『沈黙を選んだ令嬢は、対等な未来を手に取る』

ふわふわ

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第7話 周囲だけが、勝手に騒ぎ出す

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第7話 周囲だけが、勝手に騒ぎ出す

 白い約束が交わされた翌日も、私の日常は何一つ変わらなかった。

 朝は自然に目が覚めるまで眠り、起きたら紅茶を淹れてもらい、気の向くままに本を読む。昼食は軽めに済ませ、午後はうたた寝を挟みながら過ごす。

 ――静かで、穏やかで、何の波風も立たない。

(本当に、何も変わっていませんわね)

 そう思いながらページをめくっていると、部屋の外が少しだけ騒がしくなった。

 足音が増え、控えめな声が行き交う。
 その中心にいるのが、マルタであることはすぐに分かった。

「お嬢様……」

 やや疲れた声音で、彼女が扉をノックする。

「どうぞ」

 返事をすると、マルタはため息を一つ挟んでから入ってきた。

「……立て続けに、来訪の申し込みが届いております」

「まあ。急に忙しくなりましたのね」

 私は本を閉じ、穏やかに尋ねる。

「どちらから?」

「侯爵家、伯爵家、それから……王城からも」

 最後の一言に、私はほんの少しだけ眉を上げた。

「王城?」

「はい。非公式ですが、『お話を』と」

 ――なるほど。

 どうやら、噂が動き出したらしい。

 婚約破棄された令嬢が、引きこもって泣いている。
 そのはずが、静かに、しかし確実に、別の縁を結びかけている。

 しかも相手は、グラーフ侯爵。

 社交界が黙っているはずがなかった。

「すべて、お断りしてくださいな」

 私は即座に言った。

「え……すべて、ですか?」

「ええ。今の私には、対応する理由がありませんもの」

 マルタは一瞬迷ったが、すぐに頷いた。

「かしこまりました」

 彼女は一礼して部屋を出ていく。

 それを見送りながら、私は小さく息を吐いた。

(本当に……周囲だけが、忙しそうですわ)

 私自身は、何も変えていない。
 何かを主張したわけでも、行動を起こしたわけでもない。

 ただ、引き受けなかっただけだ。

 王太子の期待を。
 社交界の役割を。
 誰かの都合のいい未来を。

 それだけで、世界は勝手にざわつき始める。

 午後、父の使いで一人の文官が屋敷を訪れた。

 私は会うつもりはなかったが、彼は父からの伝言を預かってきたという。

「お嬢様に、とのことです」

 短い口頭の伝言だった。

『王家が、焦っている。
 こちらは、急がない』

 それを聞いて、私は思わず小さく笑ってしまった。

(やはり)

 王家は、状況を完全に把握していなかったのだろう。

 私を失っても、何も変わらない。
 そう思っていた。

 けれど、変わったのは――
 私の立場ではなく、彼らの余裕だった。

 夕方、庭を散歩していると、使用人の一人がひそひそと話しているのが耳に入った。

「……奥様方の間では、もう確定だそうですよ」

「グラーフ侯爵と、ですよね」

「ええ。『静かながら、格が違う』って」

 私は足を止めず、そのまま通り過ぎる。

(確定では、ありませんのに)

 けれど、否定する気も起きなかった。

 噂は噂だ。
 事実よりも、早く走るもの。

 そして多くの場合、
 止めようとするほど、勢いを増す。

 夜。

 自室に戻り、ランプの灯りの下で、私はぼんやりと考えた。

 もし、この縁が成立すれば。
 私は、再び「婚約者」という立場になる。

 けれど。

(同じでは、ありませんわね)

 誰かの理想像になる必要はない。
 誰かの判断を支える役目もない。

 ただ、静かに存在するだけ。

 それを許容する相手だからこそ、
 この話は成り立っている。

 窓の外を見ると、夜空には雲が流れている。

 速くもなく、遅くもなく。
 流れに逆らわず、形を変えながら。

(……似ていますわね)

 私は、ふっと笑った。

 世界は、私が動かなくても動く。
 私が声を上げなくても、勝手に騒ぐ。

 ならば。

(私は、このままでいましょう)

 静かに、無理なく、
 自分の輪郭を保ったまま。

 そうしているうちに――
 本当に必要なものだけが、残る。

 その予感だけは、
 なぜか、とても確かなものだった。

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