『婚約破棄されたので玉座から降りました。――理で王国をざまあします

ふわふわ

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第七話 最初の値上げ

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第七話 最初の値上げ

 王都の朝は、いつも通り鐘の音で始まった。

 だがその音色の下で、確実に何かが変わっている。

「本日より、小麦の価格を二割引き上げます」

 中央市場の掲示板に貼り出された紙を前に、人々がざわめいた。

「二割だと? 先週も上がったばかりじゃないか」

「北方の流通が滞っているらしいぞ」

「再建工事が止まって、荷車も減ってるって聞いた」

 小さな波紋が、確実に広がっていく。

 パン屋の主人は困ったように額をかいた。

「仕入れが高くなりゃ、売値を上げるしかない。うちだって慈善事業じゃないんだ」

 誰も悪くない。

 ただ、歯車が一つ外れただけ。

 その歯車がどれほど大きかったかを、まだ多くの者は知らない。

 王宮財務局では、さらに厳しい報告が上がっていた。

「港湾使用料の収入が減少」

「東方交易商会が、王家を経由しない新ルートを確立」

「王立銀行の短期債券、応募率五割未満」

 財務大臣ガレインは、机に両手をついた。

「五割……」

「信用が揺らいでおります」

「まだ“揺らぎ”の段階だ」

 だが、その声に力はない。

 そこへ、王太子レオニードが入ってきた。

「市場が騒がしいと聞いた」

「小麦価格が上昇しました」

「一時的なものだろう」

「はい、原因が解消されれば」

 ガレインは、わずかに言葉を選ぶ。

「原因とは?」

「北方流通の停滞、および資本撤退です」

 沈黙。

「……公爵家か」

「はい」

 レオニードは苛立ちを隠さない。

「たかが商会の動きで、国が揺らぐはずがない」

「“たかが”ではございません」

 ガレインは静かに続ける。

「王都再建、鉱山、港湾。その全てに公爵家資本が絡んでおります」

「ならば別の資本を入れればいい!」

「信用が足りません」

 その言葉に、レオニードの表情が硬くなる。

「信用だと?」

「はい。現在の利率では、どの商会も慎重です」

 王太子は、拳を握った。

「公爵家は、国を人質に取る気か」

「いいえ」

 ガレインは首を振る。

「ただ撤退しているだけです」

 その言葉が、重く落ちる。

 一方、ヴァルテール公爵邸。

 私は市場報告を読み終え、静かに書類を閉じた。

「小麦価格、予定より早く上昇しましたわね」

「流通の心理が働いたようです」

 執事クラウスが答える。

「実際の不足よりも、“不安”が値を押し上げています」

「当然ですわ」

 不安は、最も高く売れる商品だ。

 私は立ち上がり、窓辺へ歩く。

 王都の屋根が見える。

「備蓄は?」

「公爵家倉庫に十分ございます」

「放出はまだ控えます」

「はい」

 焦らない。

 市場が完全に傾く前に、適切な量を出す。

 それが安定を生む。

 扉が叩かれる。

「シリウス公爵より伝令です」

 受け取った書簡には、短い文。

『港湾再編完了。交易量、王家経由を上回る』

 私は小さく息を吐く。

「早い」

 王家の港を通らぬ船が増えれば、関税収入は減る。

 数字は、さらに赤く染まる。

 その夜、王宮では緊急会議が開かれていた。

「王都での価格上昇が、すでに噂になっております」

「市民の不満が広がる前に、対策を」

「基金再開を求めるしか……」

 全員の視線が、王太子へ向く。

「私は屈しない」

 レオニードは断言した。

「公爵家の条件は、王権の弱体化だ」

「しかし殿下」

「民は理解する。私は愛を選んだ。それは間違いではない」

 その言葉に、誰も反論できなかった。

 愛は否定できない。

 だが、空腹も否定できない。

 夜更け、ミレーヌは王宮の庭に立っていた。

「殿下……大丈夫でしょうか」

 不安が胸を締め付ける。

 彼女は悪意を持たない。

 だが、国の重みを理解するには、あまりにも軽い。

 一方、私は机に向かう。

 小麦備蓄の放出計画、商会との新契約、教育基金設立準備。

 全てが順調だ。

 これは復讐ではない。

 均衡の再配置。

 王太子が感情を優先した瞬間、均衡は崩れた。

 ならば、新しい均衡を築く者が必要だ。

 市場での最初の値上げ。

 それは小さな出来事。

 だが、それは国の体温を示す兆し。

 熱は、確実に上がっている。

 私は静かにペンを置く。

「三ヶ月は、持たないかもしれませんわね」

 誰にともなく呟く。

 窓の外、王宮の灯りが揺れる。

 揺らぎは、もはや止まらない。

 そして、私はその中心にはいない。

 ただ、外側から眺めている。

 数字が語る未来を。
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