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第2話 同情の視線と、朝寝坊専用の病弱ごっこ
しおりを挟む玉座の間を出てからというもの、城内の空気は明らかに変わっていた。
正確に言えば――視線だ。
廊下を歩けば、ひそひそと囁きが追いかけてくる。
すれ違う貴族たちは、気の毒そうに眉を下げ、侍女たちは息を呑んで一礼する。
――ああ、これ。
(同情、ですわね)
アルフェッタは心の中で、そう確認した。
婚約破棄された公爵令嬢。
社交界的には「かわいそうな存在」であり、同時に「絶好の噂の的」でもある。慰めるふりをしながら、内心では面白がる人間も少なくない。
視線の中身が、手に取るように分かる。
――泣いているはず。
――取り乱しているに違いない。
――強がっているだけなのでは?
廊下の角を曲がったところで、年配の伯爵夫人が声をかけてきた。
「まあ……アルフェッタ様……。お心中、お察しいたしますわ」
目元に浮かぶのは、完璧な同情用の表情。
社交の場で何度も見てきた、模範解答の顔だ。
(あれ?)
(ここ、悲しんだほうがいい場面?)
一瞬、考える。
涙を浮かべる。
声を震わせる。
「お気遣いありがとうございます」と、弱々しく微笑む。
――悲劇のヒロインごっこ。
(……ありですけれど)
アルフェッタは、すぐに首を横に振った。
(疲れそうですわね)
毎回、表情を作り、感情を演じ、周囲の期待に応え続ける。
それはもう“遊び”ではなく“労働”だ。
「ご心配には及びませんわ」
穏やかに、はっきりと答える。
「私は元気ですもの」
伯爵夫人は、言葉を失ったように瞬きをした。
想定していた返しではなかったのだろう。
「あ、ええ……そう……ですの……?」
「はい」
にこり、と微笑む。
弱々しさはないが、敵意もない。あくまで自然体だ。
そのまま一礼し、アルフェッタは歩き去った。
背後で、小さなざわめきが起こる。
――元気……?
――強がり?
――それとも……?
(考えさせておけばよろしいですわ)
どう思われようと構わない。
誤解されるのも、同情されるのも、彼女にとっては等価だった。
城を出て、公爵家の馬車に乗り込む。
揺れ始めた車内で、アルフェッタはふう、と小さく息を吐いた。
「……さて」
窓の外を眺めながら、これからの立ち回りを考える。
(全部元気だと、逆に浮きますわよね)
同情され続けるのも面倒だが、あまりにも平然としていると、それはそれで余計な注目を集める。
(適度に、弱っている“設定”は必要)
そこで、ひらめく。
(病弱ごっこ、使いどころ限定でいきましょう)
枯れ葉が落ちるたびに咳き込む薄幸令嬢?
一日中ベッドで儚げに微笑む?
(却下)
そんな生活は、楽しくない。
(朝寝坊するときだけ)
それならいい。
朝、起きたくない日。
まだ布団のぬくもりを堪能したい日。
そういうときだけ、「少し体調が優れませんの」と言えばいい。
(昼になれば元気になりますし)
むしろ、昼からが本番だ。
馬車が公爵邸の門をくぐる。
使用人たちが慌てて整列し、主を迎える準備をしているのが見えた。
降り立った瞬間、執事が一歩前に出る。
「お帰りなさいませ、アルフェッタ様。……その、お疲れでは?」
慎重な言い回し。
すでに、噂は届いているらしい。
「ええ、少し」
アルフェッタはにこやかに答えた。
「ですから――今日は、早めに休みますわ」
嘘ではない。
だって、もう決めている。
明日は、昼まで寝る。
階段を上りながら、彼女は内心で満足そうに頷いた。
(幸運イベントも、不幸イベントも)
(こうして使い分ければ、ちゃんと楽しめますわね)
公爵邸の扉が閉まる。
ここから先は、誰に気を遣う必要もない場所だ。
「さあ……」
部屋のドアを開けながら、アルフェッタは小さく呟く。
「明日は何をして遊びましょうか」
異世界転生生活は、まだ始まったばかり。
そして彼女は――
楽しむ準備を、着々と整えていた。
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