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第37話 差し出された手と、受け取られる条件
しおりを挟む王太子ユージェーヌの声明が出てから、王都の空気は明らかに変わった。
沈黙は、もはや“停滞”ではない。
終わりを迎えつつある余韻――
次の一歩を踏み出す前の、深い呼吸のようなものだった。
別邸の朝。
私は窓辺に立ち、庭を眺めていた。
(……視線が、変わりましたわね)
これまで向けられていたのは、
期待や焦り、責任の押し付けだった。
今、向けられているのは――
様子見。
覚悟を示した者に対し、
それが本物かどうかを測る視線だ。
「お嬢様」
マルタが、いつもより落ち着いた様子で入ってくる。
「はい」
「王城より、非公式ながら……
お嬢様へ宛てた“打診”がございました」
私は、静かに振り返った。
「打診、ですか」
「はい。
殿下は、
“直接の返答は求めない”
“ただ、対話の意思があるかどうかだけ、
知りたい”
とのことです」
私は、わずかに目を伏せた。
(……急がせませんのね)
声明で覚悟を示し、
次は対話を“求める”のではなく、
“意思を伺う”。
それは、
これまでとは明確に違う姿勢だった。
「返答の期限は?」
「特に設けられておりません」
私は、小さく微笑んだ。
「それでこそ、ですわ」
期限を切れば、
それは再び圧になる。
彼はそれを、
よく理解している。
昼前、父の書斎に呼ばれた。
父は、王城からの非公式文面を机に置き、
私を見つめる。
「……どう見る」
「慎重で、
誠実さを装うのではなく、
実際に慎重だと思います」
「装いではない、と」
「はい。
少なくとも、
今の殿下は」
父は、深く息を吐いた。
「ならば、
お前はどうする」
私は、少しだけ考えてから答えた。
「受け取りますわ。
ただし――
条件付きで」
父は、眉をわずかに上げた。
「条件?」
「対話は、
“決断の場”ではなく、
“確認の場”であること」
私は、静かに続ける。
「私が、
何かを決めるために行くのではありません。
殿下が、
何を引き受ける覚悟なのかを、
見極めるために行くのです」
父は、しばらく沈黙した後、
小さく笑った。
「……相変わらず、
厳しいな」
「必要なことですわ」
覚悟を差し出す、
ということは、
試される、ということでもある。
午後、私は書斎で一通の短い返書をしたためた。
> 対話の意思はございます。
ただし、
即時の結論を求められる場であるなら、
お断りいたします。
互いの立場と覚悟を確認する場であるなら、
その限りではありません。
余計な言葉は、添えない。
これだけで、
十分に伝わる。
夕方、マルタが報告に来る。
「返書は、
殿下ご本人が受け取られたそうです」
「反応は?」
「……少し、
安堵されたご様子だったと」
私は、静かに頷いた。
(……それなら、よろしいですわ)
条件を突きつけられて、
なお安堵できるのなら、
その覚悟は、
少なくとも虚勢ではない。
夜。
別邸の寝室で、
ランプの灯りの下、
私は今日一日を振り返る。
沈黙の時代は、
終わりに近づいている。
だが、
語り始めるということは、
沈黙よりも、
ずっと重い。
言葉は、
一度放てば、
戻らない。
だからこそ、
私は条件を付けた。
対話は、
支配のためではなく、
確認のため。
命令のためではなく、
覚悟を量るため。
差し出された手を、
私は拒まなかった。
だが、
その手を取るかどうかは、
これから決める。
ベッドに横になり、目を閉じる。
次に開かれるのは、
沈黙の場ではない。
言葉の場だ。
その場で、
誰が立ち、
誰が逃げ、
誰が最後まで覚悟を持ち続けるのか。
私は、
それを見極めるために、
静かに目を閉じた。
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