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第三十七話 婚約破棄されるために、婚約した?
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第三十七話 婚約破棄されるために、婚約した?
その問いは、
マーキュリー・ヘルメスの口から出た瞬間、
彼自身を深く刺した。
「婚約破棄されるために……俺と婚約したのか?」
声は低く、感情を抑えている。
だが、抑えきれてはいなかった。
それは責めではない。
怒りでもない。
――確認だ。
自分が立っている場所を、
ようやく見失った者の問いだった。
アバンダンティア・コーニュコピアは、
その言葉を遮らなかった。
すぐに否定もしない。
すぐに説明もしない。
彼女は、まず一度、
静かに紅茶に口をつけた。
この間が、
マーキュリーには耐え難かった。
(やはり……そうなのか?)
沈黙は、
肯定にも否定にも聞こえる。
だが、彼女はようやく口を開く。
「いいえ」
即答だった。
迷いはない。
マーキュリーは、
わずかに目を見開く。
「……では、なぜ」
「わたくしは」
アバンダンティアは、
視線を彼に向ける。
「破棄される未来を、
目的として婚約したことはありません」
彼女の声は、
相変わらず静かだった。
だが、その静けさは、
もはや感情の欠如ではない。
覚悟の温度だ。
「では……」
マーキュリーは言葉を探す。
「結果として、
そうなる可能性を……」
「考えていました」
遮るように、
彼女は続けた。
「婚約という制度が、
常に安定を保証するものではない以上」
彼女は、
淡々と説明する。
「破棄される可能性を
想定しない方が、不誠実です」
「……普通は、
そんなことまで考えない」
「ええ」
アバンダンティアは頷く。
「だから、
多くの人は傷つきます」
その言葉は、
冷酷にも聞こえた。
だが、マーキュリーは否定できなかった。
社交界で見てきた、
数え切れない破綻。
激情、失態、評判の失墜。
それらはすべて、
想定外だったから起きた。
「あなたは」
アバンダンティアは、
ゆっくりと言葉を重ねる。
「観察者としては、
とても優秀です」
マーキュリーは、
その評価に小さく苦笑する。
「だが」
その一言で、
空気が引き締まる。
「当事者になると、
想定を止めてしまう」
彼は、反論できなかった。
「期待する」
「信じる」
「こうあってほしいと願う」
アバンダンティアは、
一つずつ言葉を置く。
「それ自体は、
悪ではありません」
「だが」
彼女は続ける。
「それを前提に
構造を組み立てると、
崩れた時に何も残らない」
マーキュリーは、
無意識に拳を握っていた。
「君は……」
声が低くなる。
「感情を、
切り捨てているように見える」
アバンダンティアは、
首を横に振った。
「切り捨ててはいません」
「では、なぜ」
「管理しています」
はっきりとした言葉だった。
「感情は、
価値を生むこともあれば、
価値を壊すこともあります」
彼女は、
淡々と続ける。
「わたくしは、
壊れる使い方をしないだけです」
マーキュリーは、
しばらく黙った。
自分が、
どこで躓いたのか。
ようやく輪郭が見え始めていた。
「俺は……」
彼は、
ゆっくりと言う。
「君が、
俺と同じ場所に立っていると
思っていた」
「立っていますわ」
アバンダンティアは、
即座に答える。
「ただし、
一段高い場所です」
その言葉に、
マーキュリーは息を飲む。
侮辱ではない。
誇示でもない。
事実の提示だった。
「見下ろしているわけではありません」
彼女は補足する。
「構造全体を
見渡せる位置にいるだけです」
マーキュリーは、
ようやく理解した。
彼女は、
彼を利用したのではない。
だが、
同じ目線に立ってもいなかった。
「……俺は」
言葉が、
少し掠れる。
「その位置に、
上がれないのか?」
アバンダンティアは、
すぐには答えなかった。
その沈黙が、
残酷だった。
「上がれますわ」
やがて、
彼女は言った。
「ただし」
マーキュリーは、
身構える。
「代償を、
理解した上で、です」
「代償?」
「主役でいる幻想を、
手放すこと」
彼女は、
静かに告げる。
「感情の優位を、
判断より上に置かないこと」
マーキュリーは、
深く息を吐いた。
それは、
彼が今まで
当然だと思ってきたものだった。
「……難しいな」
「ええ」
アバンダンティアは、
率直に頷く。
「だから、
多くの人は選びません」
沈黙が、
再び二人の間に落ちる。
だが、今度の沈黙は、
対立ではない。
選択の前触れだった。
マーキュリーは、
視線を上げる。
「婚約破棄は……」
彼は言う。
「もう、
避けられないのか?」
アバンダンティアは、
少しだけ目を細めた。
「それは」
一拍置いて、
静かに答える。
「あなたが、
何を選ぶか次第ですわ」
その言葉で、
マーキュリーは理解した。
彼女は、
すでに準備をしている。
だが、
最後の一歩だけは、
彼に委ねている。
これは、
罠ではない。
誘導でもない。
――選択肢の提示だ。
そして彼は、
ようやく気づいた。
婚約とは、
守られる関係ではない。
選び続ける関係なのだと。
その重さを、
彼は今、
初めて実感していた。
その問いは、
マーキュリー・ヘルメスの口から出た瞬間、
彼自身を深く刺した。
「婚約破棄されるために……俺と婚約したのか?」
声は低く、感情を抑えている。
だが、抑えきれてはいなかった。
それは責めではない。
怒りでもない。
――確認だ。
自分が立っている場所を、
ようやく見失った者の問いだった。
アバンダンティア・コーニュコピアは、
その言葉を遮らなかった。
すぐに否定もしない。
すぐに説明もしない。
彼女は、まず一度、
静かに紅茶に口をつけた。
この間が、
マーキュリーには耐え難かった。
(やはり……そうなのか?)
沈黙は、
肯定にも否定にも聞こえる。
だが、彼女はようやく口を開く。
「いいえ」
即答だった。
迷いはない。
マーキュリーは、
わずかに目を見開く。
「……では、なぜ」
「わたくしは」
アバンダンティアは、
視線を彼に向ける。
「破棄される未来を、
目的として婚約したことはありません」
彼女の声は、
相変わらず静かだった。
だが、その静けさは、
もはや感情の欠如ではない。
覚悟の温度だ。
「では……」
マーキュリーは言葉を探す。
「結果として、
そうなる可能性を……」
「考えていました」
遮るように、
彼女は続けた。
「婚約という制度が、
常に安定を保証するものではない以上」
彼女は、
淡々と説明する。
「破棄される可能性を
想定しない方が、不誠実です」
「……普通は、
そんなことまで考えない」
「ええ」
アバンダンティアは頷く。
「だから、
多くの人は傷つきます」
その言葉は、
冷酷にも聞こえた。
だが、マーキュリーは否定できなかった。
社交界で見てきた、
数え切れない破綻。
激情、失態、評判の失墜。
それらはすべて、
想定外だったから起きた。
「あなたは」
アバンダンティアは、
ゆっくりと言葉を重ねる。
「観察者としては、
とても優秀です」
マーキュリーは、
その評価に小さく苦笑する。
「だが」
その一言で、
空気が引き締まる。
「当事者になると、
想定を止めてしまう」
彼は、反論できなかった。
「期待する」
「信じる」
「こうあってほしいと願う」
アバンダンティアは、
一つずつ言葉を置く。
「それ自体は、
悪ではありません」
「だが」
彼女は続ける。
「それを前提に
構造を組み立てると、
崩れた時に何も残らない」
マーキュリーは、
無意識に拳を握っていた。
「君は……」
声が低くなる。
「感情を、
切り捨てているように見える」
アバンダンティアは、
首を横に振った。
「切り捨ててはいません」
「では、なぜ」
「管理しています」
はっきりとした言葉だった。
「感情は、
価値を生むこともあれば、
価値を壊すこともあります」
彼女は、
淡々と続ける。
「わたくしは、
壊れる使い方をしないだけです」
マーキュリーは、
しばらく黙った。
自分が、
どこで躓いたのか。
ようやく輪郭が見え始めていた。
「俺は……」
彼は、
ゆっくりと言う。
「君が、
俺と同じ場所に立っていると
思っていた」
「立っていますわ」
アバンダンティアは、
即座に答える。
「ただし、
一段高い場所です」
その言葉に、
マーキュリーは息を飲む。
侮辱ではない。
誇示でもない。
事実の提示だった。
「見下ろしているわけではありません」
彼女は補足する。
「構造全体を
見渡せる位置にいるだけです」
マーキュリーは、
ようやく理解した。
彼女は、
彼を利用したのではない。
だが、
同じ目線に立ってもいなかった。
「……俺は」
言葉が、
少し掠れる。
「その位置に、
上がれないのか?」
アバンダンティアは、
すぐには答えなかった。
その沈黙が、
残酷だった。
「上がれますわ」
やがて、
彼女は言った。
「ただし」
マーキュリーは、
身構える。
「代償を、
理解した上で、です」
「代償?」
「主役でいる幻想を、
手放すこと」
彼女は、
静かに告げる。
「感情の優位を、
判断より上に置かないこと」
マーキュリーは、
深く息を吐いた。
それは、
彼が今まで
当然だと思ってきたものだった。
「……難しいな」
「ええ」
アバンダンティアは、
率直に頷く。
「だから、
多くの人は選びません」
沈黙が、
再び二人の間に落ちる。
だが、今度の沈黙は、
対立ではない。
選択の前触れだった。
マーキュリーは、
視線を上げる。
「婚約破棄は……」
彼は言う。
「もう、
避けられないのか?」
アバンダンティアは、
少しだけ目を細めた。
「それは」
一拍置いて、
静かに答える。
「あなたが、
何を選ぶか次第ですわ」
その言葉で、
マーキュリーは理解した。
彼女は、
すでに準備をしている。
だが、
最後の一歩だけは、
彼に委ねている。
これは、
罠ではない。
誘導でもない。
――選択肢の提示だ。
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