働いたら負けって、もう負けてますわ。 ―お小遣い制侯爵様は、奥様が怖い―』

ふわふわ

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第十話 余裕の値段

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第十話 余裕の値段

 舞踏会の翌朝、王都は早くも噂で満ちていた。

 ラトゥール家の婚約解消。

 商家の娘との新たな縁談。

 そして、エルミリアの静かな態度。

「泣きもしなかったそうよ」 「むしろ、余裕だったとか」 「ルクセリア嬢は強いわね」

 ささやきは、悪意よりも興味が勝っている。

 エルミリアはその頃、いつも通り執務室にいた。

「北部の商会との契約書、最終確認を」

「はい」

「港の出資先は、今期は配当を半分に抑えます。代わりに設備投資へ」

 淡々とした声。

 揺らぎはない。

 婚約が終わったからといって、家の運営は止まらない。

 止めてはならない。

「お嬢様」

 執事が一通の封書を差し出す。

「ラトゥール家より」

 封蝋はまだ温もりを残している。

 エルミリアはゆっくりと開封した。

 中身は短い。

『昨日の件は、やむを得ぬ決断であった。
 今後も両家の友好は続くことを望む』

 形式的な文面。

 そこに謝罪はない。

「友好、でございますか」

 小さく呟く。

 金を貸さなかった者と、投資する者。

 その立場は、もう明確に分かれている。

 午後、街へ出る用事があった。

 馬車を止めた先で、偶然にもラトゥール侯爵邸の前を通る。

 門の外に、数名の商人が立っていた。

 顔色は険しい。

「支払いはいつになるのですか」 「先月分も未納でございます」

 低い声が漏れる。

 門番が困惑している。

 エルミリアは視線を逸らさない。

 これが現実だ。

 華やかな夜会の裏側。

 “余裕”の値段。

 やがて邸内からヴィオレーヌが姿を現した。

 堂々とした足取り。

「皆様、ご心配なく」

 落ち着いた声。

「支払いは段階的に進めます。契約書は本日中にお渡ししますわ」

 商人たちの表情がわずかに緩む。

 安心ではない。

 だが、計画があるというだけで違う。

 ヴィオレーヌは続ける。

「条件は改定させていただきます。利率は上がりますが、その分、確実性をお約束いたします」

 商人たちは頷く。

 彼女は金を“流す”。

 ただし、握ったまま。

 エルミリアはその様子を静かに見つめる。

 やがて、視線が合う。

 ヴィオレーヌは微笑んだ。

 勝者の笑み。

 だが、そこには緊張もある。

 背負うものは軽くない。

 エルミリアは馬車に戻る。

「お嬢様」

 執事が小さく問う。

「心はお痛みになりませんか」

「痛みませんわ」

 即答だった。

「選んだのは、あちらでございます」

 彼女は窓の外を見つめる。

 ギヨームは、余裕を守るために投資を受け入れた。

 だが投資は慈善ではない。

 回収がある。

 条件がある。

 管理がある。

 “働いたら負け”と口にしていた彼は、今、最も管理される立場に立とうとしている。

「余裕とは」

 エルミリアは小さく呟く。

「持っているものではなく、作るものでございます」

 彼はそれを、知らなかった。

 馬車がゆっくりと動き出す。

 王都の街並みは、相変わらず賑やかだ。

 金は流れる。

 人も流れる。

 だが、信用を失えば、その流れは止まる。

 そして止まった流れは、やがて淀む。

 エルミリアは目を閉じる。

 婚約は終わった。

 だが物語は、これから動き出す。

 彼が守りたかった“誇り”は、どこへ向かうのか。

 そして自分の選んだ道は、どこへ繋がるのか。

 静かな余裕の裏に、確かな確信が芽生えていた。
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