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第一話 観覧席は最前列
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第一話 観覧席は最前列
王都最大級の舞踏会は、いつもより騒がしかった。
理由は明白である。今夜、この場で婚約破棄が行われるという噂が、すでに社交界を一巡していたからだ。
アバンダンティア・コーニュコピアは、会場の端、やや高く設えられた観覧席に立ち、静かにその空気を味わっていた。
父の名代として出席している以上、彼女は完全に正当な立場にある。にもかかわらず、この位置を選んだのは、単なる偶然ではない。
見渡せる。
配置が分かる。
視線の流れも、期待の集まる一点も。
今夜の主役は、すでに決まっていた。
中央に近い位置で、白を基調としたドレスに身を包む若い令嬢がいる。緊張を隠そうと背筋を伸ばしてはいるが、指先は微かに震えていた。その隣に立つ婚約者の青年は、すでに周囲へ視線を向けていない。視線は逃げ場を探すように揺れ、立ち姿には決定的な覚悟の欠如が見て取れる。
「……ああ、これはもう、決まっていますわね」
アバンダンティアは、小さく息を吐いた。
舞踏会の音楽が一曲終わり、会場に間が生まれる。
その瞬間を、社交界は逃さない。
「皆さま」
青年の声は、驚くほどよく通った。
だからこそ、次に続く言葉は、完璧な破壊力を持っていた。
「この場を借りて、申し上げます。私は――この婚約を、破棄いたします」
ざわめきが爆発する。
予想していた者も、半信半疑だった者も、等しく興奮に包まれた。
令嬢は一瞬、何が起きたのか理解できていない表情を浮かべ、次いで涙をこらえようとして唇を噛んだ。その仕草一つ一つが、周囲の感情を刺激する。
「ひどいわ……」 「でも、理由は?」 「新しい相手がいるのよ、きっと」
囁きが、波のように広がっていく。
アバンダンティアは、そのすべてを、感情を挟まずに見ていた。
誰がどこで声を上げ、誰が正義の顔を作り、誰が同情という安全地帯へ逃げ込むのか。
やがて、令嬢は耐えきれず声を荒げ、青年を非難し始めた。
その瞬間、評価は静かに反転する。
泣き方。
言葉の選び方。
周囲を味方につけようとする焦り。
それらが、彼女自身の価値を削っていく。
「……あら」
アバンダンティアは、内心で軽く首をかしげた。
破棄される側が感情を露わにするほど、社交界は冷える。
これは、何度も観てきた構造だ。
視線を横に向けた瞬間、彼女は気づいた。
同じ高さ、同じ距離で、同じ場面を見ている人物がいる。
年の頃は近い。
表情は穏やかだが、目が笑っていない。
彼は、拍手もしなければ、憤りも示さない。
ただ、配置と流れを見ている。
「……珍しいですわね」
アバンダンティアは、思わず声をかけた。
「この場で、拍手も同情もなさらない方は」
青年は、ゆっくりとこちらを見た。
その視線に、戸惑いはない。
「感情を出す段階は、もう過ぎています」
淡々とした声だった。
「今は、結果がどう転ぶかを観る時間でしょう」
アバンダンティアは、一瞬だけ目を細め、次いで微笑んだ。
「奇遇ですわ。わたくしも、同じ考えです」
青年は、わずかに口角を上げた。
「マーキュリー・ヘルメスと申します」
「アバンダンティア・コーニュコピアですわ」
名乗り合いながら、二人は再び視線を舞踏会の中心へ戻した。
すでに令嬢は取り巻きに囲まれ、青年は会場を後にしつつある。
勝者も敗者も、実のところ存在しない。
あるのは、消費された事象だけだ。
「……見事に、予定通りでしたね」
マーキュリーが言う。
「ええ」
アバンダンティアは、静かに頷いた。
「配置も、視線も、感情の動線も。破綻なく」
その瞬間、彼女の内心に、思わず浮かんだ言葉があった。
――これ、入場料を取れたのでは?
もちろん、口には出さない。
だが、その不謹慎な発想を否定する理由も、彼女には見つからなかった。
舞踏会は、まだ続く。
だが、今夜一番の見世物は、すでに終わっている。
アバンダンティアは確信していた。
この席は、最前列だ。
そして――隣にいるこの青年とは、同じ席で観覧できそうだ、と。
王都最大級の舞踏会は、いつもより騒がしかった。
理由は明白である。今夜、この場で婚約破棄が行われるという噂が、すでに社交界を一巡していたからだ。
アバンダンティア・コーニュコピアは、会場の端、やや高く設えられた観覧席に立ち、静かにその空気を味わっていた。
父の名代として出席している以上、彼女は完全に正当な立場にある。にもかかわらず、この位置を選んだのは、単なる偶然ではない。
見渡せる。
配置が分かる。
視線の流れも、期待の集まる一点も。
今夜の主役は、すでに決まっていた。
中央に近い位置で、白を基調としたドレスに身を包む若い令嬢がいる。緊張を隠そうと背筋を伸ばしてはいるが、指先は微かに震えていた。その隣に立つ婚約者の青年は、すでに周囲へ視線を向けていない。視線は逃げ場を探すように揺れ、立ち姿には決定的な覚悟の欠如が見て取れる。
「……ああ、これはもう、決まっていますわね」
アバンダンティアは、小さく息を吐いた。
舞踏会の音楽が一曲終わり、会場に間が生まれる。
その瞬間を、社交界は逃さない。
「皆さま」
青年の声は、驚くほどよく通った。
だからこそ、次に続く言葉は、完璧な破壊力を持っていた。
「この場を借りて、申し上げます。私は――この婚約を、破棄いたします」
ざわめきが爆発する。
予想していた者も、半信半疑だった者も、等しく興奮に包まれた。
令嬢は一瞬、何が起きたのか理解できていない表情を浮かべ、次いで涙をこらえようとして唇を噛んだ。その仕草一つ一つが、周囲の感情を刺激する。
「ひどいわ……」 「でも、理由は?」 「新しい相手がいるのよ、きっと」
囁きが、波のように広がっていく。
アバンダンティアは、そのすべてを、感情を挟まずに見ていた。
誰がどこで声を上げ、誰が正義の顔を作り、誰が同情という安全地帯へ逃げ込むのか。
やがて、令嬢は耐えきれず声を荒げ、青年を非難し始めた。
その瞬間、評価は静かに反転する。
泣き方。
言葉の選び方。
周囲を味方につけようとする焦り。
それらが、彼女自身の価値を削っていく。
「……あら」
アバンダンティアは、内心で軽く首をかしげた。
破棄される側が感情を露わにするほど、社交界は冷える。
これは、何度も観てきた構造だ。
視線を横に向けた瞬間、彼女は気づいた。
同じ高さ、同じ距離で、同じ場面を見ている人物がいる。
年の頃は近い。
表情は穏やかだが、目が笑っていない。
彼は、拍手もしなければ、憤りも示さない。
ただ、配置と流れを見ている。
「……珍しいですわね」
アバンダンティアは、思わず声をかけた。
「この場で、拍手も同情もなさらない方は」
青年は、ゆっくりとこちらを見た。
その視線に、戸惑いはない。
「感情を出す段階は、もう過ぎています」
淡々とした声だった。
「今は、結果がどう転ぶかを観る時間でしょう」
アバンダンティアは、一瞬だけ目を細め、次いで微笑んだ。
「奇遇ですわ。わたくしも、同じ考えです」
青年は、わずかに口角を上げた。
「マーキュリー・ヘルメスと申します」
「アバンダンティア・コーニュコピアですわ」
名乗り合いながら、二人は再び視線を舞踏会の中心へ戻した。
すでに令嬢は取り巻きに囲まれ、青年は会場を後にしつつある。
勝者も敗者も、実のところ存在しない。
あるのは、消費された事象だけだ。
「……見事に、予定通りでしたね」
マーキュリーが言う。
「ええ」
アバンダンティアは、静かに頷いた。
「配置も、視線も、感情の動線も。破綻なく」
その瞬間、彼女の内心に、思わず浮かんだ言葉があった。
――これ、入場料を取れたのでは?
もちろん、口には出さない。
だが、その不謹慎な発想を否定する理由も、彼女には見つからなかった。
舞踏会は、まだ続く。
だが、今夜一番の見世物は、すでに終わっている。
アバンダンティアは確信していた。
この席は、最前列だ。
そして――隣にいるこの青年とは、同じ席で観覧できそうだ、と。
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