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第13話 王太子アッシュの、遅すぎる違和感
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第13話 王太子アッシュの、遅すぎる違和感
王太子アッシュは、書類に目を落としたまま、同じ行を三度読み返していた。
内容は単純だ。
辺境修道院の近況報告。修道女たちの健康状態、物資の消費量、祈りの回数――そして、最後に付け加えられた一文。
『元聖女ステラ・ダンクルの存在により、修道院の雰囲気は安定している』
アッシュは、無意識のうちに眉間を押さえた。
「……安定、か」
その言葉が、やけに重い。
――彼女は、追放されたはずだ。
――聖女として不適格だと、判断したはずだ。
なのに、“安定”という評価。
「報告は、以上でよろしいでしょうか」
執務室に控えていた側近が、慎重に声をかける。
「ああ……」
返事は曖昧だった。
側近は一瞬、言葉を探すようにしてから続けた。
「……最近、修道院からの報告が増えております。特に、体調不良の修道女が減ったと」
「……そうか」
アッシュは、椅子の背にもたれた。
頭の奥に、ふと、過去の光景が浮かぶ。
穏やかに微笑み、誰かの話を黙って聞くステラの姿。
会議の場でも、舞踏会でも、決して前に出ず、ただ場を整えていた。
――彼女は、何もしなかったのではない。
――“整えていた”だけだ。
そんな考えが、今になって胸を刺す。
「……あの事故」
アッシュは、思わず呟いた。
「本当に、事故だったのか?」
側近が、ぴくりと反応する。
「殿下?」
「いや……」
首を振る。
「独り言だ」
だが、胸の中の違和感は消えない。
あの日。
婚約破棄を告げた直後の、あの表情。
怒りも、悲しみも、声にしなかったステラ。
――あれは、納得ではなかった。
――“諦め”だった。
気づくのが、遅すぎた。
アッシュは、机の引き出しを開け、一通の古い書状を取り出す。
ステラが、かつて提出した意見書だ。
『聖女の務めは、祈りだけではありません。
人が、人として息をつける場を整えることも、また務めだと考えます』
当時は、軽く読み流した。
「理想論だ」と。
今、その文字が、違って見える。
「……俺は」
アッシュは、低く呟いた。
「何を切り捨てた?」
そのとき、執務室の扉がノックされた。
「失礼いたします、殿下」
入ってきたのは、王都教会の使者だった。
「辺境修道院に関する、追加報告をお持ちしました」
アッシュの視線が、即座に向く。
「……読ませてくれ」
使者が差し出した文書には、こう記されていた。
『修道院内で、食事に関する改善が見られる。
修道女たちの表情、集中力に顕著な変化あり』
「……食事?」
思わず声に出る。
「はい。具体的には、温かい軽食の提供が……」
そこまで読んだところで、アッシュは文書を伏せた。
頭の中に、ひとつの言葉が浮かぶ。
――温度。
いつか、ステラが言っていた。
「冷えた場所では、人は前を向けませんわ」
そのときは、意味を深く考えなかった。
「……彼女は」
アッシュは、唇を噛みしめる。
「追放されても、役目を続けているのか」
側近が、慎重に口を開いた。
「殿下……今さら、何をなさるおつもりで?」
アッシュは、即答できなかった。
正義のために切った決断だと、信じてきた。
国のため、教会のため、秩序のため。
だが今、その決断の裏側が、じわじわと崩れ始めている。
「……何もしない」
ようやく、そう答えた。
「今は、だ」
側近は黙って頷いた。
その夜、アッシュはひとり、王城の回廊を歩いた。
冷たい石床。反響する足音。
ふと、立ち止まる。
――もし、あのとき。
――彼女の言葉を、もう一度聞いていたら?
答えは、戻らない。
王太子アッシュは、初めて理解した。
追放したのは、聖女ではない。
自分が“不要だ”と決めつけた、人の温度だったのだと。
一方、辺境修道院では――
「ほら、焼けたで。今日はちょい焦げや」
ステラ・ダンクルが、いつものように笑っていた。
「失敗や思うやろ?」
修道女たちが首を振る。
「それも味や」
その言葉に、誰も反論しなかった。
王都で芽生えた後悔と、
辺境で育つ日常。
その距離が、
やがて“ざまぁ”へと繋がることを――
この時点では、まだ誰も知らなかった。
王太子アッシュは、書類に目を落としたまま、同じ行を三度読み返していた。
内容は単純だ。
辺境修道院の近況報告。修道女たちの健康状態、物資の消費量、祈りの回数――そして、最後に付け加えられた一文。
『元聖女ステラ・ダンクルの存在により、修道院の雰囲気は安定している』
アッシュは、無意識のうちに眉間を押さえた。
「……安定、か」
その言葉が、やけに重い。
――彼女は、追放されたはずだ。
――聖女として不適格だと、判断したはずだ。
なのに、“安定”という評価。
「報告は、以上でよろしいでしょうか」
執務室に控えていた側近が、慎重に声をかける。
「ああ……」
返事は曖昧だった。
側近は一瞬、言葉を探すようにしてから続けた。
「……最近、修道院からの報告が増えております。特に、体調不良の修道女が減ったと」
「……そうか」
アッシュは、椅子の背にもたれた。
頭の奥に、ふと、過去の光景が浮かぶ。
穏やかに微笑み、誰かの話を黙って聞くステラの姿。
会議の場でも、舞踏会でも、決して前に出ず、ただ場を整えていた。
――彼女は、何もしなかったのではない。
――“整えていた”だけだ。
そんな考えが、今になって胸を刺す。
「……あの事故」
アッシュは、思わず呟いた。
「本当に、事故だったのか?」
側近が、ぴくりと反応する。
「殿下?」
「いや……」
首を振る。
「独り言だ」
だが、胸の中の違和感は消えない。
あの日。
婚約破棄を告げた直後の、あの表情。
怒りも、悲しみも、声にしなかったステラ。
――あれは、納得ではなかった。
――“諦め”だった。
気づくのが、遅すぎた。
アッシュは、机の引き出しを開け、一通の古い書状を取り出す。
ステラが、かつて提出した意見書だ。
『聖女の務めは、祈りだけではありません。
人が、人として息をつける場を整えることも、また務めだと考えます』
当時は、軽く読み流した。
「理想論だ」と。
今、その文字が、違って見える。
「……俺は」
アッシュは、低く呟いた。
「何を切り捨てた?」
そのとき、執務室の扉がノックされた。
「失礼いたします、殿下」
入ってきたのは、王都教会の使者だった。
「辺境修道院に関する、追加報告をお持ちしました」
アッシュの視線が、即座に向く。
「……読ませてくれ」
使者が差し出した文書には、こう記されていた。
『修道院内で、食事に関する改善が見られる。
修道女たちの表情、集中力に顕著な変化あり』
「……食事?」
思わず声に出る。
「はい。具体的には、温かい軽食の提供が……」
そこまで読んだところで、アッシュは文書を伏せた。
頭の中に、ひとつの言葉が浮かぶ。
――温度。
いつか、ステラが言っていた。
「冷えた場所では、人は前を向けませんわ」
そのときは、意味を深く考えなかった。
「……彼女は」
アッシュは、唇を噛みしめる。
「追放されても、役目を続けているのか」
側近が、慎重に口を開いた。
「殿下……今さら、何をなさるおつもりで?」
アッシュは、即答できなかった。
正義のために切った決断だと、信じてきた。
国のため、教会のため、秩序のため。
だが今、その決断の裏側が、じわじわと崩れ始めている。
「……何もしない」
ようやく、そう答えた。
「今は、だ」
側近は黙って頷いた。
その夜、アッシュはひとり、王城の回廊を歩いた。
冷たい石床。反響する足音。
ふと、立ち止まる。
――もし、あのとき。
――彼女の言葉を、もう一度聞いていたら?
答えは、戻らない。
王太子アッシュは、初めて理解した。
追放したのは、聖女ではない。
自分が“不要だ”と決めつけた、人の温度だったのだと。
一方、辺境修道院では――
「ほら、焼けたで。今日はちょい焦げや」
ステラ・ダンクルが、いつものように笑っていた。
「失敗や思うやろ?」
修道女たちが首を振る。
「それも味や」
その言葉に、誰も反論しなかった。
王都で芽生えた後悔と、
辺境で育つ日常。
その距離が、
やがて“ざまぁ”へと繋がることを――
この時点では、まだ誰も知らなかった。
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