働いたら負けって、もう負けてますわ。 ―お小遣い制侯爵様は、奥様が怖い―』

ふわふわ

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第十四話 形だけの当主

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第十四話 形だけの当主

 ラトゥール侯爵邸の応接間には、重たい空気が漂っていた。

 長いテーブルの向こうに並ぶのは、商会の代表者たち。皆、丁寧な笑みを浮かべながらも、その目は冷静だ。

 ギヨームは主座に座っている。

 ――はずだった。

「本日の議題は三点でございます」

 進行しているのは、ヴィオレーヌだった。

 彼女は静かに書類をめくり、商会側へと説明を続ける。

「第一に、既存債務の再編。第二に、供給契約の見直し。第三に、今後の担保設定でございます」

 商人たちは頷く。

「合理的ですな」

「条件が明確で安心できます」

 安心。

 その言葉は、ラトゥール家に向けられたものではない。

 ヴィオレーヌに向けられている。

 ギヨームは口を開く。

「我が侯爵家は――」

 だが、彼の言葉をやわらかく遮る声があった。

「旦那様」

 ヴィオレーヌは微笑む。

「その件は私がご説明いたしますわ」

 やさしい声。

 だが完全に主導権を握る響き。

 彼は言葉を飲み込む。

 商人の一人が視線を向ける。

「侯爵様は、今回の契約内容にご同意で?」

 問いは礼儀正しい。

 だが、確認だ。

 権限の確認。

「……ああ」

 短い返答。

 その瞬間、彼は理解する。

 自分は決定する者ではなく、同意する者になっていると。

 会合は滞りなく進む。

 署名も済む。

 商人たちは満足げに立ち上がる。

「今後とも、よろしくお願いいたします」

 その視線は、ヴィオレーヌへ。

 扉が閉まる。

 応接間に残るのは二人だけ。

「なぜ、私に説明させなかった」

 ギヨームは低く言う。

「旦那様はお疲れでいらっしゃると存じましたので」

「私は当主だ」

「ええ」

「だが今のは、まるで……」

 言葉が続かない。

「形だけの当主のようでございましたか?」

 ヴィオレーヌは穏やかに問う。

 彼は答えない。

 だが否定もできない。

「旦那様」

 彼女は静かに歩み寄る。

「当主とは、責任を負う者でございます」

「私は負っている」

「では、契約内容をすべて把握しておいでで?」

 沈黙。

「……細かい点までは」

「細かい点が、家を左右いたします」

 彼女の声は冷静だ。

「私は旦那様の負担を減らしているだけでございます」

「負担ではない」

 思わず声が強まる。

「私は、家を守る者だ」

「でしたら、数字から目を逸らさぬことです」

 静かな一撃。

 ギヨームは拳を握る。

 数字。

 帳簿。

 契約。

 それは彼が避けてきたもの。

「貴族は、細々と働くものではない」

「働くことと、責任を持つことは違います」

 その言葉は、どこかで聞いたことがある。

 エルミリアの声が、記憶の奥で重なる。

「私は……」

 言葉が出ない。

「旦那様」

 ヴィオレーヌは最後に言う。

「名は残ります。家も残ります」

 少し間を置く。

「ですが、その中身を守るのは、管理でございます」

 彼女は一礼し、部屋を出る。

 残されたギヨームは、重厚な椅子に座り込む。

 肖像画の先祖たちは、堂々としている。

 彼らはどうやってこの家を守ったのか。

 ただ立っていただけではないはずだ。

 夜。

 ルクセリア公爵邸。

 エルミリアは執務を終え、窓辺に立っていた。

「ラトゥール家の再編は順調とのことです」

 報告を受け、彼女は小さく頷く。

「奥様が優秀でいらして、よろしかったですわね」

 静かな言葉。

「家は残るでしょう」

 その声音には皮肉はない。

 ただ、事実。

「形だけであっても」

 月が昇る。

 ラトゥール家の灯りはまだ消えない。

 だが、その灯りの下で、当主は静かに“形”へと変わりつつあった。
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