婚約破棄された千年転生令嬢は、名も居場所も縛られずに生きると決めました ――助けを乞うなら条件付きですわあ

ふわふわ

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第3話 奇跡の治療師は名を名乗らない

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第3話 奇跡の治療師は名を名乗らない

 翌朝から、宿の前が妙に騒がしくなった。
 昨夜、倒れていた少年が歩いて市場に現れた――それだけで、人は噂を広げる。

「一晩で熱が下がったって?」
「祈祷より早いじゃないか」
「女神の加護だ……」

(あら、困りましたわね)

 私は湯を注ぎながら、ため息を一つ。
 名を伏せる、と約束したはずの女将は悪くない。人の口は、扉より軽いのだ。

 昼過ぎ、次の患者が来た。
 その次も、その次も。

 症状は似通っている。高熱、倦怠、皮膚の赤斑。
 原因は明白だった――水源だ。

(……やはり)

 浄化をすれば広がりは止まる。
 けれど、私が表立って動けば、正体に近づく者が必ず出る。

「できることだけ、ですわ」

 私は薬草を分け、簡易的な煎じ方を教え、
 最低限の治癒だけを施した。
 “奇跡”ではなく、“改善”。それで十分だ。

 それでも、夕刻には見知らぬ一団が宿に現れた。

「……こちらに、腕の立つ治療師がいると聞いた」

 落ち着いた声。
 軍人でも貴族でもない、だが、場の空気を制する響き。

 視線を上げると、濃紺の外套を纏った青年が立っていた。
 年は私と同じか、少し下。
 飾り気のない装いだが、背筋が真っ直ぐだ。

「噂は大げさですわ」
「ただの旅人です」

 私は微笑み、距離を取る。

「では、旅人殿に一つだけ」
 青年は一歩も踏み込まず、静かに続けた。
「この疫病、止められるか?」

 直球。
 しかも、答えを知っている目だ。

「止められます」
 私は、嘘をつかなかった。
「ただし、方法と覚悟が要ります」

 青年は頷いた。

「十分だ」
「私は、この国の者だ。名は今は要らない」

(……察しが早い)

 彼は、力を誇示しない。
 そして、条件を聞く前に“覚悟”という言葉を口にした。

「水源の浄化を最優先に」
「患者の隔離。物資の流通管理」
「祈祷に頼り切らない判断」

 私が列挙すると、青年は一つずつ復唱し、理解を示した。

「可能だ。手配しよう」
「君は――指示を」

 命令ではない。依頼でもない。
 “任せる”という選択。

(この国、思ったより悪くありませんわね)

 夜。
 簡易の浄化を終えた帰り道、私は星を仰いだ。

 名を名乗らぬ青年。
 理解の速さ。責任の取り方。

 ――この出会いが、ただの偶然でないことだけは、確かだった。

「さて……」

 私は歩きながら、次の一手を考える。

 奇跡は、まだ要らない。
 必要なのは、静かな回復。

 それができる限り、私は――名を名乗らない治療師でいましょう。

 千年生きて、ようやく。
 “肩書きなしで働ける場所”に、辿り着いたのだから。
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