婚約破棄は、他人事ですので

ふわふわ

文字の大きさ
3 / 40

第三話 同じ方向を向いている人

しおりを挟む
第三話 同じ方向を向いている人

 舞踏会が終盤に差しかかる頃、会場の空気はすっかり落ち着きを取り戻していた。
 先ほどまで渦巻いていた感情は、音楽と酒に薄められ、いつもの社交の仮面に塗り替えられている。

 アバンダンティア・コーニュコピアは、その変化を冷静に見届けながら、再び観覧席の位置に立っていた。
 今夜の舞踏会は、すでに「終わった」も同然だ。
 だが、彼女は席を立たなかった。

 理由は単純である。

 まだ、観るべきものが残っている。

 それは、破棄された令嬢でも、破棄した青年でもない。
 それをどう消費したか、という周囲の振る舞いだ。

 誰が、いつ、どの話題に移行したか。
 誰が、誰に同調し、誰から距離を取ったか。

 社交界は、感情の集まりではない。
 評価の市場だ。

 そして市場では、価格は静かに変動する。

「……もう、名前を出す人はいませんね」

 隣から、低い声が聞こえた。

 アバンダンティアは視線を動かさずに答える。

「ええ。
 一度、消費が終わった話題は、
 触れたほうが評価を落としますもの」

 マーキュリー・ヘルメスは、静かに頷いた。

「可哀想、という言葉も、
 使い続けると自分の価値を下げます」

「同情の安売りですわね」

 その言葉に、マーキュリーはわずかに口角を上げた。

 彼とこうして会話を続けていること自体、アバンダンティアにとっては珍しい経験だった。
 社交界での会話の多くは、立場確認か情報交換に過ぎない。

 だが彼との会話は違う。
 感想ではなく、分析。
 印象ではなく、構造。

「……ところで」

 アバンダンティアは、ふと疑問を口にした。

「先ほどから、
 あなたは一度も、
 どちらが正しいか、
 という話をなさっていませんわね」

 マーキュリーは、少しだけ考えてから答えた。

「正しさは、
 この場では商品にならないからです」

「商品?」

「ええ。
 正しさを主張するには、
 責任が伴います。
 責任を負う覚悟のない人間が、
 正しさを語ると、
 ただの自己満足になります」

 その言葉に、アバンダンティアは内心で小さく息を呑んだ。

 同じだ。

 彼女が無意識に感じていた違和感を、
 彼は正確な言葉で言語化している。

「……不思議ですわ」

 彼女は率直に言った。

「この場で、
 同じ方向を向いている人に、
 初めて会いました」

 マーキュリーは、視線を舞踏会の中心に向けたまま答える。

「私もです」

 その声には、軽さも気取った響きもない。

「観測すること自体が目的、
 という方は、
 あまりいません」

「ええ」

 アバンダンティアは、ゆっくりと頷く。

「多くの方は、
 自分がどう見られるか、
 ばかりを気にしています」

 だからこそ、
 観測者は少数派になる。

 音楽が変わり、数組の男女がダンスを始めた。
 視線は一時的にそちらへ流れるが、すぐに散っていく。

 今夜の“事件”を超える刺激は、もうない。

「……あなたは」

 マーキュリーが、唐突に問いかけた。

「今夜の件、
 どこまで読んでいましたか?」

 アバンダンティアは、少しだけ考え、正直に答えた。

「破棄されること自体は、
 ほぼ確信していました」

「理由は?」

「配置ですわ。
 彼は、
 最初から彼女の隣にいませんでした」

 マーキュリーは、わずかに目を細める。

「なるほど。
 私は、
 視線の動きを見ていました」

「視線?」

「ええ。
 彼は、
 決断する前から、
 逃げ道を探していました」

 二人は、一瞬だけ視線を交わし、そして同時に小さく笑った。

 違う視点。
 同じ結論。

「……やはり」

 アバンダンティアは、確信を込めて言う。

「あなたとは、
 同じ席で観覧できますわね」

 マーキュリーは、穏やかに頷いた。

「ええ。
 少なくとも、
 感情で席を立つことは、
 なさそうです」

 そのやり取りを、誰かが聞いていたとしても、意味は分からないだろう。
 だが、二人にとっては十分だった。

 舞踏会が終わりに近づき、人々は帰路につき始める。
 話題はすでに次へ移り、今夜の婚約破棄は「一件」として整理されつつあった。

 アバンダンティアは、会場を見渡しながら、改めて思う。

 観覧席は、最前列だ。
 そして――

 この隣席は、
 しばらく空きそうにない。

 それが、良いことか悪いことかは、まだ分からない。
 だが少なくとも、
 退屈はしなさそうだと、
 彼女は確信していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~

ゆうき
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。 そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。 シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。 ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。 それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。 それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。 なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた―― ☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆ ☆全文字はだいたい14万文字になっています☆ ☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆

えっ「可愛いだけの無能な妹」って私のことですか?~自業自得で追放されたお姉様が戻ってきました。この人ぜんぜん反省してないんですけど~

村咲
恋愛
ずっと、国のために尽くしてきた。聖女として、王太子の婚約者として、ただ一人でこの国にはびこる瘴気を浄化してきた。 だけど国の人々も婚約者も、私ではなく妹を選んだ。瘴気を浄化する力もない、可愛いだけの無能な妹を。 私がいなくなればこの国は瘴気に覆いつくされ、荒れ果てた不毛の地となるとも知らず。 ……と思い込む、国外追放されたお姉様が戻ってきた。 しかも、なにを血迷ったか隣国の皇子なんてものまで引き連れて。 えっ、私が王太子殿下や国の人たちを誘惑した? 嘘でお姉様の悪評を立てた? いやいや、悪評が立ったのも追放されたのも、全部あなたの自業自得ですからね?

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

【完結】離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~

猫燕
恋愛
「――そなたとの婚姻を破棄する。即刻、王宮を去れ」 王妃としての5年間、私はただ国を支えていただけだった。 王妃アデリアは、側妃ラウラの嘘と王の独断により、「毒を盛った」という冤罪で突然の離縁を言い渡された。「ただちに城を去れ」と宣告されたアデリアは静かに王宮を去り、生まれ故郷・ターヴァへと向かう。 しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。 迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。 かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。 故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり── “冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。 皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。 冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」 一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。 追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、 ようやく正当に愛され、報われる物語。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...