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第24話 当たり前になった特別
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第24話 当たり前になった特別
変化は、ある朝、突然「完成」した。
シュヴァルツクロイツ公爵家の使用人たちは、その日、明確に理解したのだ。
――もう、迷う必要はない、と。
ノエリアが朝の執務に向かうため廊下を歩いていると、控えめな足音とともに侍女長が近づいてきた。
「奥様、本日は冷え込みます。
馬車ではなく、回廊をお通りください」
「……回廊ですか?」
「はい。
公爵様より、日差しのあるルートを優先するよう、ご指示が」
ノエリアは、ほんの一瞬言葉を失った。
(……ルート、指定)
昨日の寒風の件が、
すでに“家全体の対応”に組み込まれている。
「……お気遣い、ありがとうございます」
侍女長は、深く一礼した。
「いえ。
公爵家として当然の判断でございます」
その言葉が、
ノエリアの胸に静かに落ちる。
――“当然”。
かつての彼女は、
どれほど優秀であっても、
“当然に守られる存在”ではなかった。
だが、今は違う。
執務室。
ノエリアが入室すると、
使用人たちは一斉に姿勢を正した。
視線は、敬意と信頼に満ちている。
「……おはようございます」
ノエリアは、いつも通り挨拶を返す。
その声色に、
以前の遠慮は、もうない。
机の上には、
彼女専用に調整された資料束。
文字の大きさ。
順番。
補足の付箋。
すべてが、
“ノエリア基準”で整えられていた。
「……ここまで、されると」
思わず、小さく呟く。
「何か問題か」
背後から、アレストの声。
「いえ。
少し、驚いただけです」
彼は、資料に目を落としながら答える。
「効率が上がる。
それだけだ」
いつもの、理屈。
だが。
使用人たちは知っている。
この“それだけ”が、
公爵家では異例だということを。
昼。
食堂では、
ノエリアの席が、自然とアレストの隣に用意されていた。
誰の指示か、分からない。
だが、
誰も疑問に思わない。
「……今日は、軽めがよろしいですね」
料理長が、さりげなく声をかける。
「ええ。
少し集中して作業をしますので」
「承知いたしました」
そのやり取りを聞きながら、
アレストは何も言わない。
否定もしない。
それが、
すでに“承認”になっている。
午後。
屋敷内で、小さな出来事が起きた。
新人の使用人が、
ノエリアに対して、過度に形式張った対応をしたのだ。
「……奥様、こちらへ」
その声に、
周囲の空気が一瞬、張りつめる。
次の瞬間。
「その必要はない」
低く、落ち着いた声が響いた。
アレストだ。
「……え?」
「奥様は、この屋敷の中で、
遠慮する立場ではない」
新人は、慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません……!」
アレストは、それ以上責めない。
だが。
「覚えておけ」
静かに、だが確実に言う。
「この屋敷で最優先すべき存在の一人だ」
空気が、完全に固まった。
“公爵夫人”ではない。
“形式的な奥様”でもない。
存在そのものが、優先される対象。
それを、
当主自らが、明言した。
ノエリアは、言葉を失った。
「……アレスト様」
「事実だ」
短く、断定。
「否定する理由は、ないだろう」
その通りだった。
否定すれば、
公爵家の秩序を崩すことになる。
夕刻。
使用人たちは、
完全に意識を切り替えていた。
「奥様の予定、最優先で」
「公爵様より、
奥様の体調を最優先するようにと」
「……もう、説明はいりませんね」
誰もが理解している。
これは、
“溺愛”という言葉で片づけていいものではない。
信頼と依存が、家全体に共有された状態だ。
夜。
ノエリアは、自室で考えていた。
(……変わってしまいましたわね)
自分の立場。
周囲の視線。
屋敷の空気。
それらすべてが、
自分を“中心”に回り始めている。
だが、不安はない。
(……不思議です)
むしろ、
安心している自分がいる。
扉をノックする音。
「……ノエリア」
アレストの声。
「どうぞ」
彼は、部屋に入り、少し距離を取って立つ。
「……今日の件」
「はい」
「行き過ぎだと、思ったか」
珍しく、確認するような問い。
ノエリアは、少し考え――
首を横に振った。
「いいえ」
静かな声。
「私は……
ここにいていいのだと、
初めて思えました」
その言葉に、
アレストは、一瞬だけ目を伏せる。
「……そうか」
それ以上、何も言わない。
だが。
彼は、理解した。
もう戻れない。
この屋敷は、
この公爵家は――
ノエリアを中心に動く場所になった。
そしてそれを、
誰も疑問に思わない。
それが、
どれほど異常で、
どれほど自然なことか。
当事者だけが、
まだ、完全には理解していなかった。
変化は、ある朝、突然「完成」した。
シュヴァルツクロイツ公爵家の使用人たちは、その日、明確に理解したのだ。
――もう、迷う必要はない、と。
ノエリアが朝の執務に向かうため廊下を歩いていると、控えめな足音とともに侍女長が近づいてきた。
「奥様、本日は冷え込みます。
馬車ではなく、回廊をお通りください」
「……回廊ですか?」
「はい。
公爵様より、日差しのあるルートを優先するよう、ご指示が」
ノエリアは、ほんの一瞬言葉を失った。
(……ルート、指定)
昨日の寒風の件が、
すでに“家全体の対応”に組み込まれている。
「……お気遣い、ありがとうございます」
侍女長は、深く一礼した。
「いえ。
公爵家として当然の判断でございます」
その言葉が、
ノエリアの胸に静かに落ちる。
――“当然”。
かつての彼女は、
どれほど優秀であっても、
“当然に守られる存在”ではなかった。
だが、今は違う。
執務室。
ノエリアが入室すると、
使用人たちは一斉に姿勢を正した。
視線は、敬意と信頼に満ちている。
「……おはようございます」
ノエリアは、いつも通り挨拶を返す。
その声色に、
以前の遠慮は、もうない。
机の上には、
彼女専用に調整された資料束。
文字の大きさ。
順番。
補足の付箋。
すべてが、
“ノエリア基準”で整えられていた。
「……ここまで、されると」
思わず、小さく呟く。
「何か問題か」
背後から、アレストの声。
「いえ。
少し、驚いただけです」
彼は、資料に目を落としながら答える。
「効率が上がる。
それだけだ」
いつもの、理屈。
だが。
使用人たちは知っている。
この“それだけ”が、
公爵家では異例だということを。
昼。
食堂では、
ノエリアの席が、自然とアレストの隣に用意されていた。
誰の指示か、分からない。
だが、
誰も疑問に思わない。
「……今日は、軽めがよろしいですね」
料理長が、さりげなく声をかける。
「ええ。
少し集中して作業をしますので」
「承知いたしました」
そのやり取りを聞きながら、
アレストは何も言わない。
否定もしない。
それが、
すでに“承認”になっている。
午後。
屋敷内で、小さな出来事が起きた。
新人の使用人が、
ノエリアに対して、過度に形式張った対応をしたのだ。
「……奥様、こちらへ」
その声に、
周囲の空気が一瞬、張りつめる。
次の瞬間。
「その必要はない」
低く、落ち着いた声が響いた。
アレストだ。
「……え?」
「奥様は、この屋敷の中で、
遠慮する立場ではない」
新人は、慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません……!」
アレストは、それ以上責めない。
だが。
「覚えておけ」
静かに、だが確実に言う。
「この屋敷で最優先すべき存在の一人だ」
空気が、完全に固まった。
“公爵夫人”ではない。
“形式的な奥様”でもない。
存在そのものが、優先される対象。
それを、
当主自らが、明言した。
ノエリアは、言葉を失った。
「……アレスト様」
「事実だ」
短く、断定。
「否定する理由は、ないだろう」
その通りだった。
否定すれば、
公爵家の秩序を崩すことになる。
夕刻。
使用人たちは、
完全に意識を切り替えていた。
「奥様の予定、最優先で」
「公爵様より、
奥様の体調を最優先するようにと」
「……もう、説明はいりませんね」
誰もが理解している。
これは、
“溺愛”という言葉で片づけていいものではない。
信頼と依存が、家全体に共有された状態だ。
夜。
ノエリアは、自室で考えていた。
(……変わってしまいましたわね)
自分の立場。
周囲の視線。
屋敷の空気。
それらすべてが、
自分を“中心”に回り始めている。
だが、不安はない。
(……不思議です)
むしろ、
安心している自分がいる。
扉をノックする音。
「……ノエリア」
アレストの声。
「どうぞ」
彼は、部屋に入り、少し距離を取って立つ。
「……今日の件」
「はい」
「行き過ぎだと、思ったか」
珍しく、確認するような問い。
ノエリアは、少し考え――
首を横に振った。
「いいえ」
静かな声。
「私は……
ここにいていいのだと、
初めて思えました」
その言葉に、
アレストは、一瞬だけ目を伏せる。
「……そうか」
それ以上、何も言わない。
だが。
彼は、理解した。
もう戻れない。
この屋敷は、
この公爵家は――
ノエリアを中心に動く場所になった。
そしてそれを、
誰も疑問に思わない。
それが、
どれほど異常で、
どれほど自然なことか。
当事者だけが、
まだ、完全には理解していなかった。
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