『婚約破棄されたので玉座から降りました。――理で王国をざまあします

ふわふわ

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第六話 撤退の速度

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第六話 撤退の速度

 北方鉱山の坑道に、久しぶりに静寂が落ちていた。

 いつもなら鉄を削る音と、男たちの掛け声が響く場所だ。だが今は、灯りだけが淡く揺れ、作業台には未使用の工具が整然と並んでいる。

「技術顧問、全員帰還完了です」

「残留は現地管理員のみ。維持費最小限へ移行」

 報告書に淡々と記された一文。

 それは、感情のない宣告だった。

 王都では、再建区画の足場がさらに外されていく。

「資材が届かないなら、工期延長だ」

「延長分の賃金は?」

「国庫待ちだ」

 職人たちの顔が曇る。

 仕事は止まり、日銭も止まる。

 まだ暴動は起きない。だが、不満は確実に積み上がっている。

 王宮財務局。

「借入限度額、残り三割」

「利率、さらに上昇」

「隣国からの資材輸入、予算超過」

 報告のたびに、空気が重くなる。

 財務大臣ガレインは、ついに国王へ進言した。

「陛下、撤退の速度が予想以上です」

「公爵家は段階的に止めると言っていたはずだ」

「はい。しかし“段階的”の速度が速い」

 王は静かに目を閉じた。

「王太子は?」

「軍の視察へ」

 その頃、レオニードは城外の演習場にいた。

 兵士たちの前で、力強く演説する。

「国は揺るがぬ。我々が守る!」

 歓声が上がる。

 だが、その背後で、軍需品の一部が不足し始めていることを、彼はまだ知らない。

 鉄材価格の上昇は、武具にも影響を及ぼす。

 王宮の一室。

 ミレーヌは、侍女たちに囲まれていた。

「最近、殿下がお疲れのようで……」

「公務が増えているのですわ」

「わたくし、何かお役に立てませんかしら」

 彼女の言葉は純粋だ。

 だが、侍女の一人が小さく視線を伏せる。

 役に立つとは、何を指すのか。

 一方、ヴァルテール公爵邸。

 私は、港湾再編計画の書類に目を通していた。

「東方交易商会、正式に新契約を締結」

「港湾使用料、公爵家主導で再設定」

 執事クラウスが報告する。

「王家を経由しない物流網、完成まであと二週間です」

「早いわね」

「商人は安定を好みます」

 その通り。

 商人にとって重要なのは、王家の名誉ではない。

 支払いが滞らないこと。

 契約が守られること。

 数字が正確であること。

 扉が叩かれる。

「シリウス公爵がご到着です」

 彼はいつも通り無駄のない動きで現れた。

「撤退、順調だな」

「予定通りですわ」

「王宮は焦っている」

「焦りは判断を誤らせます」

 彼は軽く頷く。

「王立銀行が、王家保証の債券発行を検討中だ」

「信用が下がっているのに?」

「だからこそ、だ」

 私は考える。

 債券は一時しのぎ。

 だが、利率が上がれば返済が重くなる。

「三ヶ月が、二ヶ月に縮まりますわね」

「同感だ」

 彼は一歩近づく。

「戻る気はないのだな」

「ございません」

「後悔は?」

「数字に後悔はありません」

 その言葉に、彼は微かに笑った。

「やはり君は、感情よりも理を選ぶ」

「感情は大切です。ですが、土台の上にあってこそ」

 王宮の灯りが、遠くに見える。

 あの中で、誰かが焦り、誰かが怒り、誰かが現実を直視し始めている。

 夜更け。

 王太子はようやく財務報告書を手にした。

「赤字、拡大?」

「はい、殿下」

「なぜだ!」

「基金停止と、資材高騰が原因です」

 レオニードは紙を握りしめる。

「公爵家がここまで徹底するとは……」

「殿下、今からでも条件を飲むべきかと」

「権限制限など受け入れられるか!」

 机が揺れる。

 だが、怒りでは数字は消えない。

 王宮の廊下で、侍従たちが囁く。

「三ヶ月持たぬとか」

「いや、もっと早いかもしれない」

 撤退の速度は、加速していた。

 そして私は、窓辺に立つ。

 夜風がカーテンを揺らす。

 撤退とは、ただ引くことではない。

 次の布石を打ちながら、余白を作ること。

 王宮の玉座の隣は、いま空白だ。

 だが、その空白は、やがて均衡を崩す。

 崩れた先に立つ者が誰か。

 それは、もうすぐ決まる。

 撤退は終わった。

 次は、再編の番だ。
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