『婚約破棄されたので玉座から降りました。――理で王国をざまあします

ふわふわ

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第五話 赤字の始まり

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第五話 赤字の始まり

 王都中央市場の空気が、わずかに変わっていた。

 パン屋の前に並ぶ人々の会話が、いつもより低い。

「小麦の仕入れ値が上がったんですって」

「北方からの鉄が止まったとかで、農具も値上がりするらしいわ」

「再建区画の仕事が止まって、うちの兄も待機中よ」

 まだ“危機”と呼ぶほどではない。だが、確実に“違和感”は広がっていた。

 王宮財務局では、緊急会議が開かれていた。

「基金の第二期支払いが未着のまま、王都再建の進捗は三割遅延」

「港湾整備の入札も、三社が辞退」

「王立銀行の短期借入枠が逼迫しております」

 次々と報告が上がる。

 財務大臣ガレインは、もはや顔色を隠そうともしなかった。

「原因は明白だ」

 誰も口に出さないが、全員が理解している。

 ヴァルテール公爵家の撤退。

「王太子殿下には?」

「……まだ詳細は」

 補佐官が答える。

 そのとき、扉が開いた。

「私の名が出たようだな」

 レオニードが入ってくる。

 場の空気がさらに重くなる。

「殿下、ちょうど……」

「鉱山の件か。公爵家の嫌がらせだろう」

 その一言に、数名の官僚が顔をしかめた。

「嫌がらせではございません。契約終了に伴う資本撤退です」

「同じことだ」

 レオニードは机を叩く。

「王家に逆らえばどうなるか、思い知らせればよい」

「……具体策はございますか」

 静かな問い。

 答えはない。

「別の商会を当たれ。隣国から資材を買えばいい」

「価格が三割増になります」

「国庫で負担しろ」

「すでに赤字です」

 その言葉が、部屋を凍らせた。

「赤字、だと?」

「はい。再建基金の穴を埋めるため、短期借入を繰り返しております。このままでは三ヶ月持ちません」

 レオニードの表情が、初めて揺らいだ。

「……三ヶ月?」

「はい」

 数字は嘘をつかない。

 そして、数字は感情を忖度しない。

 一方、ヴァルテール公爵邸。

 私は新たな報告書を受け取っていた。

「王立銀行が、利率引き上げを検討中とのことです」

 執事クラウスが淡々と告げる。

「王家の信用が揺らいでいる証拠ですわね」

「はい。商会の一部が、公爵家保証付きの新規融資を希望しております」

「条件を精査して。無理はしないこと」

 私は椅子に背を預ける。

 王家を潰すつもりはない。

 だが、支える義務もない。

 扉が叩かれる。

「シリウス公爵より書簡が」

 封を切る。

『港湾再編計画、進行中。公爵家と共同出資の新商会、設立準備完了。王家を介さず交易可能』

 私は小さく息を吐いた。

 理で動く者は、行動が早い。

 そのとき、窓の外で馬車の音が止まった。

「王宮より使者です」

 再び、か。

 入ってきたのは、今度は財務大臣ガレイン本人だった。

 疲労が顔に刻まれている。

「リディアナ嬢」

「大臣閣下。ご足労を」

「単刀直入に申す。基金の継続をお願いしたい」

「婚約は破棄されました」

「承知している。だが、国は残る」

 私は彼の目を見る。

 そこにあるのは、責任感だ。

「条件がございます」

「何だ」

「王太子殿下の財務監督権限の制限。独断での大型支出を禁止する条文を追加」

 ガレインの目が見開かれる。

「それは……殿下の権威を削ぐ」

「数字を読めない権威は、国を沈めます」

 沈黙。

 やがて、彼はゆっくりと息を吐いた。

「陛下と協議しよう」

「それが通らぬなら、基金は再開いたしません」

 はっきりと告げる。

 ガレインは深く頭を下げ、去っていった。

 夜、王宮。

「権限制限だと?」

 レオニードの声が響く。

「公爵家はどこまで踏み込む気だ」

「殿下」

 国王が静かに言う。

「数字を見よ」

 机の上に広げられた財務報告書。

 赤い数字が並んでいる。

「三ヶ月だ」

 再び、その言葉。

「お前の決断が、国を三ヶ月で傾ける」

 レオニードは拳を握る。

「私は間違っていない」

「正しさは、結果で示すものだ」

 沈黙。

 王宮の灯りが揺れる。

 王都の市場では、小麦の値がさらに上がる。

 港では船が足止めされる。

 工事現場では職人が去る。

 そして私は、帳簿を閉じる。

 赤字は始まりに過ぎない。

 本当の崩れは、これから。

 愛を選んだ王太子。

 数字を選んだ公爵令嬢。

 どちらが国を守れるか。

 答えは、すでに動き出していた。
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