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第四話 空白の玉座
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第四話 空白の玉座
王都再建区画の第五街区で、初めて足場が外された。
外された、といっても完成したからではない。資材が届かず、職人が帰り、ただ組まれたままの骨組みだけが残されたのだ。風が吹くたび、木材が軋む音が鳴る。まるで、誰かがため息をついているかのように。
「今日も作業は中止だ」
現場監督の声が虚しく響く。
人々は不安げに空を見上げる。原因はまだ知らされていない。だが、“何かが止まった”ことだけは、誰の目にも明らかだった。
その頃、王宮の謁見の間では、重苦しい沈黙が流れていた。
玉座に座る国王は、静かに報告書を読んでいる。左右には重臣たち。王太子レオニードは、腕を組んで立っていた。
「再建基金の第二期支払い、未着。北方鉱山、掘削停止。東方交易、契約見直し……」
財務大臣ガレインの声は低い。
「すべて、ヴァルテール公爵家関連です」
国王は顔を上げない。
「王太子」
「……はい、父上」
「婚約破棄は、正式に通達したのか」
「書面は準備中です」
「撤回の意思はあるか」
その問いに、空気が張り詰める。
「ありません」
即答だった。
「私は正しい選択をしたと確信しております。国には温かさが必要です。冷たい計算ではなく、人心を掴む統治を――」
「人心は腹ではなく、食卓で掴むものだ」
国王の声が静かに割り込む。
レオニードは言葉を失った。
「資金が止まれば、工事は止まる。工事が止まれば、雇用が消える。雇用が消えれば、民は飢える」
「……ですが、公爵家がそこまで強硬に出るとは思いませんでした」
「思わなかった、で済む話か?」
国王が初めて顔を上げる。
その目は、怒りよりも失望を帯びていた。
「婚約とは、感情ではなく、国の均衡だ。均衡を崩したのはお前だ」
レオニードは唇を噛む。
ミレーヌが、謁見の間の端で不安そうに立っている。彼女の存在が、この場ではあまりにも軽い。
「父上、いまからでも交渉を――」
「交渉? 何を差し出す」
沈黙。
王家には名誉はある。だが、資本はない。
「……公爵家は、戻らぬだろう」
国王はそう言って、報告書を閉じた。
王太子の足元で、目に見えない何かが崩れ始めていた。
一方、ヴァルテール公爵邸。
私は応接室で、新たな訪問者を迎えていた。
入ってきたのは、王国で“影”と呼ばれる家門の当主――シリウス公爵。
黒を基調とした衣装。無駄のない所作。冷たいほど整った容貌。
「婚約破棄、お見事でした」
挨拶代わりの一言が、それだった。
「祝われるようなことではございませんわ」
「いや。あれは宣戦布告ではなく、撤退宣言だ。実に理性的だ」
彼は微かに笑う。
「王宮は揺れている。殿下はまだ事態の重みを理解していない」
「理解する頃には、遅いでしょう」
「そうだな」
彼は椅子に腰を下ろした。
「そこで提案だ。ヴァルテール公爵家が撤退した穴、我が家と共同で再編しないか」
私は視線を上げる。
「王家を通さず?」
「通さずに」
静かな言葉だが、その意味は重い。
王家を迂回した経済圏の構築。
「なぜ私に?」
「君は数字を読み、先を読む。王太子にはそれがない」
率直すぎる評価に、わずかに目を細める。
「私は王家に敵対するつもりはございません」
「敵対ではない。合理化だ」
彼は続ける。
「王家が感情で動くなら、我々は理で動く。どちらが長く持つか、試す価値はある」
窓の外で、鐘が鳴る。
私はしばし考え、やがて口を開く。
「条件があります」
「聞こう」
「教育基金の設立。王妃教育機関の基礎資金を、共同で出資していただきたい」
「……面白い」
彼は目を細める。
「王妃教育機関?」
「感情と理の両立を学ぶ場。未来の王妃が、数字を読めぬなど、あってはなりませんもの」
しばしの沈黙。
やがて彼は、小さく笑った。
「やはり、君は奪われる側ではないな」
「奪われる予定はございませんわ」
視線が交わる。
その瞬間、ただの撤退だったはずの出来事が、新しい局面へと変わった。
王宮では、空白が広がる。
玉座の隣に立つはずだった席が、ぽっかりと空いている。
そして私は、その空白を埋めるつもりはない。
空白は、やがて誰かを飲み込む。
それが誰になるのか。
決まるのは、もう少し先の話だ。
夜が降りる。
王宮の灯りは、まだ消えない。
だが、その光は、どこか心許なかった。
王都再建区画の第五街区で、初めて足場が外された。
外された、といっても完成したからではない。資材が届かず、職人が帰り、ただ組まれたままの骨組みだけが残されたのだ。風が吹くたび、木材が軋む音が鳴る。まるで、誰かがため息をついているかのように。
「今日も作業は中止だ」
現場監督の声が虚しく響く。
人々は不安げに空を見上げる。原因はまだ知らされていない。だが、“何かが止まった”ことだけは、誰の目にも明らかだった。
その頃、王宮の謁見の間では、重苦しい沈黙が流れていた。
玉座に座る国王は、静かに報告書を読んでいる。左右には重臣たち。王太子レオニードは、腕を組んで立っていた。
「再建基金の第二期支払い、未着。北方鉱山、掘削停止。東方交易、契約見直し……」
財務大臣ガレインの声は低い。
「すべて、ヴァルテール公爵家関連です」
国王は顔を上げない。
「王太子」
「……はい、父上」
「婚約破棄は、正式に通達したのか」
「書面は準備中です」
「撤回の意思はあるか」
その問いに、空気が張り詰める。
「ありません」
即答だった。
「私は正しい選択をしたと確信しております。国には温かさが必要です。冷たい計算ではなく、人心を掴む統治を――」
「人心は腹ではなく、食卓で掴むものだ」
国王の声が静かに割り込む。
レオニードは言葉を失った。
「資金が止まれば、工事は止まる。工事が止まれば、雇用が消える。雇用が消えれば、民は飢える」
「……ですが、公爵家がそこまで強硬に出るとは思いませんでした」
「思わなかった、で済む話か?」
国王が初めて顔を上げる。
その目は、怒りよりも失望を帯びていた。
「婚約とは、感情ではなく、国の均衡だ。均衡を崩したのはお前だ」
レオニードは唇を噛む。
ミレーヌが、謁見の間の端で不安そうに立っている。彼女の存在が、この場ではあまりにも軽い。
「父上、いまからでも交渉を――」
「交渉? 何を差し出す」
沈黙。
王家には名誉はある。だが、資本はない。
「……公爵家は、戻らぬだろう」
国王はそう言って、報告書を閉じた。
王太子の足元で、目に見えない何かが崩れ始めていた。
一方、ヴァルテール公爵邸。
私は応接室で、新たな訪問者を迎えていた。
入ってきたのは、王国で“影”と呼ばれる家門の当主――シリウス公爵。
黒を基調とした衣装。無駄のない所作。冷たいほど整った容貌。
「婚約破棄、お見事でした」
挨拶代わりの一言が、それだった。
「祝われるようなことではございませんわ」
「いや。あれは宣戦布告ではなく、撤退宣言だ。実に理性的だ」
彼は微かに笑う。
「王宮は揺れている。殿下はまだ事態の重みを理解していない」
「理解する頃には、遅いでしょう」
「そうだな」
彼は椅子に腰を下ろした。
「そこで提案だ。ヴァルテール公爵家が撤退した穴、我が家と共同で再編しないか」
私は視線を上げる。
「王家を通さず?」
「通さずに」
静かな言葉だが、その意味は重い。
王家を迂回した経済圏の構築。
「なぜ私に?」
「君は数字を読み、先を読む。王太子にはそれがない」
率直すぎる評価に、わずかに目を細める。
「私は王家に敵対するつもりはございません」
「敵対ではない。合理化だ」
彼は続ける。
「王家が感情で動くなら、我々は理で動く。どちらが長く持つか、試す価値はある」
窓の外で、鐘が鳴る。
私はしばし考え、やがて口を開く。
「条件があります」
「聞こう」
「教育基金の設立。王妃教育機関の基礎資金を、共同で出資していただきたい」
「……面白い」
彼は目を細める。
「王妃教育機関?」
「感情と理の両立を学ぶ場。未来の王妃が、数字を読めぬなど、あってはなりませんもの」
しばしの沈黙。
やがて彼は、小さく笑った。
「やはり、君は奪われる側ではないな」
「奪われる予定はございませんわ」
視線が交わる。
その瞬間、ただの撤退だったはずの出来事が、新しい局面へと変わった。
王宮では、空白が広がる。
玉座の隣に立つはずだった席が、ぽっかりと空いている。
そして私は、その空白を埋めるつもりはない。
空白は、やがて誰かを飲み込む。
それが誰になるのか。
決まるのは、もう少し先の話だ。
夜が降りる。
王宮の灯りは、まだ消えない。
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