18 / 40
第18話 積み重なる沈黙
しおりを挟む
第18話 積み重なる沈黙
返還請求の書簡を受け取ってから、
数日が過ぎた。
その間、
アセルス・アウストラリスの周囲は、
目に見えて静かになっていた。
――静かすぎる。
かつては、
朝になれば執務室の前に列をなした者たち。
意見を求める貴族、
要望を携えた官僚、
顔を売ろうとする者までいた。
だが今は、
扉の前に立つ者はほとんどいない。
(……皆、忙しいのだろう)
そう思おうとしたが、
廊下の先で誰かが
別の王子の名を口にするのを、
何度も耳にしてしまった。
「リベルタス殿下なら、
午後には時間を取れるそうだ」
「第2王子殿下は、
対応が丁寧で助かる」
そのたびに、
胸の奥がひりつく。
(……代わり、か)
考えまいとすればするほど、
思考は同じ結論に向かう。
誰も明言しない。
誰も否定もしない。
だが――
誰も、
自分を中心に動いていない。
それが、
何より雄弁だった。
午後、
アセルスは久しぶりに
古くからの知己である貴族に
面会を申し込んだ。
返事は、
簡潔だった。
「本日は、
予定が立て込んでおりまして」
翌日も、
同じ答え。
(偶然、か?)
三度目で、
ようやく理解する。
――これは、
断られている。
理由は告げられない。
だが理由は、
誰の目にも明らかだった。
(……王太子では、
ないから)
その言葉が、
頭の中で
はっきりと形を持つ。
夜、
執務机に向かいながら、
アセルスは手を止めた。
インク壺の中身は、
ほとんど減っていない。
書くべき文書が、
ないのだ。
(……何をしてきた?)
自分は、
これまで何を判断し、
何を決めてきたのか。
思い返してみても、
浮かぶのは
「承認した」
「同意した」
という記憶ばかり。
誰かが整えた案を、
誰かが準備した流れを、
自分は“当然”として
受け取ってきただけだった。
(それでも、
うまく回っていた)
――いや。
うまく回していたのは、
周囲だったのだ。
派閥があり、
商会があり、
聖女が――
これから結ばれるはずだった存在があった。
それらを、
自分は
「あるもの」として
扱ってきた。
だが今、
それらは、
一つずつ沈黙している。
否定も、
拒絶もない。
ただ、
離れていくだけ。
「……静かすぎるな」
誰にともなく呟く。
返事はない。
その沈黙こそが、
今の彼の立場を
何よりも正確に
映していた。
この日、
アセルスはようやく――
自分が
“見放されつつある”
という現実を、
言葉にせずとも
理解し始めていた。
だが、
まだ彼は思っている。
(完全に、
終わったわけではない)
取り戻せる。
何か一手を打てば、
流れは変わる。
そう信じている限り、
彼はまだ、
本当の意味では
崩れていなかった。
そしてそれが、
次の選択を――
より致命的なものに
してしまうことを、
この時の彼は
まだ知らない。
返還請求の書簡を受け取ってから、
数日が過ぎた。
その間、
アセルス・アウストラリスの周囲は、
目に見えて静かになっていた。
――静かすぎる。
かつては、
朝になれば執務室の前に列をなした者たち。
意見を求める貴族、
要望を携えた官僚、
顔を売ろうとする者までいた。
だが今は、
扉の前に立つ者はほとんどいない。
(……皆、忙しいのだろう)
そう思おうとしたが、
廊下の先で誰かが
別の王子の名を口にするのを、
何度も耳にしてしまった。
「リベルタス殿下なら、
午後には時間を取れるそうだ」
「第2王子殿下は、
対応が丁寧で助かる」
そのたびに、
胸の奥がひりつく。
(……代わり、か)
考えまいとすればするほど、
思考は同じ結論に向かう。
誰も明言しない。
誰も否定もしない。
だが――
誰も、
自分を中心に動いていない。
それが、
何より雄弁だった。
午後、
アセルスは久しぶりに
古くからの知己である貴族に
面会を申し込んだ。
返事は、
簡潔だった。
「本日は、
予定が立て込んでおりまして」
翌日も、
同じ答え。
(偶然、か?)
三度目で、
ようやく理解する。
――これは、
断られている。
理由は告げられない。
だが理由は、
誰の目にも明らかだった。
(……王太子では、
ないから)
その言葉が、
頭の中で
はっきりと形を持つ。
夜、
執務机に向かいながら、
アセルスは手を止めた。
インク壺の中身は、
ほとんど減っていない。
書くべき文書が、
ないのだ。
(……何をしてきた?)
自分は、
これまで何を判断し、
何を決めてきたのか。
思い返してみても、
浮かぶのは
「承認した」
「同意した」
という記憶ばかり。
誰かが整えた案を、
誰かが準備した流れを、
自分は“当然”として
受け取ってきただけだった。
(それでも、
うまく回っていた)
――いや。
うまく回していたのは、
周囲だったのだ。
派閥があり、
商会があり、
聖女が――
これから結ばれるはずだった存在があった。
それらを、
自分は
「あるもの」として
扱ってきた。
だが今、
それらは、
一つずつ沈黙している。
否定も、
拒絶もない。
ただ、
離れていくだけ。
「……静かすぎるな」
誰にともなく呟く。
返事はない。
その沈黙こそが、
今の彼の立場を
何よりも正確に
映していた。
この日、
アセルスはようやく――
自分が
“見放されつつある”
という現実を、
言葉にせずとも
理解し始めていた。
だが、
まだ彼は思っている。
(完全に、
終わったわけではない)
取り戻せる。
何か一手を打てば、
流れは変わる。
そう信じている限り、
彼はまだ、
本当の意味では
崩れていなかった。
そしてそれが、
次の選択を――
より致命的なものに
してしまうことを、
この時の彼は
まだ知らない。
96
あなたにおすすめの小説
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。
婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢アミュレットは、その完璧な美貌とは裏腹に、何事にも感情を揺らさず「はぁ、左様ですか」で済ませてしまう『塩対応』の令嬢。
ある夜会で、婚約者であるエリアス王子から一方的に婚約破棄を突きつけられるも、彼女は全く動じず、むしろ「面倒な義務からの解放」と清々していた。
白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。
「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」
そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。
——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。
「最近、おまえが気になるんだ」
「もっと夫婦としての時間を持たないか?」
今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。
愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。
わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。
政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ
“白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!
『婚約破棄?結構ですわ。わたくしは何もしないで生きていきます』
鷹 綾
恋愛
内容紹介
王太子ユリウスの婚約者だった伯爵令嬢リュシエンヌは、公衆の面前で一方的に婚約を破棄される。
だが彼女は泣かず、怒らず、復讐も選ばなかった。
「働かないと、決めましたの」
婚約者として担ってきた政務補佐、調整、裏方の仕事をすべて手放し、彼女は“何もしない”生活を始める。
すると王宮は静かに軋み、これまで彼女が支えていた日常だけが浮き彫りになっていく。
新たな婚約者を得た王太子。
外から王宮を支える女性。
そして、何もせず距離を保つ元婚約者。
誰も声高に責めず、誰も派手なざまぁをしない。
それでも、関係は変わり、立場は入れ替わり、真実だけが残っていく。
これは、頑張らないことで人生を取り戻した令嬢の物語。
婚約破棄のその先で、“何もしない”という最強の選択をした女性が、静かに自由を手に入れるまでの40話。
婚約破棄される前に、帰らせていただきます!
パリパリかぷちーの
恋愛
ある日、マリス王国の侯爵令嬢クロナは、王子が男爵令嬢リリィと密会し、自分を「可愛げのない女」と罵り、卒業パーティーで「婚約破棄」を言い渡そうと画策している現場を目撃してしまう。
普通なら嘆き悲しむ場面だが、クロナの反応は違った。
婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!
パリパリかぷちーの
恋愛
クライネルト公爵令嬢のリーチュは、王太子ジークフリートから卒業パーティーで大勢の前で婚約破棄を告げられる。しかし、王太子妃教育から解放されることを喜ぶリーチュは全く意に介さず、むしろ祝杯をあげる始末。彼女は領地の離宮に引きこもり、趣味である薬草園作りに没頭する自由な日々を謳歌し始める。
断罪前に“悪役"令嬢は、姿を消した。
パリパリかぷちーの
恋愛
高貴な公爵令嬢ティアラ。
将来の王妃候補とされてきたが、ある日、学園で「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、理不尽な噂に追いつめられる。
平民出身のヒロインに嫉妬して、陥れようとしている。
根も葉もない悪評が広まる中、ティアラは学園から姿を消してしまう。
その突然の失踪に、大騒ぎ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる