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第17話 線を引くという、いちばん難しい仕事
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第17話 線を引くという、いちばん難しい仕事
修道院の朝は、相変わらず静かだった。
だがその静けさは、以前のものとは質が違う。
人の気配を押し殺した静けさ。息を潜め、様子をうかがう空気。
「……線引き、なぁ」
ステラ・ダンクルは、中庭の端で腕を組んだ。
昨日の王都教会の使者の言葉は、はっきりと本音を含んでいた。
――権威が揺らぐ。
――噂が危険だ。
つまり、これ以上“目立つな”という警告。
――目立たんようにして、今まで全部目立ってもうたんやけどな。
「せやね」
頭の奥の声が、苦笑する。
――せやから次は、“止め方”を間違えたらあかん。
「わかっとる」
ステラは、ゆっくり息を吐いた。
そのとき、修道女の一人が駆け寄ってきた。
「ステラ様……門の外に、また人が」
「今日は何人くらい?」
「……昨日より、少し多いです」
「ほな、そろそろやな」
ステラは、頷いた。
台所に向かう途中、修道女たちが不安そうにこちらを見ている。
粉焼きは止めた。無料の温かい軽食も、昨日で一区切りにした。
それでも人は来る。
“あそこへ行けば、何かある”
その期待だけが、独り歩きしている。
「みんな、集まって」
中庭で、ステラは声を上げた。
修道女たち、下働きの者、そして様子をうかがっていた町の人々が、距離を保って集まる。
院長も、少し離れた場所で見守っていた。
「今日はな、話がある」
ざわつきが、すっと静まる。
「修道院は、祈りの場や」
当たり前の言葉を、あえて口にする。
「せやから、毎日ここで飯配るんは、もうやらへん」
小さなどよめき。
「……でも」
ステラは、手を上げた。
「困っとる人を追い返す気も、ない」
視線が集まる。
「やから、決める」
ゆっくり、はっきり。
「ここに来てええ人と、来たらあかん人」
空気が、張りつめた。
「え……?」
誰かが、小さく声を漏らす。
「今日からな」
ステラは続ける。
「修道院は、“通り道”や。溜まり場やない」
人々の間に、戸惑いが走る。
「腹減ったから来るのは、ええ」
「話を聞いてほしいから来るのも、ええ」
「せやけど」
一拍置く。
「毎日、ここで何かもらおう思って来るんは、違う」
厳しい言葉だ。
だが、声は柔らかい。
「ここは、居座る場所やない。立ち直るまで、立ち止まる場所や」
沈黙。
やがて、年配の男が一歩前に出た。
「……じゃあ、俺たちは?」
「町に帰る」
即答。
「帰って、自分の飯作る」
「……それが、できん人は?」
ステラは、その問いを待っていた。
「そういう人はな」
懐から、飴を一つ取り出す。
「“今日一日”の分は、渡す」
ざわめき。
「明日も来たら、話は聞く」
「でも、毎日は渡さへん」
院長が、はっとした。
――依存を、切る気だ。
ステラは、続ける。
「楽やから、ここ来る」
「それ、あかん」
はっきりと。
「楽やから、誰かに任せる」
「それも、あかん」
人々の顔に、戸惑いと反発と、少しの理解が混じる。
「冷たい思う?」
ステラは、問いかけた。
「せやろな」
自分で頷く。
「せやけどな」
声を、少しだけ低くする。
「ずっと甘いと、立ち上がれへん」
その言葉は、誰よりも自分に向いていた。
聖女として、黙って耐えてきた過去。
誰かに委ねて、誰かに決めさせてきた日々。
「うちは、面倒見えへん」
正直な言葉。
「せやから、線を引く」
しばらくして、一人の女性が、深く頭を下げた。
「……分かりました」
次々と、頷きが広がる。
全員ではない。
だが、十分だった。
人は、静かに散っていった。
院長が、ステラのもとへ来る。
「……反発が出ます」
「出るやろな」
「それでも、ですか」
「それでもや」
ステラは、空を見上げた。
「依存されたままやったら、うちも、この修道院も、潰れる」
院長は、深く息を吐いた。
「……あなたは、本当に聖女向きではありませんね」
「知っとる」
ステラは、にっと笑った。
「おばちゃん向きや」
その夜、修道院は久しぶりに、静かな静けさを取り戻した。
だがそれは、逃げの静けさではない。
整理された、覚悟のある静けさだ。
ステラは、自室で飴を舐めながら、独り言を呟いた。
「線引くんが、一番しんどい仕事やな」
頭の奥の声が、静かに返す。
――せやけど、それができたら、本物や。
「……まだやで」
ステラは、小さく笑った。
「うちは、まだ途中や」
修道院の灯りが、一つずつ消えていく。
その光景を見ながら、ステラ・ダンクルは理解していた。
ここから先は、“優しさ”だけでは進めない。
だが同時に――
優しさを捨てたら、意味もなくなる。
その狭間を歩く覚悟が、
今、ようやく定まったところだった。
修道院の朝は、相変わらず静かだった。
だがその静けさは、以前のものとは質が違う。
人の気配を押し殺した静けさ。息を潜め、様子をうかがう空気。
「……線引き、なぁ」
ステラ・ダンクルは、中庭の端で腕を組んだ。
昨日の王都教会の使者の言葉は、はっきりと本音を含んでいた。
――権威が揺らぐ。
――噂が危険だ。
つまり、これ以上“目立つな”という警告。
――目立たんようにして、今まで全部目立ってもうたんやけどな。
「せやね」
頭の奥の声が、苦笑する。
――せやから次は、“止め方”を間違えたらあかん。
「わかっとる」
ステラは、ゆっくり息を吐いた。
そのとき、修道女の一人が駆け寄ってきた。
「ステラ様……門の外に、また人が」
「今日は何人くらい?」
「……昨日より、少し多いです」
「ほな、そろそろやな」
ステラは、頷いた。
台所に向かう途中、修道女たちが不安そうにこちらを見ている。
粉焼きは止めた。無料の温かい軽食も、昨日で一区切りにした。
それでも人は来る。
“あそこへ行けば、何かある”
その期待だけが、独り歩きしている。
「みんな、集まって」
中庭で、ステラは声を上げた。
修道女たち、下働きの者、そして様子をうかがっていた町の人々が、距離を保って集まる。
院長も、少し離れた場所で見守っていた。
「今日はな、話がある」
ざわつきが、すっと静まる。
「修道院は、祈りの場や」
当たり前の言葉を、あえて口にする。
「せやから、毎日ここで飯配るんは、もうやらへん」
小さなどよめき。
「……でも」
ステラは、手を上げた。
「困っとる人を追い返す気も、ない」
視線が集まる。
「やから、決める」
ゆっくり、はっきり。
「ここに来てええ人と、来たらあかん人」
空気が、張りつめた。
「え……?」
誰かが、小さく声を漏らす。
「今日からな」
ステラは続ける。
「修道院は、“通り道”や。溜まり場やない」
人々の間に、戸惑いが走る。
「腹減ったから来るのは、ええ」
「話を聞いてほしいから来るのも、ええ」
「せやけど」
一拍置く。
「毎日、ここで何かもらおう思って来るんは、違う」
厳しい言葉だ。
だが、声は柔らかい。
「ここは、居座る場所やない。立ち直るまで、立ち止まる場所や」
沈黙。
やがて、年配の男が一歩前に出た。
「……じゃあ、俺たちは?」
「町に帰る」
即答。
「帰って、自分の飯作る」
「……それが、できん人は?」
ステラは、その問いを待っていた。
「そういう人はな」
懐から、飴を一つ取り出す。
「“今日一日”の分は、渡す」
ざわめき。
「明日も来たら、話は聞く」
「でも、毎日は渡さへん」
院長が、はっとした。
――依存を、切る気だ。
ステラは、続ける。
「楽やから、ここ来る」
「それ、あかん」
はっきりと。
「楽やから、誰かに任せる」
「それも、あかん」
人々の顔に、戸惑いと反発と、少しの理解が混じる。
「冷たい思う?」
ステラは、問いかけた。
「せやろな」
自分で頷く。
「せやけどな」
声を、少しだけ低くする。
「ずっと甘いと、立ち上がれへん」
その言葉は、誰よりも自分に向いていた。
聖女として、黙って耐えてきた過去。
誰かに委ねて、誰かに決めさせてきた日々。
「うちは、面倒見えへん」
正直な言葉。
「せやから、線を引く」
しばらくして、一人の女性が、深く頭を下げた。
「……分かりました」
次々と、頷きが広がる。
全員ではない。
だが、十分だった。
人は、静かに散っていった。
院長が、ステラのもとへ来る。
「……反発が出ます」
「出るやろな」
「それでも、ですか」
「それでもや」
ステラは、空を見上げた。
「依存されたままやったら、うちも、この修道院も、潰れる」
院長は、深く息を吐いた。
「……あなたは、本当に聖女向きではありませんね」
「知っとる」
ステラは、にっと笑った。
「おばちゃん向きや」
その夜、修道院は久しぶりに、静かな静けさを取り戻した。
だがそれは、逃げの静けさではない。
整理された、覚悟のある静けさだ。
ステラは、自室で飴を舐めながら、独り言を呟いた。
「線引くんが、一番しんどい仕事やな」
頭の奥の声が、静かに返す。
――せやけど、それができたら、本物や。
「……まだやで」
ステラは、小さく笑った。
「うちは、まだ途中や」
修道院の灯りが、一つずつ消えていく。
その光景を見ながら、ステラ・ダンクルは理解していた。
ここから先は、“優しさ”だけでは進めない。
だが同時に――
優しさを捨てたら、意味もなくなる。
その狭間を歩く覚悟が、
今、ようやく定まったところだった。
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