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第16話 増えすぎた人と、揺れる聖域
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第16話 増えすぎた人と、揺れる聖域
修道院の朝が、以前と同じ静けさを取り戻すことはなかった。
鐘が鳴る前から、人の気配がある。門の外で待つ者、回廊に耳を澄ます者、台所の匂いを探す者。祈りの時間を守るため、皆が声を潜めているのが、かえって異様だった。
「……増えすぎやな」
ステラ・ダンクルは、窓辺で腕を組んだ。
昨日、粉と油を取り上げられた結果、人が増えた。
今日はその余波で、さらに人が集まっている。
――完全に逆効果や。
「せやね」
頭の奥の声が、低く笑う。
――止めようとしたら、目立つ。
――隠そうとしたら、広がる。
廊下の向こうで、院長の足音が近づく。
「ステラ様……」
声に、疲労が滲んでいる。
「今朝、王都教会から使いが来ました」
「監査?」
「……それ以上です」
院長は、重く言った。
「“指示”です」
ステラは、ゆっくり振り返った。
「ほう」
「修道院は、あくまで祈りの場。外部の者の出入りを制限せよ、と」
「せやろな」
驚きはなかった。
「で?」
「……あなたの行動についても」
院長は言い淀む。
「“善意であっても、影響が大きすぎる”と」
その言い回しに、ステラは小さく笑った。
「便利な言葉やな」
「え?」
「止めたい時に使える」
院長は否定できなかった。
「……本日は、台所の使用を停止します」
修道女たちの間に、ざわめきが走る。
「え……」
「でも……」
院長は、言葉を続ける。
「代わりに、食事の量を増やします」
それは、苦肉の策だった。
祈りの規律を守りつつ、反発を抑えるための。
「……なるほど」
ステラは、ゆっくり頷いた。
「ええ落としどころ、やと思うで」
院長が、ほっと息を吐く。
「分かっていただけて……」
「ただし」
ステラは、穏やかに言った。
「うちは、外の人を追い返す役はせえへん」
院長の表情が、固まる。
「……それは」
「ここが聖域やからこそや」
ステラは、真っ直ぐ院長を見る。
「腹減っとる人を門前払いしたら、祈りの意味が消える」
院長は、しばらく黙った。
「……私が、説明します」
そう言うのが、精一杯だった。
門の外では、人々が静かに待っていた。
誰も騒がない。ただ、期待と不安が混じった視線を向ける。
「今日は、粉焼きはありません」
院長が告げると、小さなどよめきが起きた。
「……でも」
続ける。
「食事は、あります。祈りの後に」
安堵の空気が、広がった。
ステラは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
――人は、完全に拒まれるのが一番怖い。
――少しでも居場所があれば、暴れへん。
「よう分かっとるやん、院長さん」
内心で、そう呟く。
昼前、修道院の中庭に、王都教会の使者が現れた。
法衣は整い、顔は無表情。
しかし、視線は明らかに“人の多さ”を警戒している。
「……この状況は、想定外です」
使者が、院長に言う。
「ええ。ですが、秩序は保たれております」
「……元聖女は?」
「……静養中です」
院長は、嘘をついたわけではない。
ただ、定義が違うだけだ。
使者の視線が、遠くで人と話すステラを捉えた。
「……あれが、“静養”ですか」
「ええ」
院長は、腹を括った。
「本人なりの」
使者は、鼻で息を吐いた。
「……王都では、こうした噂が立ち始めています」
低い声。
「“追放された聖女の方が、人を救っている”と」
院長の背筋に、冷たいものが走る。
「それは……」
「危険な噂です」
使者は、きっぱりと言った。
「聖女クレア様の権威を揺るがす」
その言葉を、ステラは聞いていた。
遠くから、だが確かに。
「……ああ、なるほど」
小さく呟く。
「それが本音かいな」
その夜、ステラは自室で、珍しく長く考え込んでいた。
――人が増えすぎると、
――“矢面”に立たされる。
それは、避けたい。
――でも、引いたら、全部無駄になる。
頭の奥の声が、静かに言う。
――次は、“線引き”や。
「せやな」
ステラは、飴を一つ口に入れた。
「全員救うは、無理や」
甘さが、舌に広がる。
「せやけど」
窓の外を見る。
「切り捨てる気も、あらへん」
修道院は今、
祈りの場であり、
人の集まる場であり、
そして――
王都と真正面から向き合う場所に、なりつつあった。
静養は、もう名ばかりだ。
次に動くのは、
教会か、
王太子か、
それとも――
ステラ・ダンクル自身か。
風向きは、確実に変わっていた。
修道院の朝が、以前と同じ静けさを取り戻すことはなかった。
鐘が鳴る前から、人の気配がある。門の外で待つ者、回廊に耳を澄ます者、台所の匂いを探す者。祈りの時間を守るため、皆が声を潜めているのが、かえって異様だった。
「……増えすぎやな」
ステラ・ダンクルは、窓辺で腕を組んだ。
昨日、粉と油を取り上げられた結果、人が増えた。
今日はその余波で、さらに人が集まっている。
――完全に逆効果や。
「せやね」
頭の奥の声が、低く笑う。
――止めようとしたら、目立つ。
――隠そうとしたら、広がる。
廊下の向こうで、院長の足音が近づく。
「ステラ様……」
声に、疲労が滲んでいる。
「今朝、王都教会から使いが来ました」
「監査?」
「……それ以上です」
院長は、重く言った。
「“指示”です」
ステラは、ゆっくり振り返った。
「ほう」
「修道院は、あくまで祈りの場。外部の者の出入りを制限せよ、と」
「せやろな」
驚きはなかった。
「で?」
「……あなたの行動についても」
院長は言い淀む。
「“善意であっても、影響が大きすぎる”と」
その言い回しに、ステラは小さく笑った。
「便利な言葉やな」
「え?」
「止めたい時に使える」
院長は否定できなかった。
「……本日は、台所の使用を停止します」
修道女たちの間に、ざわめきが走る。
「え……」
「でも……」
院長は、言葉を続ける。
「代わりに、食事の量を増やします」
それは、苦肉の策だった。
祈りの規律を守りつつ、反発を抑えるための。
「……なるほど」
ステラは、ゆっくり頷いた。
「ええ落としどころ、やと思うで」
院長が、ほっと息を吐く。
「分かっていただけて……」
「ただし」
ステラは、穏やかに言った。
「うちは、外の人を追い返す役はせえへん」
院長の表情が、固まる。
「……それは」
「ここが聖域やからこそや」
ステラは、真っ直ぐ院長を見る。
「腹減っとる人を門前払いしたら、祈りの意味が消える」
院長は、しばらく黙った。
「……私が、説明します」
そう言うのが、精一杯だった。
門の外では、人々が静かに待っていた。
誰も騒がない。ただ、期待と不安が混じった視線を向ける。
「今日は、粉焼きはありません」
院長が告げると、小さなどよめきが起きた。
「……でも」
続ける。
「食事は、あります。祈りの後に」
安堵の空気が、広がった。
ステラは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
――人は、完全に拒まれるのが一番怖い。
――少しでも居場所があれば、暴れへん。
「よう分かっとるやん、院長さん」
内心で、そう呟く。
昼前、修道院の中庭に、王都教会の使者が現れた。
法衣は整い、顔は無表情。
しかし、視線は明らかに“人の多さ”を警戒している。
「……この状況は、想定外です」
使者が、院長に言う。
「ええ。ですが、秩序は保たれております」
「……元聖女は?」
「……静養中です」
院長は、嘘をついたわけではない。
ただ、定義が違うだけだ。
使者の視線が、遠くで人と話すステラを捉えた。
「……あれが、“静養”ですか」
「ええ」
院長は、腹を括った。
「本人なりの」
使者は、鼻で息を吐いた。
「……王都では、こうした噂が立ち始めています」
低い声。
「“追放された聖女の方が、人を救っている”と」
院長の背筋に、冷たいものが走る。
「それは……」
「危険な噂です」
使者は、きっぱりと言った。
「聖女クレア様の権威を揺るがす」
その言葉を、ステラは聞いていた。
遠くから、だが確かに。
「……ああ、なるほど」
小さく呟く。
「それが本音かいな」
その夜、ステラは自室で、珍しく長く考え込んでいた。
――人が増えすぎると、
――“矢面”に立たされる。
それは、避けたい。
――でも、引いたら、全部無駄になる。
頭の奥の声が、静かに言う。
――次は、“線引き”や。
「せやな」
ステラは、飴を一つ口に入れた。
「全員救うは、無理や」
甘さが、舌に広がる。
「せやけど」
窓の外を見る。
「切り捨てる気も、あらへん」
修道院は今、
祈りの場であり、
人の集まる場であり、
そして――
王都と真正面から向き合う場所に、なりつつあった。
静養は、もう名ばかりだ。
次に動くのは、
教会か、
王太子か、
それとも――
ステラ・ダンクル自身か。
風向きは、確実に変わっていた。
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