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第十五章 衛生革命の完成
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冬の終わり、王都の外縁にある巨大処理場の前で、一本の赤いリボンが風に揺れていた。
最終区画――王都全域の下水道を結ぶ最後の連絡管が、今日、通水する。
「顧問殿、準備はいいかい?」
マルクス親方が豪快に笑い、エリアナへ金色の剪定鋏を差し出した。
「ええ。……これで本当に終わるのね」
合図のラッパが鳴る。刃がリボンを断つと同時に、地下から低く澄んだ水音が響き、観覧台から大きな歓声が上がった。
国王陛下が立ち上がり、朗々と宣言する。
「本日をもって、王都上下水道事業は完遂した! 民は清潔なる水を得、汚水は正しく処される。これは我が国の新たなる夜明けである!」
旗が振られ、子どもたちが白いハンカチを舞わせる。
ソフィアは潤んだ目で「長かったわね」と呟き、ルカスは胸甲の上から右拳を当てて敬礼した。アレクサンダーは計測板を掲げ、処理水の透明度を示す。誰もが笑っていた。
式典のあと、王都中央広場では「健康都市宣言」が読み上げられた。
掲示板には、過去一年の数字が大書される。
――感染症発生率 前年対比 ▲89%
――乳幼児死亡率 前年対比 ▲72%
――労働欠勤日数 前年対比 ▲41%
――税収 前年対比 +18%
人々はざわめき、やがて拍手の奔流が広場を満たす。
壇上へ進み出た財務大臣ヴィクターは、深々と頭を下げた。
「……私は、これを“無駄な公共事業”と断じた。不明を恥じ、ここに謝罪する。経済は、清潔と健康の上に築かれる――それを学んだのだ」
かつて鼻で笑った貴族たちも列をなして進み出る。
「屋敷の宅内配管、追加でお願いします」「貧民街から先にやる意味、今なら分かる」
手のひら返しの手は温かく、しかし少しばかり気恥ずかしい。
国王は玉座から降り、エリアナの前に立った。
「エリアナ・フォン・アルトハイム。そなたの知恵と執念が王都を救った。よって新たに“王国都市計画総監”の職を授ける。加えて、民の呼び名を正式としよう――『衛生革命の母』である」
「も、もう十分すぎる称号ですわ……! 私、医者でも土木技師でもなく、ただの――」
「“ただのオタク”だろう?」とルカスが小さく笑い、囁く。
「ええ、ゲームと本の聞きかじりです」
「その“聞きかじり”で、国が変わった」
夜。
高台の見張り塔から見下ろす王都は、街路樹が並ぶ大通りに暖かな灯が流れ、区画ごとに静かな秩序を保っていた。公園では子どもが咳ひとつせず走り回り、遠くの運河では荷船の灯火が行き交う。
地下からは、規律正しく水が駆ける音――新しい時代の心音がかすかに聴こえる。
「……百年使える下水道、できちゃったわね」
エリアナはマドレーヌを一口齧り、紅茶で流し込む。
甘さが、長い年月の苦味をやさしく溶かした。
「顧問殿!」
駆け上がってきた見習い技師が、巻物を差し出す。
「“下水道マイスター”第一期の修了者名簿です!」
そこには、貧民街出身の名も、職人の娘の名も、元兵士の名も並んでいた。技術は身分を越え、未来の標準語になろうとしている。
ふいに、石畳の陰から声が飛ぶ。
「マンホールの蓋ですが、やはり家紋入りで――」
「機能最優先、でも少しだけ可愛いの、許可します」
笑いが塔の上まで届く。都市が“自分たちのもの”になった証だ。
ディミトリからは隣国第二都市の再整備要請、アレクサンダーからは水質試験の新規プロトコル、マルクスからは橋梁設計の相談。
机の上の案件は山積みだが、不思議と心は軽い。
(医学、農業、そして衛生。きっと次は――道路、橋、港、そして光を運ぶ網……)
星明かりが、まだ見ぬ路線図を描くように瞬いていた。
「さあ、行きましょうか。都市は“完成”した瞬間から、次の改良が始まるのだから」
エリアナは外套の襟を正し、塔を降りる。
足下で、百年先へ続く水音が、確かに彼女を背中から押した。
---
(衛生革命編 完)
最終区画――王都全域の下水道を結ぶ最後の連絡管が、今日、通水する。
「顧問殿、準備はいいかい?」
マルクス親方が豪快に笑い、エリアナへ金色の剪定鋏を差し出した。
「ええ。……これで本当に終わるのね」
合図のラッパが鳴る。刃がリボンを断つと同時に、地下から低く澄んだ水音が響き、観覧台から大きな歓声が上がった。
国王陛下が立ち上がり、朗々と宣言する。
「本日をもって、王都上下水道事業は完遂した! 民は清潔なる水を得、汚水は正しく処される。これは我が国の新たなる夜明けである!」
旗が振られ、子どもたちが白いハンカチを舞わせる。
ソフィアは潤んだ目で「長かったわね」と呟き、ルカスは胸甲の上から右拳を当てて敬礼した。アレクサンダーは計測板を掲げ、処理水の透明度を示す。誰もが笑っていた。
式典のあと、王都中央広場では「健康都市宣言」が読み上げられた。
掲示板には、過去一年の数字が大書される。
――感染症発生率 前年対比 ▲89%
――乳幼児死亡率 前年対比 ▲72%
――労働欠勤日数 前年対比 ▲41%
――税収 前年対比 +18%
人々はざわめき、やがて拍手の奔流が広場を満たす。
壇上へ進み出た財務大臣ヴィクターは、深々と頭を下げた。
「……私は、これを“無駄な公共事業”と断じた。不明を恥じ、ここに謝罪する。経済は、清潔と健康の上に築かれる――それを学んだのだ」
かつて鼻で笑った貴族たちも列をなして進み出る。
「屋敷の宅内配管、追加でお願いします」「貧民街から先にやる意味、今なら分かる」
手のひら返しの手は温かく、しかし少しばかり気恥ずかしい。
国王は玉座から降り、エリアナの前に立った。
「エリアナ・フォン・アルトハイム。そなたの知恵と執念が王都を救った。よって新たに“王国都市計画総監”の職を授ける。加えて、民の呼び名を正式としよう――『衛生革命の母』である」
「も、もう十分すぎる称号ですわ……! 私、医者でも土木技師でもなく、ただの――」
「“ただのオタク”だろう?」とルカスが小さく笑い、囁く。
「ええ、ゲームと本の聞きかじりです」
「その“聞きかじり”で、国が変わった」
夜。
高台の見張り塔から見下ろす王都は、街路樹が並ぶ大通りに暖かな灯が流れ、区画ごとに静かな秩序を保っていた。公園では子どもが咳ひとつせず走り回り、遠くの運河では荷船の灯火が行き交う。
地下からは、規律正しく水が駆ける音――新しい時代の心音がかすかに聴こえる。
「……百年使える下水道、できちゃったわね」
エリアナはマドレーヌを一口齧り、紅茶で流し込む。
甘さが、長い年月の苦味をやさしく溶かした。
「顧問殿!」
駆け上がってきた見習い技師が、巻物を差し出す。
「“下水道マイスター”第一期の修了者名簿です!」
そこには、貧民街出身の名も、職人の娘の名も、元兵士の名も並んでいた。技術は身分を越え、未来の標準語になろうとしている。
ふいに、石畳の陰から声が飛ぶ。
「マンホールの蓋ですが、やはり家紋入りで――」
「機能最優先、でも少しだけ可愛いの、許可します」
笑いが塔の上まで届く。都市が“自分たちのもの”になった証だ。
ディミトリからは隣国第二都市の再整備要請、アレクサンダーからは水質試験の新規プロトコル、マルクスからは橋梁設計の相談。
机の上の案件は山積みだが、不思議と心は軽い。
(医学、農業、そして衛生。きっと次は――道路、橋、港、そして光を運ぶ網……)
星明かりが、まだ見ぬ路線図を描くように瞬いていた。
「さあ、行きましょうか。都市は“完成”した瞬間から、次の改良が始まるのだから」
エリアナは外套の襟を正し、塔を降りる。
足下で、百年先へ続く水音が、確かに彼女を背中から押した。
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(衛生革命編 完)
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