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第26話 台詞はいらない
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第26話 台詞はいらない
リオの本が棚に置かれてから、三日が過ぎた。
特別な告知は、していない。
新刊、などという札も出していない。
それでも――
人は、自然と気づいた。
棚の前で足を止め、
一度、手を伸ばし、
そして、静かに椅子へ向かう。
アルフェッタは、その光景を奥の席から眺めていた。
(やっぱり……分かりますのね)
派手さはない。
装丁も簡素。
線は、まだ拙い。
けれど、その本を開いた人は、皆、同じ動きをする。
――戻る。
読み終えて、すぐ棚に返さない。
最初のページへ、もう一度。
それは、説明を求めている動きではない。
確認でも、理解でもない。
ただ、
もう一度、辿りたいという衝動。
午後。
いつもの少年――別の子が、ぽつりと呟いた。
「……これ……
しゃべってないのに……」
隣にいた大人が、続きを受け取る。
「……分かるな」
二人とも、それ以上は言わなかった。
言葉にする必要が、ない。
アルフェッタは、胸の奥で静かに頷く。
(ええ。台詞はいりませんわ)
言葉は、便利だ。
だが同時に、方向を決めてしまう。
この人は、こう思っている。
この場面は、こういう意味だ。
それが悪いわけではない。
けれど――
この場所には、少し強すぎる。
マンガ喫茶は、
答えを与える場所ではない。
考えなくてもいい。
理解しなくてもいい。
感じるだけで、十分。
夕方、リオが、いつもの席に座っていた。
本は開いていない。
紙も、出していない。
ただ、棚を眺めている。
アルフェッタは、声をかけなかった。
けれど、リオのほうから、ぽつりと話しかけてきた。
「……あの……」
「はい」
「……字、入れたほうが……
いいですか?」
アルフェッタは、一瞬だけ考えた。
そして、首を横に振る。
「今は、いりませんわ」
「……でも……」
「理由、聞きます?」
リオは、こくんと頷いた。
「文字があると、
読む人の目が、文字に引っ張られてしまいます」
リオは、きょとんとする。
「絵を見てほしい。
線を追ってほしい」
「……はい」
「それなら、
言葉は、邪魔になることもありますの」
アルフェッタは、柔らかく続ける。
「描きたいと思ったら、描けばいい。
書きたいと思ったら、書けばいい」
「……今は?」
「今は、
描きたいから、描いているのでしょう?」
リオは、少し考え、頷いた。
「……はい」
「それで、十分ですわ」
その日、リオは描かなかった。
紙も、鉛筆も出さなかった。
それでいい。
夜、侍女が報告を持ってくる。
「……あの本、
修繕がほとんど必要ありません」
「そうでしょうね」
「皆さま、とても丁寧に……
まるで、壊したらいけないもののように」
アルフェッタは、微笑んだ。
「壊れたら、
物語が途切れてしまいますもの」
翌日。
新しい紙が、棚に一冊分だけ増えた。
リオの、次の話。
やはり、台詞はない。
けれど、前より少し、線が増えている。
背景。
小さな仕草。
視線の向き。
(……進んでいますわね)
誰も、急かしていない。
誰も、評価していない。
それでも、
自然に、前へ進んでいる。
異世界転生生活二十六日目。
アルフェッタは今日、
「表現には、必ずしも言葉が必要ではない」
という選択を、はっきりと肯定した。
そして同時に――
この静かな場所から、
やがて無数の「描く人」が生まれていくことを、
彼女はまだ、知らないふりをしていた。
だってそれは、
ざまぁでも、改革でもない。
ただの、
楽しい遊びの続きなのだから。
リオの本が棚に置かれてから、三日が過ぎた。
特別な告知は、していない。
新刊、などという札も出していない。
それでも――
人は、自然と気づいた。
棚の前で足を止め、
一度、手を伸ばし、
そして、静かに椅子へ向かう。
アルフェッタは、その光景を奥の席から眺めていた。
(やっぱり……分かりますのね)
派手さはない。
装丁も簡素。
線は、まだ拙い。
けれど、その本を開いた人は、皆、同じ動きをする。
――戻る。
読み終えて、すぐ棚に返さない。
最初のページへ、もう一度。
それは、説明を求めている動きではない。
確認でも、理解でもない。
ただ、
もう一度、辿りたいという衝動。
午後。
いつもの少年――別の子が、ぽつりと呟いた。
「……これ……
しゃべってないのに……」
隣にいた大人が、続きを受け取る。
「……分かるな」
二人とも、それ以上は言わなかった。
言葉にする必要が、ない。
アルフェッタは、胸の奥で静かに頷く。
(ええ。台詞はいりませんわ)
言葉は、便利だ。
だが同時に、方向を決めてしまう。
この人は、こう思っている。
この場面は、こういう意味だ。
それが悪いわけではない。
けれど――
この場所には、少し強すぎる。
マンガ喫茶は、
答えを与える場所ではない。
考えなくてもいい。
理解しなくてもいい。
感じるだけで、十分。
夕方、リオが、いつもの席に座っていた。
本は開いていない。
紙も、出していない。
ただ、棚を眺めている。
アルフェッタは、声をかけなかった。
けれど、リオのほうから、ぽつりと話しかけてきた。
「……あの……」
「はい」
「……字、入れたほうが……
いいですか?」
アルフェッタは、一瞬だけ考えた。
そして、首を横に振る。
「今は、いりませんわ」
「……でも……」
「理由、聞きます?」
リオは、こくんと頷いた。
「文字があると、
読む人の目が、文字に引っ張られてしまいます」
リオは、きょとんとする。
「絵を見てほしい。
線を追ってほしい」
「……はい」
「それなら、
言葉は、邪魔になることもありますの」
アルフェッタは、柔らかく続ける。
「描きたいと思ったら、描けばいい。
書きたいと思ったら、書けばいい」
「……今は?」
「今は、
描きたいから、描いているのでしょう?」
リオは、少し考え、頷いた。
「……はい」
「それで、十分ですわ」
その日、リオは描かなかった。
紙も、鉛筆も出さなかった。
それでいい。
夜、侍女が報告を持ってくる。
「……あの本、
修繕がほとんど必要ありません」
「そうでしょうね」
「皆さま、とても丁寧に……
まるで、壊したらいけないもののように」
アルフェッタは、微笑んだ。
「壊れたら、
物語が途切れてしまいますもの」
翌日。
新しい紙が、棚に一冊分だけ増えた。
リオの、次の話。
やはり、台詞はない。
けれど、前より少し、線が増えている。
背景。
小さな仕草。
視線の向き。
(……進んでいますわね)
誰も、急かしていない。
誰も、評価していない。
それでも、
自然に、前へ進んでいる。
異世界転生生活二十六日目。
アルフェッタは今日、
「表現には、必ずしも言葉が必要ではない」
という選択を、はっきりと肯定した。
そして同時に――
この静かな場所から、
やがて無数の「描く人」が生まれていくことを、
彼女はまだ、知らないふりをしていた。
だってそれは、
ざまぁでも、改革でもない。
ただの、
楽しい遊びの続きなのだから。
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