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8話 差し伸べられた手紙
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8話 差し伸べられた手紙
フォーマルハウト領に、秋の気配が忍び寄っていた。
朝露を含んだ空気は冷たく、畑の端では刈り取りの準備が始まっている。私は執事とともに倉庫を巡り、在庫の最終確認をしていた。
「こちらは問題ありません。備蓄量も予定通りです」
「ええ。冬越しは十分でしょう」
数字と現場が一致している。
それだけで、心は静かに落ち着いた。
屋敷へ戻ると、書斎の机に一通の手紙が置かれていた。封蝋は控えめだが、王宮の印。差出人は、名を出さない配慮だけが際立つ――中央の官僚だ。
私は封を切り、目を走らせる。
『近頃、諸事に滞りが生じております。かつて貴女が関与されていた件につき、非公式にご助言を賜れないか』
助言。
責任は負わせず、成果だけを求める、便利な言葉。
(……やはり、まだ分かっていない)
私は手紙を折り、そっと机に置いた。返事は書かない。
沈黙は拒絶ではない。ただの距離だ。
その頃、王宮の執務室では、重たい空気が漂っていた。
「……返事は?」
レオンハルトの問いに、側近は首を横に振る。
「ございません。フォーマルハウト領からは、沈黙のままです」
苛立ちが、机の上の書類を揺らす。
「助言を求めているだけだ。戻れとは言っていない」
側近は言葉を選んだ。
「殿下。助言という形が、かえって……」
「何だ?」
「“都合の良い役”に戻ってほしい、と受け取られる恐れが」
レオンハルトは言葉を失った。
それが、核心だったからだ。
同じ時刻。私は執事と向かい合い、次の月の計画を詰めていた。
「街道の補修は、この区間を優先します。雨季に備えて」
「承知しました。職人の手配を」
決断は早い。誰の顔色も伺わない。
ここでは、それが当然だ。
昼過ぎ、もう一通、手紙が届く。今度は王太子の名で。
簡潔で、要点だけが記されている。
『一度、話がしたい』
私はしばし考え、そして紙を閉じた。
(話すことは、あります。けれど――今ではない)
王宮は、まだ“困っている”段階だ。
“理解した”段階ではない。
夕刻、私は領内の市場を歩いた。
商人たちの声、値の交渉、笑い声。ここには、回っている生活がある。
「お嬢様、最近は取引が安定して助かります」
「それは良かった」
それだけでいい。
評価は、結果が語る。
夜、書斎で灯りを落とし、私は二通の手紙を引き出しにしまった。
返事は書かない。だが、捨てもしない。
距離を保つための、静かな選択。
王宮が、自分たちの歯車がどこで噛み合わなくなったのか――
それを言葉ではなく、現実で理解するまで。
私は、ここにいる。
差し伸べられた手に、今は触れないまま。
フォーマルハウト領に、秋の気配が忍び寄っていた。
朝露を含んだ空気は冷たく、畑の端では刈り取りの準備が始まっている。私は執事とともに倉庫を巡り、在庫の最終確認をしていた。
「こちらは問題ありません。備蓄量も予定通りです」
「ええ。冬越しは十分でしょう」
数字と現場が一致している。
それだけで、心は静かに落ち着いた。
屋敷へ戻ると、書斎の机に一通の手紙が置かれていた。封蝋は控えめだが、王宮の印。差出人は、名を出さない配慮だけが際立つ――中央の官僚だ。
私は封を切り、目を走らせる。
『近頃、諸事に滞りが生じております。かつて貴女が関与されていた件につき、非公式にご助言を賜れないか』
助言。
責任は負わせず、成果だけを求める、便利な言葉。
(……やはり、まだ分かっていない)
私は手紙を折り、そっと机に置いた。返事は書かない。
沈黙は拒絶ではない。ただの距離だ。
その頃、王宮の執務室では、重たい空気が漂っていた。
「……返事は?」
レオンハルトの問いに、側近は首を横に振る。
「ございません。フォーマルハウト領からは、沈黙のままです」
苛立ちが、机の上の書類を揺らす。
「助言を求めているだけだ。戻れとは言っていない」
側近は言葉を選んだ。
「殿下。助言という形が、かえって……」
「何だ?」
「“都合の良い役”に戻ってほしい、と受け取られる恐れが」
レオンハルトは言葉を失った。
それが、核心だったからだ。
同じ時刻。私は執事と向かい合い、次の月の計画を詰めていた。
「街道の補修は、この区間を優先します。雨季に備えて」
「承知しました。職人の手配を」
決断は早い。誰の顔色も伺わない。
ここでは、それが当然だ。
昼過ぎ、もう一通、手紙が届く。今度は王太子の名で。
簡潔で、要点だけが記されている。
『一度、話がしたい』
私はしばし考え、そして紙を閉じた。
(話すことは、あります。けれど――今ではない)
王宮は、まだ“困っている”段階だ。
“理解した”段階ではない。
夕刻、私は領内の市場を歩いた。
商人たちの声、値の交渉、笑い声。ここには、回っている生活がある。
「お嬢様、最近は取引が安定して助かります」
「それは良かった」
それだけでいい。
評価は、結果が語る。
夜、書斎で灯りを落とし、私は二通の手紙を引き出しにしまった。
返事は書かない。だが、捨てもしない。
距離を保つための、静かな選択。
王宮が、自分たちの歯車がどこで噛み合わなくなったのか――
それを言葉ではなく、現実で理解するまで。
私は、ここにいる。
差し伸べられた手に、今は触れないまま。
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