8 / 41
第八話 綻びの音
しおりを挟む
第八話 綻びの音
王都再建区画で、初めて「解体」の指示が出た。
未完成の足場を外すのではない。すでに建て始めていた石壁の一部を取り壊すのだ。資材の確保が不透明なまま工事を続ければ、後に大規模な補修が必要になる――そう判断された。
「いったん戻すしかない」
現場監督の声は沈んでいた。
積み上げられた石材が、静かに崩される。乾いた音が広がるたび、見物人の胸に何かが落ちる。
――あれは、進歩の音ではない。
後退の音だ。
中央市場では、さらに新しい張り紙が出た。
「鉄製農具、来週より値上げ」
「港湾税、一時増額」
商人たちは顔をしかめながらも、計算機を叩く。
原因は単純だ。
鉄材不足。物流の変化。関税収入の減少。
だが誰も口にしない。
婚約破棄が、ここまで尾を引くなどと。
王宮財務局。
「王立銀行の短期債券、追加募集は低調」
「利率をさらに上げるべきかと」
「それでは将来の返済が重くなる」
議論は堂々巡りだ。
財務大臣ガレインは、ついに国王へ進言した。
「陛下、基金再開のための条件受諾を検討すべきです」
王は黙したまま、しばらく窓の外を見ていた。
「王太子は?」
「依然として拒否の姿勢です」
深いため息。
「王太子を呼べ」
ほどなくしてレオニードが入室する。
「父上」
「数字を見よ」
机に並べられた報告書。
赤い欄が増えている。
「王都再建遅延率、四割。鉄材価格、三割上昇。港湾収入、二割減」
レオニードは目を通す。
「一時的な揺らぎだ」
「揺らぎが続けば、崩壊となる」
「公爵家が戻れば解決する」
「戻らぬ場合は?」
沈黙。
「……交渉する」
「条件を飲むのか」
その問いに、彼は顔をしかめる。
「王権の制限など」
「王権とは何だ」
国王の声は静かだった。
「国があってこその王権だ。国が傾けば、権威も消える」
レオニードは何も言えなかった。
一方、ヴァルテール公爵邸。
私は港湾再編の最終報告を受け取っていた。
「交易量、旧王家経由比で一・三倍」
「関税収入は?」
「公爵家管理下で安定しております」
「市場価格への影響は?」
「軽微です」
私は小さく頷く。
王家を通さずとも、物流は回る。
むしろ、効率は上がっている。
扉が叩かれる。
「王宮より正式書簡です」
封を切る。
『基金再開の可能性について、再度協議を願いたい』
私は目を細めた。
速度が上がっている。
崩れの音が、王宮にも届いたのだ。
「返書を」
「はい」
「条件は変わりません。財務監督権の制限、及び再建事業の共同管理」
「かしこまりました」
窓の外、夕暮れの空が赤く染まる。
その色は、帳簿の赤と重なる。
夜、王宮の一室。
ミレーヌは、レオニードの前に立っていた。
「殿下……」
「何だ」
「わたくしのせいでしょうか」
彼は顔を上げる。
「何がだ」
「婚約破棄……皆が不安そうで」
レオニードは一瞬、言葉を失う。
「君のせいではない」
「ですが……」
「私は間違っていない」
強く言い切る。
だがその声に、わずかな迷いが混じる。
「国は私が守る」
その言葉の裏で、財務局では新たな数字が赤く染まっていた。
翌朝。
王都再建区画のさらに二区画が、工事延期となる。
市場では、初めて小さな口論が起きた。
「なぜこんなに上がる!」
「仕入れが高いんだ!」
まだ暴動ではない。
だが、綻びの音は確実に大きくなっている。
私は静かに報告を読み終え、椅子に深く腰掛ける。
崩壊とは、一瞬では起きない。
小さな綻びが積み重なり、やがて形になる。
そしていま、形が見え始めている。
私は誰も突き落としていない。
ただ手を離しただけ。
それだけで、国は揺らぐ。
窓の外で、鐘が鳴る。
その音が、どこか不安定に響いていた。
王都再建区画で、初めて「解体」の指示が出た。
未完成の足場を外すのではない。すでに建て始めていた石壁の一部を取り壊すのだ。資材の確保が不透明なまま工事を続ければ、後に大規模な補修が必要になる――そう判断された。
「いったん戻すしかない」
現場監督の声は沈んでいた。
積み上げられた石材が、静かに崩される。乾いた音が広がるたび、見物人の胸に何かが落ちる。
――あれは、進歩の音ではない。
後退の音だ。
中央市場では、さらに新しい張り紙が出た。
「鉄製農具、来週より値上げ」
「港湾税、一時増額」
商人たちは顔をしかめながらも、計算機を叩く。
原因は単純だ。
鉄材不足。物流の変化。関税収入の減少。
だが誰も口にしない。
婚約破棄が、ここまで尾を引くなどと。
王宮財務局。
「王立銀行の短期債券、追加募集は低調」
「利率をさらに上げるべきかと」
「それでは将来の返済が重くなる」
議論は堂々巡りだ。
財務大臣ガレインは、ついに国王へ進言した。
「陛下、基金再開のための条件受諾を検討すべきです」
王は黙したまま、しばらく窓の外を見ていた。
「王太子は?」
「依然として拒否の姿勢です」
深いため息。
「王太子を呼べ」
ほどなくしてレオニードが入室する。
「父上」
「数字を見よ」
机に並べられた報告書。
赤い欄が増えている。
「王都再建遅延率、四割。鉄材価格、三割上昇。港湾収入、二割減」
レオニードは目を通す。
「一時的な揺らぎだ」
「揺らぎが続けば、崩壊となる」
「公爵家が戻れば解決する」
「戻らぬ場合は?」
沈黙。
「……交渉する」
「条件を飲むのか」
その問いに、彼は顔をしかめる。
「王権の制限など」
「王権とは何だ」
国王の声は静かだった。
「国があってこその王権だ。国が傾けば、権威も消える」
レオニードは何も言えなかった。
一方、ヴァルテール公爵邸。
私は港湾再編の最終報告を受け取っていた。
「交易量、旧王家経由比で一・三倍」
「関税収入は?」
「公爵家管理下で安定しております」
「市場価格への影響は?」
「軽微です」
私は小さく頷く。
王家を通さずとも、物流は回る。
むしろ、効率は上がっている。
扉が叩かれる。
「王宮より正式書簡です」
封を切る。
『基金再開の可能性について、再度協議を願いたい』
私は目を細めた。
速度が上がっている。
崩れの音が、王宮にも届いたのだ。
「返書を」
「はい」
「条件は変わりません。財務監督権の制限、及び再建事業の共同管理」
「かしこまりました」
窓の外、夕暮れの空が赤く染まる。
その色は、帳簿の赤と重なる。
夜、王宮の一室。
ミレーヌは、レオニードの前に立っていた。
「殿下……」
「何だ」
「わたくしのせいでしょうか」
彼は顔を上げる。
「何がだ」
「婚約破棄……皆が不安そうで」
レオニードは一瞬、言葉を失う。
「君のせいではない」
「ですが……」
「私は間違っていない」
強く言い切る。
だがその声に、わずかな迷いが混じる。
「国は私が守る」
その言葉の裏で、財務局では新たな数字が赤く染まっていた。
翌朝。
王都再建区画のさらに二区画が、工事延期となる。
市場では、初めて小さな口論が起きた。
「なぜこんなに上がる!」
「仕入れが高いんだ!」
まだ暴動ではない。
だが、綻びの音は確実に大きくなっている。
私は静かに報告を読み終え、椅子に深く腰掛ける。
崩壊とは、一瞬では起きない。
小さな綻びが積み重なり、やがて形になる。
そしていま、形が見え始めている。
私は誰も突き落としていない。
ただ手を離しただけ。
それだけで、国は揺らぐ。
窓の外で、鐘が鳴る。
その音が、どこか不安定に響いていた。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄を伝えられて居るのは帝国の皇女様ですが…国は大丈夫でしょうか【完結】
繭
恋愛
卒業式の最中、王子が隣国皇帝陛下の娘で有る皇女に婚約破棄を突き付けると言う、前代未聞の所業が行われ阿鼻叫喚の事態に陥り、卒業式どころでは無くなる事から物語は始まる。
果たして王子の国は無事に国を維持できるのか?
婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。
幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
(本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)
居候と婚約者が手を組んでいた!
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!
って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!
父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。
アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。
最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。
婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!
パリパリかぷちーの
恋愛
クライネルト公爵令嬢のリーチュは、王太子ジークフリートから卒業パーティーで大勢の前で婚約破棄を告げられる。しかし、王太子妃教育から解放されることを喜ぶリーチュは全く意に介さず、むしろ祝杯をあげる始末。彼女は領地の離宮に引きこもり、趣味である薬草園作りに没頭する自由な日々を謳歌し始める。
人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
王妃さまは断罪劇に異議を唱える
土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。
そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。
彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。
王族の結婚とは。
王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。
王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。
ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。
殿下は婚約破棄した私を“横領犯”として追放しましたが、私が“王国の財布”だとご存じなかったのですか?
なかすあき
恋愛
王太子の婚約者であるレティシアは、愛ではなく“王国の財布”に選ばれた内政官だった。
干ばつ救済基金を管理し、徴税と支出の流れを整え、国が崩れないように回してきたはずなのに。
舞踏会の夜。
聖女セシルの涙と王太子の言葉が、レティシアを一瞬で“横領犯”に仕立て上げる。
反論しても届かない。空気が判決を下す場所で、レティシアは追放された。
落とされた先は、干ばつに喘ぐ辺境。
水のない井戸、荒れた配給所、怒りの列。
レティシアは泣く代わりに、配給と水路と記録を整えた。奇跡ではなく、段取りで。
やがて王都は、レティシアがいなくなった穴から静かに壊れ始める。
支払いは止まり、責任は溶け、聖女の“物語”だけが空回りする。
呼び戻しの使者が来ても、レティシアは従わない。戻る条件はひとつ。
――公開監査。
記録水晶が映し出すのは、涙では隠せない日付と署名、そして“誰が何を決めたか”という事実。
この逃げ場のない復讐劇の先に残るのは、王都の再起ではなく、辺境の明日だった。
これは、道具として捨てられた内政官が、二度と道具に戻らず、“責任を固定する”ことで国を救い、自分の居場所を選び直す物語。
【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?
ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。
卒業3か月前の事です。
卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。
もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。
カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。
でも大丈夫ですか?
婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。
※ゆるゆる設定です
※軽い感じで読み流して下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる