8 / 40
8話 差し伸べられた手紙
しおりを挟む
8話 差し伸べられた手紙
フォーマルハウト領に、秋の気配が忍び寄っていた。
朝露を含んだ空気は冷たく、畑の端では刈り取りの準備が始まっている。私は執事とともに倉庫を巡り、在庫の最終確認をしていた。
「こちらは問題ありません。備蓄量も予定通りです」
「ええ。冬越しは十分でしょう」
数字と現場が一致している。
それだけで、心は静かに落ち着いた。
屋敷へ戻ると、書斎の机に一通の手紙が置かれていた。封蝋は控えめだが、王宮の印。差出人は、名を出さない配慮だけが際立つ――中央の官僚だ。
私は封を切り、目を走らせる。
『近頃、諸事に滞りが生じております。かつて貴女が関与されていた件につき、非公式にご助言を賜れないか』
助言。
責任は負わせず、成果だけを求める、便利な言葉。
(……やはり、まだ分かっていない)
私は手紙を折り、そっと机に置いた。返事は書かない。
沈黙は拒絶ではない。ただの距離だ。
その頃、王宮の執務室では、重たい空気が漂っていた。
「……返事は?」
レオンハルトの問いに、側近は首を横に振る。
「ございません。フォーマルハウト領からは、沈黙のままです」
苛立ちが、机の上の書類を揺らす。
「助言を求めているだけだ。戻れとは言っていない」
側近は言葉を選んだ。
「殿下。助言という形が、かえって……」
「何だ?」
「“都合の良い役”に戻ってほしい、と受け取られる恐れが」
レオンハルトは言葉を失った。
それが、核心だったからだ。
同じ時刻。私は執事と向かい合い、次の月の計画を詰めていた。
「街道の補修は、この区間を優先します。雨季に備えて」
「承知しました。職人の手配を」
決断は早い。誰の顔色も伺わない。
ここでは、それが当然だ。
昼過ぎ、もう一通、手紙が届く。今度は王太子の名で。
簡潔で、要点だけが記されている。
『一度、話がしたい』
私はしばし考え、そして紙を閉じた。
(話すことは、あります。けれど――今ではない)
王宮は、まだ“困っている”段階だ。
“理解した”段階ではない。
夕刻、私は領内の市場を歩いた。
商人たちの声、値の交渉、笑い声。ここには、回っている生活がある。
「お嬢様、最近は取引が安定して助かります」
「それは良かった」
それだけでいい。
評価は、結果が語る。
夜、書斎で灯りを落とし、私は二通の手紙を引き出しにしまった。
返事は書かない。だが、捨てもしない。
距離を保つための、静かな選択。
王宮が、自分たちの歯車がどこで噛み合わなくなったのか――
それを言葉ではなく、現実で理解するまで。
私は、ここにいる。
差し伸べられた手に、今は触れないまま。
フォーマルハウト領に、秋の気配が忍び寄っていた。
朝露を含んだ空気は冷たく、畑の端では刈り取りの準備が始まっている。私は執事とともに倉庫を巡り、在庫の最終確認をしていた。
「こちらは問題ありません。備蓄量も予定通りです」
「ええ。冬越しは十分でしょう」
数字と現場が一致している。
それだけで、心は静かに落ち着いた。
屋敷へ戻ると、書斎の机に一通の手紙が置かれていた。封蝋は控えめだが、王宮の印。差出人は、名を出さない配慮だけが際立つ――中央の官僚だ。
私は封を切り、目を走らせる。
『近頃、諸事に滞りが生じております。かつて貴女が関与されていた件につき、非公式にご助言を賜れないか』
助言。
責任は負わせず、成果だけを求める、便利な言葉。
(……やはり、まだ分かっていない)
私は手紙を折り、そっと机に置いた。返事は書かない。
沈黙は拒絶ではない。ただの距離だ。
その頃、王宮の執務室では、重たい空気が漂っていた。
「……返事は?」
レオンハルトの問いに、側近は首を横に振る。
「ございません。フォーマルハウト領からは、沈黙のままです」
苛立ちが、机の上の書類を揺らす。
「助言を求めているだけだ。戻れとは言っていない」
側近は言葉を選んだ。
「殿下。助言という形が、かえって……」
「何だ?」
「“都合の良い役”に戻ってほしい、と受け取られる恐れが」
レオンハルトは言葉を失った。
それが、核心だったからだ。
同じ時刻。私は執事と向かい合い、次の月の計画を詰めていた。
「街道の補修は、この区間を優先します。雨季に備えて」
「承知しました。職人の手配を」
決断は早い。誰の顔色も伺わない。
ここでは、それが当然だ。
昼過ぎ、もう一通、手紙が届く。今度は王太子の名で。
簡潔で、要点だけが記されている。
『一度、話がしたい』
私はしばし考え、そして紙を閉じた。
(話すことは、あります。けれど――今ではない)
王宮は、まだ“困っている”段階だ。
“理解した”段階ではない。
夕刻、私は領内の市場を歩いた。
商人たちの声、値の交渉、笑い声。ここには、回っている生活がある。
「お嬢様、最近は取引が安定して助かります」
「それは良かった」
それだけでいい。
評価は、結果が語る。
夜、書斎で灯りを落とし、私は二通の手紙を引き出しにしまった。
返事は書かない。だが、捨てもしない。
距離を保つための、静かな選択。
王宮が、自分たちの歯車がどこで噛み合わなくなったのか――
それを言葉ではなく、現実で理解するまで。
私は、ここにいる。
差し伸べられた手に、今は触れないまま。
81
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者を奪われましたが、彼が愛していたのは私でした
珊瑚
恋愛
全てが完璧なアイリーン。だが、転落して頭を強く打ってしまったことが原因で意識を失ってしまう。その間に婚約者は妹に奪われてしまっていたが彼の様子は少し変で……?
基本的には、0.6.12.18時の何れかに更新します。どうぞ宜しくお願いいたします。
とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜
入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】
社交界を賑わせた婚約披露の茶会。
令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。
「真実の愛を見つけたんだ」
それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。
愛よりも冷たく、そして美しく。
笑顔で地獄へお送りいたします――
なんでも思い通りにしないと気が済まない妹から逃げ出したい
木崎優
恋愛
「君には大変申し訳なく思っている」
私の婚約者はそう言って、心苦しそうに顔を歪めた。「私が悪いの」と言いながら瞳を潤ませている、私の妹アニエスの肩を抱きながら。
アニエスはいつだって私の前に立ちはだかった。
これまで何ひとつとして、私の思い通りになったことはない。すべてアニエスが決めて、両親はアニエスが言うことならと頷いた。
だからきっと、この婚約者の入れ替えも両親は快諾するのだろう。アニエスが決めたのなら間違いないからと。
もういい加減、妹から離れたい。
そう思った私は、魔術師の弟子ノエルに結婚を前提としたお付き合いを申し込んだ。互いに利のある契約として。
だけど弟子だと思ってたその人は実は魔術師で、しかも私を好きだったらしい。
婚約破棄されました。
まるねこ
恋愛
私、ルナ・ブラウン。歳は本日14歳となったところですわ。家族は父ラスク・ブラウン公爵と母オリヴィエ、そして3つ上の兄、アーロの4人家族。
本日、私の14歳の誕生日のお祝いと、婚約者のお披露目会を兼ねたパーティーの場でそれは起こりました。
ド定番的な婚約破棄からの恋愛物です。
習作なので短めの話となります。
恋愛大賞に応募してみました。内容は変わっていませんが、少し文を整えています。
ふんわり設定で気軽に読んでいただければ幸いです。
Copyright©︎2020-まるねこ
【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。
やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。
落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。
毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。
様子がおかしい青年に気づく。
ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。
ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
最終話まで予約投稿済です。
次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。
ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。
楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。
最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜
腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。
「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。
エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる