働いたら負けって、もう負けてますわ。 ―お小遣い制侯爵様は、奥様が怖い―』

ふわふわ

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第十一話 管理という名の愛

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第十一話 管理という名の愛

 ラトゥール侯爵邸の空気は、以前とは少しだけ違っていた。

 豪奢な装飾はそのまま。シャンデリアも磨かれている。だが、どこか緊張が走っている。

「旦那様」

 ヴィオレーヌは柔らかな声で呼びかけた。

 ギヨームは書斎の椅子に座り、退屈そうに指を組んでいる。

「何だ」

「今月の支出でございますが」

 彼の顔がわずかに曇る。

「また帳簿か」

「ええ」

 彼女は微笑んだまま、分厚い台帳を机に置く。

「安心なさってください。すべて私が整理しております」

「ならば問題ないだろう」

「はい。問題はございません」

 にこやかに言う。

「ただし」

 さらりと続ける。

「今後はお小遣い制にいたしますわ」

 沈黙。

「……何だと?」

「旦那様が自由にお使いになれる金額を、月ごとに決めさせていただきます」

 穏やかだが、決定事項の口調。

「冗談だろう」

「本気でございます」

 彼女は椅子を引き、向かいに腰を下ろす。

「これまでの支出は、あまりに流動的すぎました」

「私は侯爵だ」

「ええ」

「小遣いとは、子供に与えるものだ」

「子供でも、大人でも、予算は必要でございます」

 その一言が、鋭く刺さる。

「私は無駄遣いなどしていない」

「では、この改装費は?」

 台帳を開く。

「この馬車の新調は?」

 さらにページをめくる。

「夜会の追加費用は?」

 彼は視線を逸らす。

「それは……必要だった」

「必要の基準を、これからは共有いたしましょう」

 ヴィオレーヌは優雅にペンを取り出す。

「旦那様が必要と思われるものは、まず私にご相談ください」

「いちいち許可を得ろと?」

「ご相談でございます」

 にこり。

「信頼しておりますから」

 その言葉は甘い。

 だが甘さの裏に、完全な掌握がある。

「私は侯爵だぞ」

「ええ」

「名ばかりの、ではございません」

 さらりと。

 ギヨームの顔が赤くなる。

「侮辱するのか」

「いいえ」

 彼女は穏やかに首を振る。

「守ろうとしているだけですわ」

「守る?」

「旦那様の誇りを」

 静かに続ける。

「支払いが滞り、商人が去り、使用人が離れれば――それこそ誇りは傷つきます」

 言い返せない。

「私は投資いたしました」

 彼女ははっきりと言う。

「投資とは、管理と同義でございます」

 沈黙。

 彼は拳を握る。

 だが言葉が出ない。

「お小遣い帳が書けない?」

 ヴィオレーヌは優しく微笑む。

「安心してください。私が教えて差し上げます」

「必要ない!」

「では、私が管理いたします」

 結局、同じ。

 逃げ道はない。

「旦那様」

 彼女は最後に言う。

「働かないことと、責任を持たないことは違います」

 その言葉は、どこかで聞いたような響きを持っていた。

 ギヨームは気づかない。

 だが読者は知っている。

 それは、かつてエルミリアが口にした言葉の影だ。

 ヴィオレーヌは立ち上がる。

「夕刻には、商会の者が参ります。契約書の確認をお願いいたします」

「私も立ち会うのか」

「もちろんでございます」

 彼は深く息を吐く。

 侯爵家の主であるはずなのに、会議の予定を知らされる側になっている。

 扉が閉まる。

 一人残された書斎。

 豪奢な机。

 重厚な本棚。

 だがその中央で、彼は小さく見えた。

「小遣い……だと」

 呟きは虚しい。

 誇りを守るために選んだ道が、誇りを縛る鎖になり始めている。

 一方その頃。

 ルクセリア公爵邸。

 エルミリアは窓辺に立ち、夕陽を眺めていた。

「ラトゥール家の動きは安定してきております」

 執事が報告する。

「商人たちは安心しております」

「それは何よりですわ」

 彼女は静かに答える。

「奥様が優秀でいらして、よろしかったですわね」

 その声は柔らかい。

「破産しないで済むでしょう」

 皮肉はない。

 事実だ。

 エルミリアは振り返る。

「管理は愛でございます」

 小さく呟く。

「ただし、自由は減りますけれど」

 夕陽が沈む。

 そしてギヨームの誇りも、ゆっくりと色を変えていく。

 それは、まだ始まりに過ぎなかった。
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