『沈黙を選んだ令嬢は、対等な未来を手に取る』

ふわふわ

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第5話 静寂をまとった侯爵との初対面

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第5話 静寂をまとった侯爵との初対面

 グラーフ侯爵家からの“意思表示”を聞いてから、三日が経った。

 その間、私は特別なことは何もしていない。
 いつも通りに目を覚まし、紅茶を飲み、読書をして、少し眠った。

 ――けれど、屋敷の空気は確実に変わっていた。

 使用人たちの動きが、どこか慎重になっている。
 父の執務室には、人の出入りが増えた。
 王城からの使者は、以前よりも控えめになった。

 皆、察しているのだ。

 私がもう、王家の“付属物”ではないということを。

 そして、その日の午後。

「お嬢様。ご準備を」

 マルタが、いつになくきりりとした表情で告げた。

「……まさか」

「はい。グラーフ侯爵がお見えになります」

 私は、思わず瞬きをした。

「ずいぶんと、早いですわね」

「事前の打診では、“形式張らない顔合わせ”とのことでした」

 形式張らない、という言葉に、私は少しだけ肩の力を抜いた。

 派手な応接間ではなく、庭に面した小さな客間。
 お茶会とも言えない、簡素な場。

 ――いかにも、グラーフ侯爵らしい。

 身支度も、いつもより控えめにした。
 華美な装飾は避け、色味も落ち着いたものを選ぶ。

 誰かに良く見せるためではない。
 ただ、自分が落ち着ける格好をしただけだ。

 客間に足を踏み入れると、すでに父と、一人の男性が向かい合って座っていた。

 初めて見る顔。

 けれど、その存在感は、噂通りだった。

 アルベリク・フォン・グラーフ侯爵。

 年は、私より少し上だろう。
 姿勢は正しく、無駄な動きがない。
 派手さはないが、視線が鋭く、そして静かだ。

 ――騒がしくない。

 それが、第一印象だった。

「ヴァレリアだ」

 父が紹介すると、侯爵は立ち上がり、深く一礼した。

「お会いできて光栄です。アルベリク・フォン・グラーフと申します」

 声も、低く落ち着いている。

「こちらこそ」

 私は同じように礼を返した。

 視線が合う。
 探るようでもなく、値踏みするようでもない。

 ただ、事実として私を見ている。

 それが、不思議と心地よかった。

 三人で席につき、紅茶が運ばれる。

 しばし、沈黙。

 気まずさは、ない。

 むしろ、余計な言葉が不要な空気だった。

「本日は、形式ばった話をするつもりはありません」

 最初に口を開いたのは、アルベリク侯爵だった。

「婚約の打診についても、結論を急かす気はない。ただ」

 彼は、まっすぐに私を見る。

「一度、直接お話ししたいと思った。それだけです」

 私は、小さく頷いた。

「ありがとうございます。私も、その方が助かりますわ」

 社交辞令を並べるより、ずっと。

 父は、二人の様子を見てから、静かに席を立った。

「少し、席を外そう。二人で話すといい」

 それだけ言って、部屋を出ていく。

 残されたのは、私と侯爵だけ。

 再び、沈黙。

 だが今度は、ほんの少しだけ、互いに笑みが浮かんだ。

「……正直に申し上げます」

 アルベリク侯爵が言った。

「私は、婚約破棄されたあなたに興味を持ったわけではありません」

 はっきりした言い方だった。

「噂ではなく、実際の行動にです」

 私は、紅茶に口をつけながら聞く。

「泣き崩れず、怒鳴らず、誰かを責めもしない。むしろ、距離を取った」

 侯爵は淡々と続ける。

「それは、簡単なようで難しい。特に、あなたの立場では」

 ――評価されている、というより。

 理解されている。

 そんな感覚だった。

「私は、前に出ることを好みません」

 私は、正直に答えた。

「誰かの期待に応え続ける生活にも、疲れていました」

「でしょうね」

 侯爵は、短く頷く。

「だから、先に条件をお伝えします」

 彼は、少しだけ姿勢を正した。

「もし縁があったとしても、私はあなたに何かを求めるつもりはない。社交、政治、補佐――どれもです」

 私は、思わず目を見開いた。

「それは……」

「あなたが何もしないことで、均衡が保たれる場合もある」

 静かな声で、そう言い切る。

「私は、その方が合理的だと考えています」

 合理的。

 その言葉が、ここまで心地よく響いたのは初めてだった。

「……不思議ですわね」

 私は、少しだけ笑った。

「“何もしない”ことを、肯定されたのは初めてです」

「否定される理由が、分かりません」

 アルベリク侯爵は、即答した。

「少なくとも、私には」

 その一言で、胸の奥が、すっと静まった。

 焦りも、警戒も、ない。

 ただ、穏やかな納得がある。

 この人なら。

 前に出なくてもいい。
 無理をしなくてもいい。

 ――そう、思えた。

「今日は、それだけです」

 侯爵は立ち上がり、再び一礼する。

「お返事は、いつでも構いません」

 私も立ち上がり、礼を返した。

「ありがとうございます。とても、分かりやすいお話でしたわ」

 侯爵は、ほんのわずかに口元を緩めた。

 それは、社交用の笑みではなかった。

 去っていく背中を見送りながら、私は思う。

(……騒がしくない方、ですわね)

 けれど。

 その静けさこそが、
 これまで私を縛っていた世界とは、まるで違って見えた。

 歯車は、また一つ噛み合った。

 音もなく。
 しかし、確かに。

 私の人生は、今――
 別の方向へと、動き始めている。

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