婚約破棄は、他人事ですので

ふわふわ

文字の大きさ
1 / 40

第一話 観覧席は最前列

しおりを挟む
第一話 観覧席は最前列

 王都最大級の舞踏会は、いつもより騒がしかった。
 理由は明白である。今夜、この場で婚約破棄が行われるという噂が、すでに社交界を一巡していたからだ。

 アバンダンティア・コーニュコピアは、会場の端、やや高く設えられた観覧席に立ち、静かにその空気を味わっていた。
 父の名代として出席している以上、彼女は完全に正当な立場にある。にもかかわらず、この位置を選んだのは、単なる偶然ではない。

 見渡せる。
 配置が分かる。
 視線の流れも、期待の集まる一点も。

 今夜の主役は、すでに決まっていた。

 中央に近い位置で、白を基調としたドレスに身を包む若い令嬢がいる。緊張を隠そうと背筋を伸ばしてはいるが、指先は微かに震えていた。その隣に立つ婚約者の青年は、すでに周囲へ視線を向けていない。視線は逃げ場を探すように揺れ、立ち姿には決定的な覚悟の欠如が見て取れる。

「……ああ、これはもう、決まっていますわね」

 アバンダンティアは、小さく息を吐いた。

 舞踏会の音楽が一曲終わり、会場に間が生まれる。
 その瞬間を、社交界は逃さない。

「皆さま」

 青年の声は、驚くほどよく通った。
 だからこそ、次に続く言葉は、完璧な破壊力を持っていた。

「この場を借りて、申し上げます。私は――この婚約を、破棄いたします」

 ざわめきが爆発する。
 予想していた者も、半信半疑だった者も、等しく興奮に包まれた。

 令嬢は一瞬、何が起きたのか理解できていない表情を浮かべ、次いで涙をこらえようとして唇を噛んだ。その仕草一つ一つが、周囲の感情を刺激する。

「ひどいわ……」 「でも、理由は?」 「新しい相手がいるのよ、きっと」

 囁きが、波のように広がっていく。

 アバンダンティアは、そのすべてを、感情を挟まずに見ていた。
 誰がどこで声を上げ、誰が正義の顔を作り、誰が同情という安全地帯へ逃げ込むのか。

 やがて、令嬢は耐えきれず声を荒げ、青年を非難し始めた。
 その瞬間、評価は静かに反転する。

 泣き方。
 言葉の選び方。
 周囲を味方につけようとする焦り。

 それらが、彼女自身の価値を削っていく。

「……あら」

 アバンダンティアは、内心で軽く首をかしげた。

 破棄される側が感情を露わにするほど、社交界は冷える。
 これは、何度も観てきた構造だ。

 視線を横に向けた瞬間、彼女は気づいた。
 同じ高さ、同じ距離で、同じ場面を見ている人物がいる。

 年の頃は近い。
 表情は穏やかだが、目が笑っていない。

 彼は、拍手もしなければ、憤りも示さない。
 ただ、配置と流れを見ている。

「……珍しいですわね」

 アバンダンティアは、思わず声をかけた。

「この場で、拍手も同情もなさらない方は」

 青年は、ゆっくりとこちらを見た。
 その視線に、戸惑いはない。

「感情を出す段階は、もう過ぎています」

 淡々とした声だった。

「今は、結果がどう転ぶかを観る時間でしょう」

 アバンダンティアは、一瞬だけ目を細め、次いで微笑んだ。

「奇遇ですわ。わたくしも、同じ考えです」

 青年は、わずかに口角を上げた。

「マーキュリー・ヘルメスと申します」

「アバンダンティア・コーニュコピアですわ」

 名乗り合いながら、二人は再び視線を舞踏会の中心へ戻した。

 すでに令嬢は取り巻きに囲まれ、青年は会場を後にしつつある。
 勝者も敗者も、実のところ存在しない。

 あるのは、消費された事象だけだ。

「……見事に、予定通りでしたね」

 マーキュリーが言う。

「ええ」

 アバンダンティアは、静かに頷いた。

「配置も、視線も、感情の動線も。破綻なく」

 その瞬間、彼女の内心に、思わず浮かんだ言葉があった。

 ――これ、入場料を取れたのでは?

 もちろん、口には出さない。
 だが、その不謹慎な発想を否定する理由も、彼女には見つからなかった。

 舞踏会は、まだ続く。
 だが、今夜一番の見世物は、すでに終わっている。

 アバンダンティアは確信していた。
 この席は、最前列だ。
 そして――隣にいるこの青年とは、同じ席で観覧できそうだ、と。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~

ゆうき
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。 そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。 シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。 ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。 それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。 それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。 なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた―― ☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆ ☆全文字はだいたい14万文字になっています☆ ☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆

えっ「可愛いだけの無能な妹」って私のことですか?~自業自得で追放されたお姉様が戻ってきました。この人ぜんぜん反省してないんですけど~

村咲
恋愛
ずっと、国のために尽くしてきた。聖女として、王太子の婚約者として、ただ一人でこの国にはびこる瘴気を浄化してきた。 だけど国の人々も婚約者も、私ではなく妹を選んだ。瘴気を浄化する力もない、可愛いだけの無能な妹を。 私がいなくなればこの国は瘴気に覆いつくされ、荒れ果てた不毛の地となるとも知らず。 ……と思い込む、国外追放されたお姉様が戻ってきた。 しかも、なにを血迷ったか隣国の皇子なんてものまで引き連れて。 えっ、私が王太子殿下や国の人たちを誘惑した? 嘘でお姉様の悪評を立てた? いやいや、悪評が立ったのも追放されたのも、全部あなたの自業自得ですからね?

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

【完結】離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~

猫燕
恋愛
「――そなたとの婚姻を破棄する。即刻、王宮を去れ」 王妃としての5年間、私はただ国を支えていただけだった。 王妃アデリアは、側妃ラウラの嘘と王の独断により、「毒を盛った」という冤罪で突然の離縁を言い渡された。「ただちに城を去れ」と宣告されたアデリアは静かに王宮を去り、生まれ故郷・ターヴァへと向かう。 しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。 迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。 かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。 故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり── “冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。 皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。 冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」 一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。 追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、 ようやく正当に愛され、報われる物語。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...