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第25話 絵のうまい少年
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第25話 絵のうまい少年
その少年が、特別だと気づいたのは、
何か派手なことをしたからではなかった。
ただ――
いつも、描いていた。
マンガ喫茶の片隅。
読み終えた本を棚に戻したあと。
誰かの読み聞かせを聞いた帰り。
必ず、紙と鉛筆を手に取る。
描くものは決まっていない。
物語の続きだったり、
さっき見た光景だったり、
ときには、何でもない線の集まりだったり。
アルフェッタは、決して覗き込まなかった。
声もかけなかった。
それが、この場所の流儀だ。
だが、その日だけは、違った。
夕方。
客がほとんど帰ったあと。
少年は、いつもより長く、机に向かっていた。
紙の上には、数ページ分の絵。
台詞は、ない。
けれど――
流れが、ある。
アルフェッタは、静かに歩み寄った。
「……見ても、よろしいかしら」
少年は、びくっと肩を震わせた。
「……あ、はい……」
少しだけ迷ってから、紙を差し出す。
アルフェッタは、ゆっくりとページを追った。
一人の子ども。
走る。
転ぶ。
泣く。
立ち上がる。
背景は簡単だ。
線も、洗練されていない。
でも――
(分かりますわ)
何が起きているのか。
どんな気持ちなのか。
説明がなくても、
自然に、胸に入ってくる。
アルフェッタは、最後のページを見終え、顔を上げた。
「……お名前を、聞いてもいい?」
「……リオ、です」
「リオ」
その名を、心の中で一度なぞる。
「これは……
誰かに見せるために描いたの?」
少年は、首を横に振った。
「……自分が、もう一回見たかったから」
アルフェッタは、思わず微笑んだ。
(それですわ)
一流の画家が描いた本にはなかったもの。
それが、ここにある。
“伝えたい”ではない。
“見せたい”でもない。
“また見たい”。
だから、線が正直だ。
誇張も、説明もない。
「……この絵、
マンガ喫茶に置いてもいいかしら」
少年は、目を見開いた。
「……え?」
「売りませんわ。
名前も、大きく出しません」
「……それでも?」
「ええ」
少年は、しばらく黙り込んだ。
そして、ゆっくり頷いた。
「……いいです」
アルフェッタは、そこで初めて、条件を伝えた。
「一つだけ、約束してほしいことがあります」
「……はい」
「描き続ける義務は、ありません」
少年は、きょとんとした。
「気が向いたときだけでいい。
描きたくない日は、描かなくていい」
「……それで、いいんですか」
「それが、大事ですわ」
描かされる絵は、
すぐに変わってしまう。
この場所で生まれてほしいのは、
義務ではない。
遊びだ。
数日後。
リオの絵は、
簡単な表紙を付けられ、
棚の一角に並んだ。
特別扱いはしない。
説明文もない。
ただ、他の本と同じように。
最初に手に取ったのは、別の子どもだった。
ページをめくり、
黙り込み、
そして、もう一度、最初に戻る。
その様子を、リオは少し離れたところから見ていた。
声をかけない。
誇らしげでもない。
ただ、静かに、見ている。
(……始まってしまいましたわね)
アルフェッタは、紅茶を口に運びながら思う。
一冊だけ。
たった一部だけ。
でも――
ここには、確かに物語を描く人がいる。
異世界転生生活二十五日目。
アルフェッタは今日、
「作者」という言葉を、まだ使わない選択をした。
けれどそれは、
後にこの世界で「漫画家」と呼ばれる存在が生まれる、
本当に最初の、静かな一歩だった。
その少年が、特別だと気づいたのは、
何か派手なことをしたからではなかった。
ただ――
いつも、描いていた。
マンガ喫茶の片隅。
読み終えた本を棚に戻したあと。
誰かの読み聞かせを聞いた帰り。
必ず、紙と鉛筆を手に取る。
描くものは決まっていない。
物語の続きだったり、
さっき見た光景だったり、
ときには、何でもない線の集まりだったり。
アルフェッタは、決して覗き込まなかった。
声もかけなかった。
それが、この場所の流儀だ。
だが、その日だけは、違った。
夕方。
客がほとんど帰ったあと。
少年は、いつもより長く、机に向かっていた。
紙の上には、数ページ分の絵。
台詞は、ない。
けれど――
流れが、ある。
アルフェッタは、静かに歩み寄った。
「……見ても、よろしいかしら」
少年は、びくっと肩を震わせた。
「……あ、はい……」
少しだけ迷ってから、紙を差し出す。
アルフェッタは、ゆっくりとページを追った。
一人の子ども。
走る。
転ぶ。
泣く。
立ち上がる。
背景は簡単だ。
線も、洗練されていない。
でも――
(分かりますわ)
何が起きているのか。
どんな気持ちなのか。
説明がなくても、
自然に、胸に入ってくる。
アルフェッタは、最後のページを見終え、顔を上げた。
「……お名前を、聞いてもいい?」
「……リオ、です」
「リオ」
その名を、心の中で一度なぞる。
「これは……
誰かに見せるために描いたの?」
少年は、首を横に振った。
「……自分が、もう一回見たかったから」
アルフェッタは、思わず微笑んだ。
(それですわ)
一流の画家が描いた本にはなかったもの。
それが、ここにある。
“伝えたい”ではない。
“見せたい”でもない。
“また見たい”。
だから、線が正直だ。
誇張も、説明もない。
「……この絵、
マンガ喫茶に置いてもいいかしら」
少年は、目を見開いた。
「……え?」
「売りませんわ。
名前も、大きく出しません」
「……それでも?」
「ええ」
少年は、しばらく黙り込んだ。
そして、ゆっくり頷いた。
「……いいです」
アルフェッタは、そこで初めて、条件を伝えた。
「一つだけ、約束してほしいことがあります」
「……はい」
「描き続ける義務は、ありません」
少年は、きょとんとした。
「気が向いたときだけでいい。
描きたくない日は、描かなくていい」
「……それで、いいんですか」
「それが、大事ですわ」
描かされる絵は、
すぐに変わってしまう。
この場所で生まれてほしいのは、
義務ではない。
遊びだ。
数日後。
リオの絵は、
簡単な表紙を付けられ、
棚の一角に並んだ。
特別扱いはしない。
説明文もない。
ただ、他の本と同じように。
最初に手に取ったのは、別の子どもだった。
ページをめくり、
黙り込み、
そして、もう一度、最初に戻る。
その様子を、リオは少し離れたところから見ていた。
声をかけない。
誇らしげでもない。
ただ、静かに、見ている。
(……始まってしまいましたわね)
アルフェッタは、紅茶を口に運びながら思う。
一冊だけ。
たった一部だけ。
でも――
ここには、確かに物語を描く人がいる。
異世界転生生活二十五日目。
アルフェッタは今日、
「作者」という言葉を、まだ使わない選択をした。
けれどそれは、
後にこの世界で「漫画家」と呼ばれる存在が生まれる、
本当に最初の、静かな一歩だった。
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