」
高位司祭が微笑み、深く頷く。クレアは控えめに頭を下げ、感謝の言葉を返した。いつも通り。何一つ、問題はない。
……はずだった。
儀式が終わり、控えの間へ戻る廊下で、クレアはふと足を止めた。胸の奥に、棘のような感覚が残っている。理由は分からない。ただ、引っかかる。
「……おかしい」
呟きは、誰にも聞かれない。
控えの間に入ると、側仕えの侍女が一通の書状を差し出した。
「王都教会より、報告書が届いております」
クレアは一瞬だけ眉を動かした。王都教会から、ではない。辺境の修道院からの報告が、王都教会を経由して届いたのだ。
「……読み上げて」
「はい」
侍女は、丁寧に文面を追う。
『当修道院における元聖女ステラ・ダンクルの行動は――』
その名前を聞いた瞬間、クレアの指先がわずかに震えた。
――まだ、その名を出すの?
侍女は続ける。
『規律違反には該当せず。修道女たちの健康および精神安定に寄与している』
クレアの背筋に、冷たいものが走る。
「……精神安定?」
思わず、声に出た。
「……はい。報告書には、そのように」
侍女は戸惑いながらも続けた。
『食事の改善、祈りの集中力の向上が確認され――』
「やめて」
クレアは、ぴしりと遮った。
部屋の空気が、固まる。
「……それ以上は、いいわ」
「……かしこまりました」
侍女が下がると、クレアは椅子に深く腰を下ろした。背もたれに体重を預け、天井を見上げる。
――おかしい。
――すべて、処理したはず。
婚約破棄。追放。事故としての処理。辺境修道院への隔離。
どれも、完璧だった。誰も疑わない。誰も掘り返さない。はずだった。
「……なんで、あの女が」
思わず、歯ぎしりする。
ステラ・ダンクル。
常に穏やかで、反論せず、感情を表に出さない女。
だからこそ、簡単だった。
突き落としたときも、確信があった。
――この女は、騒がない。
――私を疑っても、声を上げない。
だからこそ、あの悲鳴を上げた。
“善意の目撃者”として、完璧な振る舞いを演じた。
「……なのに」
胸の奥で、違和感が膨らむ。
報告書の一文が、頭から離れない。
――精神安定に寄与。
聖女とは、祈り、癒やし、導く存在。
それを――祈り以外で成し得ている?
「……ばかばかしい」
クレアは、首を振った。
「所詮、追放された元聖女。何ができるというの」
そう言い切ってみても、胸のざわつきは消えない。
別の侍女が、恐る恐る声をかけた。
「クレア様……次の祝福の儀式ですが」
「ええ。予定通り行うわ」
即答だった。
躊躇を見せれば、不安は周囲に伝染する。
「……ただし」
クレアは、言葉を選ぶ。
「修道院の件、もう少し詳しい情報が欲しいわ」
「……調査、でしょうか?」
「“調査”なんて大げさなものじゃない」
クレアは微笑んだ。
完璧な、聖女の笑みで。
「ただの、確認よ」
侍女が下がったあと、クレアは独り、窓辺に立った。王都の街が、遠くまで見渡せる。
――あの女は、何をしている?
――何を、掴み始めている?
答えは、まだ見えない。
だが、ひとつだけ確信があった。
無視していい存在ではなくなっている。
クレアは、そっと拳を握った。
「……今度は、慎重にやらないと」
聖女の仮面の下で、冷たい計算が回り始める。
一方その頃、辺境の修道院では――
「はいはい、熱いでー。ふーふーしてからやで」
ステラ・ダンクルが、いつもの調子で粉焼きを配っていた。
誰かの不安も、疑念も知らぬまま。
それが、何よりクレアを苛立たせると――まだ、ステラ自身は気づいていなかった。
1
あなたにおすすめの小説
「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです
ほーみ
恋愛
「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」
その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。
──王都の学園で、私は彼と出会った。
彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。
貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。
【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?
ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。
卒業3か月前の事です。
卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。
もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。
カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。
でも大丈夫ですか?
婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。
※ゆるゆる設定です
※軽い感じで読み流して下さい
花嫁に「君を愛することはできない」と伝えた結果
藍田ひびき
恋愛
「アンジェリカ、君を愛することはできない」
結婚式の後、侯爵家の騎士のレナード・フォーブズは妻へそう告げた。彼は主君の娘、キャロライン・リンスコット侯爵令嬢を愛していたのだ。
アンジェリカの言葉には耳を貸さず、キャロラインへの『真実の愛』を貫こうとするレナードだったが――。
※ 他サイトにも投稿しています。
久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った
五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」
8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
わたしはくじ引きで選ばれたにすぎない婚約者だったらしい
よーこ
恋愛
特に美しくもなく、賢くもなく、家柄はそこそこでしかない伯爵令嬢リリアーナは、婚約後六年経ったある日、婚約者である大好きな第二王子に自分が未来の王子妃として選ばれた理由を尋ねてみた。
王子の答えはこうだった。
「くじで引いた紙にリリアーナの名前が書かれていたから」
え、わたし、そんな取るに足らない存在でしかなかったの?!
思い出してみれば、今まで王子に「好きだ」みたいなことを言われたことがない。
ショックを受けたリリアーナは……。
婚約破棄ありがとう!と笑ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました
ほーみ
恋愛
「――婚約を破棄する!」
大広間に響いたその宣告は、きっと誰もが予想していたことだったのだろう。
けれど、当事者である私――エリス・ローレンツの胸の内には、不思議なほどの安堵しかなかった。
王太子殿下であるレオンハルト様に、婚約を破棄される。
婚約者として彼に尽くした八年間の努力は、彼のたった一言で終わった。
だが、私の唇からこぼれたのは悲鳴でも涙でもなく――。
【片思いの5年間】婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。
五月ふう
恋愛
「君を愛するつもりも婚約者として扱うつもりもないーー。」
婚約者であるアレックス王子が婚約初日に私にいった言葉だ。
愛されず、婚約者として扱われない。つまり自由ってことですかーー?
それって最高じゃないですか。
ずっとそう思っていた私が、王子様に溺愛されるまでの物語。
この作品は
「婚約破棄した元婚約者の王子様は愛人を囲っていました。しかもその人は王子様がずっと愛していた幼馴染でした。」のスピンオフ作品となっています。
どちらの作品から読んでも楽しめるようになっています。気になる方は是非上記の作品も手にとってみてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる