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第3話 思い出の毛布と、一切れのパン
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第3話 思い出の毛布と、一切れのパン
その夜、キャロはふかふかのベッドに横たわりながら、天井を見上げていた。
(……眠れるかしら、と思いましたけれど)
意識してみれば、すでに身体はすっかり弛緩している。極寒監獄という名に反して、部屋はほどよく暖かく、毛布は驚くほど柔らかい。
「……これは反則ですわね」
小さく呟き、寝返りを打つ。
その瞬間、ふと脳裏に引っかかるものがあった。
――“特別な身分”。
(いったい、何が特別だと言うのでしょう)
昼間からずっと、違和感は拭えなかった。所長ヴァルトの態度は、丁寧を通り越して、どこか“親しみ”すら感じさせたからだ。
翌朝。
「姫様。お目覚めでございますか?」
控えめなノックと共に、ヴァルトの声がした。
「ええ、どうぞ」
扉が開くと、そこには湯気を立てるトレイを手にしたヴァルトの姿があった。
「朝食でございます。温かいスープと、焼きたてのパンを」
「……所長自ら?」
「はい」
当たり前のように答える彼に、キャロは思わず眉を上げる。
「本当に、監獄ですのよね、ここ」
「重ねて申し上げますが、間違いなく」
そう言って、ヴァルトは小さく笑った。
テーブルに並べられたのは、野菜たっぷりのスープと、香ばしいパン。添えられたバターからも、上質な香りが漂っている。
「……囚人の食事ではありませんわ」
「姫様は、一般の囚人とは事情が異なりますので」
「その“事情”、そろそろ教えていただいてもよろしくて?」
キャロがそう言うと、ヴァルトは一瞬、言葉を探すように視線を落とした。
「……覚えていらっしゃらないでしょうね」
「?」
彼はゆっくりと口を開く。
「十数年前、王宮の裏庭で……一人の孤児が倒れておりました」
キャロは、スプーンを止めた。
「極寒の夜でした。雪が降り、食べ物もなく、あのままでは朝を迎えられなかったでしょう」
静かな声が、暖炉の音と溶け合う。
「そこへ通りかかったのが、まだ幼い姫様でした」
「……」
「姫様は、その孤児に毛布を掛け、パンを半分に割って渡し、こうおっしゃったのです。
『寒いでしょう? 無理をなさらないで』と」
キャロは、はっと目を見開いた。
(……そんなこと)
「……覚えていませんわ」
正直な言葉だった。
王女として育った彼女にとって、誰かに毛布や食べ物を分けたことなど、日常の中の取るに足らない出来事だったのだろう。
ヴァルトは、穏やかに頷いた。
「当然です。姫様にとっては、何気ない善意だったのでしょう」
そして、静かに顔を上げる。
「ですが、あの日のぬくもりがなければ……今の私は、ここにはおりません」
キャロは、言葉を失った。
「……まさか」
「ええ。その孤児が、私です」
しん、と部屋が静まり返る。
キャロは、思わず彼の顔をまじまじと見つめた。凛とした佇まい。監獄所長という責任ある立場。
目の前の男性と、雪の中で震える孤児の姿が、なかなか結びつかない。
「……そんな、大げさな」
「いいえ。私にとっては、人生を変える出来事でした」
ヴァルトは深く頭を下げた。
「ですから、姫様がここに来られたと知ったとき……せめて、この身の及ぶ限りの恩返しをと」
キャロは、しばらく黙り込んだまま、スープに視線を落とした。
湯気が、ゆらりと揺れる。
(……毛布と、パン一切れ)
自分が与えた記憶もないほどの、小さな善意。それが、こうして巡り巡って、自分を守る場所を作っていた。
「……困りましたわね」
ぽつりと、キャロは言った。
「困りますか?」
「ええ。だって」
彼女は、ふっと微笑む。
「そこまで言われてしまったら――このぬくぬくを、全力で満喫しないと失礼ではありません?」
一瞬きょとんとしたヴァルトは、やがて小さく、安堵したように笑った。
「……姫様らしいお言葉です」
キャロは、パンを一口かじる。
(……なるほど)
(ここは、私が“守られている場所”なのですわ)
暖炉の火は、今日も静かに燃えていた。
その夜、キャロはふかふかのベッドに横たわりながら、天井を見上げていた。
(……眠れるかしら、と思いましたけれど)
意識してみれば、すでに身体はすっかり弛緩している。極寒監獄という名に反して、部屋はほどよく暖かく、毛布は驚くほど柔らかい。
「……これは反則ですわね」
小さく呟き、寝返りを打つ。
その瞬間、ふと脳裏に引っかかるものがあった。
――“特別な身分”。
(いったい、何が特別だと言うのでしょう)
昼間からずっと、違和感は拭えなかった。所長ヴァルトの態度は、丁寧を通り越して、どこか“親しみ”すら感じさせたからだ。
翌朝。
「姫様。お目覚めでございますか?」
控えめなノックと共に、ヴァルトの声がした。
「ええ、どうぞ」
扉が開くと、そこには湯気を立てるトレイを手にしたヴァルトの姿があった。
「朝食でございます。温かいスープと、焼きたてのパンを」
「……所長自ら?」
「はい」
当たり前のように答える彼に、キャロは思わず眉を上げる。
「本当に、監獄ですのよね、ここ」
「重ねて申し上げますが、間違いなく」
そう言って、ヴァルトは小さく笑った。
テーブルに並べられたのは、野菜たっぷりのスープと、香ばしいパン。添えられたバターからも、上質な香りが漂っている。
「……囚人の食事ではありませんわ」
「姫様は、一般の囚人とは事情が異なりますので」
「その“事情”、そろそろ教えていただいてもよろしくて?」
キャロがそう言うと、ヴァルトは一瞬、言葉を探すように視線を落とした。
「……覚えていらっしゃらないでしょうね」
「?」
彼はゆっくりと口を開く。
「十数年前、王宮の裏庭で……一人の孤児が倒れておりました」
キャロは、スプーンを止めた。
「極寒の夜でした。雪が降り、食べ物もなく、あのままでは朝を迎えられなかったでしょう」
静かな声が、暖炉の音と溶け合う。
「そこへ通りかかったのが、まだ幼い姫様でした」
「……」
「姫様は、その孤児に毛布を掛け、パンを半分に割って渡し、こうおっしゃったのです。
『寒いでしょう? 無理をなさらないで』と」
キャロは、はっと目を見開いた。
(……そんなこと)
「……覚えていませんわ」
正直な言葉だった。
王女として育った彼女にとって、誰かに毛布や食べ物を分けたことなど、日常の中の取るに足らない出来事だったのだろう。
ヴァルトは、穏やかに頷いた。
「当然です。姫様にとっては、何気ない善意だったのでしょう」
そして、静かに顔を上げる。
「ですが、あの日のぬくもりがなければ……今の私は、ここにはおりません」
キャロは、言葉を失った。
「……まさか」
「ええ。その孤児が、私です」
しん、と部屋が静まり返る。
キャロは、思わず彼の顔をまじまじと見つめた。凛とした佇まい。監獄所長という責任ある立場。
目の前の男性と、雪の中で震える孤児の姿が、なかなか結びつかない。
「……そんな、大げさな」
「いいえ。私にとっては、人生を変える出来事でした」
ヴァルトは深く頭を下げた。
「ですから、姫様がここに来られたと知ったとき……せめて、この身の及ぶ限りの恩返しをと」
キャロは、しばらく黙り込んだまま、スープに視線を落とした。
湯気が、ゆらりと揺れる。
(……毛布と、パン一切れ)
自分が与えた記憶もないほどの、小さな善意。それが、こうして巡り巡って、自分を守る場所を作っていた。
「……困りましたわね」
ぽつりと、キャロは言った。
「困りますか?」
「ええ。だって」
彼女は、ふっと微笑む。
「そこまで言われてしまったら――このぬくぬくを、全力で満喫しないと失礼ではありません?」
一瞬きょとんとしたヴァルトは、やがて小さく、安堵したように笑った。
「……姫様らしいお言葉です」
キャロは、パンを一口かじる。
(……なるほど)
(ここは、私が“守られている場所”なのですわ)
暖炉の火は、今日も静かに燃えていた。
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