婚約破棄は、他人事ですので

ふわふわ

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第二話 感情は演出、同情は装置

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第二話 感情は演出、同情は装置

 舞踏会は、何事もなかったかのように続いていた。

 楽団は次の曲を奏で、給仕は何事もなかった顔でグラスを運ぶ。
 つい先ほど、公開の場で婚約が破棄されたとは思えないほど、会場の機能は滑らかに維持されていた。

 だが、人の視線だけは違う。

 視線は、今もなお、中心から完全には離れていなかった。
 破棄された令嬢が退出した扉。
 破棄を告げた青年が消えた通路。
 そして、それを目撃した者同士の、微妙な距離感。

 アバンダンティア・コーニュコピアは、グラスを手に取りながら、その流れを静かに追っていた。

「……早いですわね」

 隣に立つマーキュリー・ヘルメスが、小さく応じる。

「ええ。
 もう『可哀想』が回り始めています」

 彼の言葉通りだった。

「ひどい話ですわ」 「彼女、何も知らされていなかったのでしょう?」 「男って、どうしてああなのかしら」

 声は小さいが、意図は明確。
 同情という名の立場表明だ。

 アバンダンティアは、それを責める気にはなれなかった。
 社交界において、同情は最も安全な選択肢の一つである。

 誰かを庇っているようで、
 実際には、何の責任も負わない。

「……でも」

 アバンダンティアは、視線を滑らせながら言った。

「今の言葉、
 誰も『彼女はどうするのか』とは言っていませんわね」

「ええ」

 マーキュリーは即座に理解したようだった。

「同情は、
 未来を考えなくて済む装置です」

 その言葉に、アバンダンティアは小さく息を吐いた。

 令嬢がどうなるか。
 家はどう動くか。
 次の縁談はあるのか。

 そうした現実的な問いは、
 今この瞬間、誰も口にしない。

 なぜなら、それを考え始めた途端、
 “可哀想な被害者”という物語が崩れるからだ。

「……見事な役割分担ですわ」

 アバンダンティアは言う。

「破棄した側は沈黙し、
 破棄された側は感情を露わにし、
 周囲は同情する」

「その結果」

 マーキュリーが続ける。

「全員が、自分の立場を守れる」

 破棄した青年は、冷酷だが決断力のある男として記憶される。
 破棄された令嬢は、哀れだが感情的な女として残る。
 周囲は、正義感ある観客として安心する。

 だが、そのどれもが、実態とは少しずつズレている。

「……評価が動き始めるのは、これからですわ」

 アバンダンティアは、冷静にそう告げた。

「今は、まだ熱が残っています。
 熱が冷めた後、
 感情だけを残した人から、
 順に落ちていきます」

 マーキュリーは、彼女の横顔を一瞬だけ見た。

「容赦がありませんね」

「事実ですもの」

 彼女は肩をすくめる。

「社交界は、
 泣いた人を救う場所ではなく、
 振る舞いを評価する場所ですわ」

 そのとき、少し離れた場所で、破棄された令嬢の友人と思しき女性たちが集まり、声を潜めて話し始めた。

「しばらく、表に出ないほうがいいわよ」 「今は傷を癒す時期よ」 「無理に笑う必要なんてないの」

 一見、思いやりに満ちた言葉。
 だが、その本質は――隔離だ。

「……出て行け、ですわね」

 アバンダンティアは、淡々と結論づけた。

「ええ」

 マーキュリーも同意する。

「回復という名目で、
 視界から消す」

 それは、悪意ではない。
 むしろ、善意の形をした合理性だ。

 問題は、その後だ。

 時間が経ち、話題が移り、
 次の見世物が現れたとき、
 彼女は、戻ってこられるだろうか。

「……難しいでしょうね」

 アバンダンティアは、グラスを置いた。

「一度、
 『感情を制御できない人』という評価がつくと、
 それを覆すのは、
 かなりの労力が必要です」

「しかも」

 マーキュリーが付け加える。

「彼女は、
 自分がどこで評価を落としたのか、
 理解できていない」

 アバンダンティアは、わずかに目を細めた。

「そこが、
 一番の問題ですわね」

 評価は、理解できなければ修正できない。
 修正できなければ、同じ失敗を繰り返す。

 その循環は、
 社交界では致命的だ。

 会場の中央では、すでに別の話題が盛り上がり始めていた。
 新しいダンス。
 新しい噂。
 新しい主役。

 婚約破棄は、急速に「過去の出来事」へと変わっていく。

「……消費が早いですわね」

 アバンダンティアは、内心で感心すらしていた。

「ええ」

 マーキュリーは静かに答える。

「だからこそ、
 観測する価値がある」

 その言葉に、彼女は小さく笑った。

「同感ですわ」

 そして、心の奥で、再び同じ考えが浮かぶ。

 ――これ、本当に、入場料を取れません?

 人の感情がここまで分かりやすく動き、
 立場と評価がここまで露骨に変わる。

 これを“無料”で観せるのは、
 少し勿体ない気がしてならなかった。

 舞踏会は続く。
 だが、アバンダンティアにとって、この夜はすでに十分な収穫だった。

 隣にいる青年もまた、同じことを考えているように見える。

 少なくとも、
 拍手も同情もせず、
 ただ観ているという点において――

 二人は、同じ席に座っていた。
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