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第27話 文盲率が下がっている件
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第27話 文盲率が下がっている件
変化は、いつも静かに始まる。
だから最初にそれに気づいたのは、
アルフェッタ本人ではなかった。
「……最近、帳簿の確認が早くなりました」
ある日の午後。
屋敷の管理を任されている執事が、少し首を傾げながらそう報告してきた。
「早く?」
「はい。
使用人たちが、文字を“拾う”ようになりまして」
アルフェッタは、紅茶を飲む手を止めた。
「拾う?」
「完全に読めている、というわけではありません。
ただ……見覚えのある形を、見つけるようになった、と言いますか」
アルフェッタは、すぐに理解した。
(……ああ)
マンガ喫茶。
絵本。
台詞のない物語。
そこに、ほんの少しずつ混ざり始めた、短い文字。
名前。
看板。
道具の呼び名。
誰かに「覚えろ」と言われたわけではない。
試験も、授業もない。
ただ、気になっただけ。
それだけで、人は文字を見るようになる。
「庭師の一人がですね、
道具箱に書いてある文字を指して、
“これ、あの本に出てきた”と言いまして」
執事は、どこか不思議そうに続ける。
「それで、隣の者に聞いて……
いつの間にか、覚えてしまったようなのです」
アルフェッタは、小さく笑った。
(ええ、そうでしょうね)
文字は、本来、敵ではない。
ただ、近づく理由がなかっただけ。
翌日。
マンガ喫茶で、似たような光景を目にする。
商人風の男が、棚の前で本を開きながら、
隣の子どもに声をかけていた。
「……これ、何て読む?」
「……これ?
“みず”」
「……水?」
「うん。
ほら、この絵のとこ」
男は、しばらく考え込み、
そして、ふっと笑った。
「……なるほどな」
それだけ。
書き取りもしない。
復唱もしない。
でも、その男は、
翌日、店の外に置かれた水桶の札を見て、
足を止めた。
「……あ」
その声は、誰に聞かせるでもない、
小さな気づきの音だった。
アルフェッタは、奥の席からその様子を見ていた。
(減ってますわね)
数字としての「文盲率」を、
彼女は調べていない。
統計も、報告書も、作っていない。
でも、分かる。
読めない人が減っているのではない。
読みたい人が、増えている。
それは、まったく別のことだ。
夕方、リオが、少し照れたように言った。
「……この前……
商人のおじさんが……
“字、教えて”って」
「教えたの?」
「……ちょっとだけ」
アルフェッタは、何も言わなかった。
止めもしない。
教える側に立つ、という意識を持たせたくない。
(勝手に、起きるものは)
(勝手に、起きさせておけばいい)
それが、この場所のやり方だ。
数日後、王都の市場で、噂が立ち始める。
「最近、文字を覚える子どもが多い」
「公爵家の近くに、不思議な喫茶があるらしい」
噂は、誇張される。
「入るだけで、字が読めるようになる」
「絵を見てるだけで、賢くなる」
アルフェッタは、その話を聞いて、
少しだけ眉をひそめた。
(それは、違いますわね)
入るだけで、変わるわけではない。
努力が不要なわけでもない。
ただ――
楽しいから、続く。
それだけだ。
だから、あえて何もしない。
説明もしない。
訂正もしない。
誤解は、放っておけば薄まる。
夜、執事が再び報告に来た。
「……王都の役所から、
“参考にしたい”という問い合わせがありました」
「断ってください」
即答だった。
「理由は?」
「“やり方”を真似されたら、
意味がなくなりますわ」
義務になった瞬間、
これは終わる。
楽しさが、目的から外れた瞬間に。
異世界転生生活二十七日目。
アルフェッタは今日も、
何かを成し遂げたつもりはない。
けれど確かに――
文字が、特別なものではなくなり始めていた。
それは革命でも、改革でもない。
ただ、
人が、興味を持つ順番が、少し変わっただけ。
その小さな変化が、
この世界の未来を、静かに書き換え始めていることを、
彼女だけが、なんとなく理解していた。
変化は、いつも静かに始まる。
だから最初にそれに気づいたのは、
アルフェッタ本人ではなかった。
「……最近、帳簿の確認が早くなりました」
ある日の午後。
屋敷の管理を任されている執事が、少し首を傾げながらそう報告してきた。
「早く?」
「はい。
使用人たちが、文字を“拾う”ようになりまして」
アルフェッタは、紅茶を飲む手を止めた。
「拾う?」
「完全に読めている、というわけではありません。
ただ……見覚えのある形を、見つけるようになった、と言いますか」
アルフェッタは、すぐに理解した。
(……ああ)
マンガ喫茶。
絵本。
台詞のない物語。
そこに、ほんの少しずつ混ざり始めた、短い文字。
名前。
看板。
道具の呼び名。
誰かに「覚えろ」と言われたわけではない。
試験も、授業もない。
ただ、気になっただけ。
それだけで、人は文字を見るようになる。
「庭師の一人がですね、
道具箱に書いてある文字を指して、
“これ、あの本に出てきた”と言いまして」
執事は、どこか不思議そうに続ける。
「それで、隣の者に聞いて……
いつの間にか、覚えてしまったようなのです」
アルフェッタは、小さく笑った。
(ええ、そうでしょうね)
文字は、本来、敵ではない。
ただ、近づく理由がなかっただけ。
翌日。
マンガ喫茶で、似たような光景を目にする。
商人風の男が、棚の前で本を開きながら、
隣の子どもに声をかけていた。
「……これ、何て読む?」
「……これ?
“みず”」
「……水?」
「うん。
ほら、この絵のとこ」
男は、しばらく考え込み、
そして、ふっと笑った。
「……なるほどな」
それだけ。
書き取りもしない。
復唱もしない。
でも、その男は、
翌日、店の外に置かれた水桶の札を見て、
足を止めた。
「……あ」
その声は、誰に聞かせるでもない、
小さな気づきの音だった。
アルフェッタは、奥の席からその様子を見ていた。
(減ってますわね)
数字としての「文盲率」を、
彼女は調べていない。
統計も、報告書も、作っていない。
でも、分かる。
読めない人が減っているのではない。
読みたい人が、増えている。
それは、まったく別のことだ。
夕方、リオが、少し照れたように言った。
「……この前……
商人のおじさんが……
“字、教えて”って」
「教えたの?」
「……ちょっとだけ」
アルフェッタは、何も言わなかった。
止めもしない。
教える側に立つ、という意識を持たせたくない。
(勝手に、起きるものは)
(勝手に、起きさせておけばいい)
それが、この場所のやり方だ。
数日後、王都の市場で、噂が立ち始める。
「最近、文字を覚える子どもが多い」
「公爵家の近くに、不思議な喫茶があるらしい」
噂は、誇張される。
「入るだけで、字が読めるようになる」
「絵を見てるだけで、賢くなる」
アルフェッタは、その話を聞いて、
少しだけ眉をひそめた。
(それは、違いますわね)
入るだけで、変わるわけではない。
努力が不要なわけでもない。
ただ――
楽しいから、続く。
それだけだ。
だから、あえて何もしない。
説明もしない。
訂正もしない。
誤解は、放っておけば薄まる。
夜、執事が再び報告に来た。
「……王都の役所から、
“参考にしたい”という問い合わせがありました」
「断ってください」
即答だった。
「理由は?」
「“やり方”を真似されたら、
意味がなくなりますわ」
義務になった瞬間、
これは終わる。
楽しさが、目的から外れた瞬間に。
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アルフェッタは今日も、
何かを成し遂げたつもりはない。
けれど確かに――
文字が、特別なものではなくなり始めていた。
それは革命でも、改革でもない。
ただ、
人が、興味を持つ順番が、少し変わっただけ。
その小さな変化が、
この世界の未来を、静かに書き換え始めていることを、
彼女だけが、なんとなく理解していた。
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