5 / 42
第5話 条件とは、選ばれる覚悟のことですわ
しおりを挟む
第5話 条件とは、選ばれる覚悟のことですわ
使者が帰ってから、三日。
その短い時間のあいだに、ガルディア王国では目に見えて状況が改善していた。
患者の新規発生は激減し、重症者も回復に向かっている。
街の人々の表情には、まだ不安は残っているものの――絶望の色はない。
「……本当に、流れが変わったな」
名を名乗らぬ青年が、机の上に並べた報告書を閉じながら静かに言った。
彼の声には、驚きよりも納得が滲んでいる。
「ええ。正しい判断を、正しい順序で行えば、疫病は“制御できる災厄”ですわ」
私は羽根ペンを置き、地図に引いていた線を指でなぞった。
水源、流通路、隔離区画。
千年前から変わらない、人が集落を作るための条件――そして、病が広がる条件。
(知っていることを、実行するだけ)
それがどれほど難しいかを、私は何度も見てきた。
そして同時に、追放した側の王国が、どれほど“何もしていないか”も。
その日の夕刻。
再び、追放元の王国から使者が訪れた。
今度は、ひとりではない。
王城付きの高官三名。
かつては、王太子アレクセイの決定を「英断」と持ち上げていた面々だ。
彼らの顔に、かつての余裕はなかった。
疲労、焦燥、恐怖。
そして――明確な“敗色”。
「シェリア様」
最初に口を開いたのは、年配の文官だった。
膝を折り、深く頭を下げる。
「先日のご返答、確かに承りました」
「王国として……殿下として……」
言葉が、途中で詰まる。
私は、あえて助け舟を出さなかった。
これは交渉ではない。
立場を理解するための時間だ。
「条件を、お聞かせ願いたい」
ようやく紡がれたその言葉は、
命令でも要求でもなく――懇願だった。
「よろしいですわ」
私は、ゆっくりと立ち上がる。
視線を合わせ、逃げ場を与えない距離で告げた。
「まず、前提として」
「私は、もうそちらの国の人間ではありません」
高官たちの肩が、わずかに揺れた。
「それでもなお、私に“来てほしい”と望まれるのであれば」
「主導権は、こちらにあります」
誰も、異を唱えない。
「第一に」
私は指を一本立てた。
「現地に入った場合、すべての医療判断は、私に一任していただきます」
「王太子殿下であろうと、王族であろうと、例外は認めません」
空気が、張りつめる。
「第二に」
指をもう一本。
「聖女リリカは、現場から完全に外していただきます」
即座に、息を呑む気配。
「能力の有無ではありませんわ」
「責任を負えない方に、命の現場は任せられません」
反論が出そうになり、しかし誰も口を開かなかった。
それが、現実だったからだ。
「第三に」
私は、少しだけ声を和らげた。
「救う対象は、国民です」
「王族や貴族の延命、権威の保持が優先されるのであれば」
「その時点で、私は撤退します」
「……それは……」
高官の一人が、震える声で言いかけた。
「国の主権を、脅かすものではありません」
私は静かに続ける。
「ただし、“命の現場”に口出しされるつもりもありませんの」
沈黙。
重く、長い沈黙。
やがて、全員が深く頭を下げた。
「……条件、すべて受け入れます」
その言葉を聞いた瞬間、私は理解した。
(ようやくですわね)
この国は、今この瞬間――
選ぶ側から、選ばれる側へと降りたのだ。
夜。
ガルディア王国の静かな街並みを見下ろす宿の一室で、
名を名乗らぬ青年が口を開いた。
「行くのだな」
「ええ」
私は、迷いなく答える。
「条件が守られる限りは」
「……戻ることになるが」
「戻りませんわ」
私は、微笑んだ。
「向かうだけです」
「帰る場所は、もう決まっていますから」
彼は一瞬、驚いたように目を見開き――
すぐに、理解したように小さく頷いた。
「……無事を祈ろう」
「ありがとうございます」
窓の外には、灯りの消えない街。
人々が、明日を信じて眠る場所。
守るべき場所。
帰るべき場所。
「千年生きてきましたけれど……」
私は外套に手を伸ばし、静かに呟く。
「“選ばれる覚悟”を示した国を、見捨てるほど」
「私は、冷たくはありませんの」
同時に――
覚悟を持たなかった王太子が、何を失ったのかを思い知る日も、近い。
そのことだけは、揺るぎなく確信していた。
使者が帰ってから、三日。
その短い時間のあいだに、ガルディア王国では目に見えて状況が改善していた。
患者の新規発生は激減し、重症者も回復に向かっている。
街の人々の表情には、まだ不安は残っているものの――絶望の色はない。
「……本当に、流れが変わったな」
名を名乗らぬ青年が、机の上に並べた報告書を閉じながら静かに言った。
彼の声には、驚きよりも納得が滲んでいる。
「ええ。正しい判断を、正しい順序で行えば、疫病は“制御できる災厄”ですわ」
私は羽根ペンを置き、地図に引いていた線を指でなぞった。
水源、流通路、隔離区画。
千年前から変わらない、人が集落を作るための条件――そして、病が広がる条件。
(知っていることを、実行するだけ)
それがどれほど難しいかを、私は何度も見てきた。
そして同時に、追放した側の王国が、どれほど“何もしていないか”も。
その日の夕刻。
再び、追放元の王国から使者が訪れた。
今度は、ひとりではない。
王城付きの高官三名。
かつては、王太子アレクセイの決定を「英断」と持ち上げていた面々だ。
彼らの顔に、かつての余裕はなかった。
疲労、焦燥、恐怖。
そして――明確な“敗色”。
「シェリア様」
最初に口を開いたのは、年配の文官だった。
膝を折り、深く頭を下げる。
「先日のご返答、確かに承りました」
「王国として……殿下として……」
言葉が、途中で詰まる。
私は、あえて助け舟を出さなかった。
これは交渉ではない。
立場を理解するための時間だ。
「条件を、お聞かせ願いたい」
ようやく紡がれたその言葉は、
命令でも要求でもなく――懇願だった。
「よろしいですわ」
私は、ゆっくりと立ち上がる。
視線を合わせ、逃げ場を与えない距離で告げた。
「まず、前提として」
「私は、もうそちらの国の人間ではありません」
高官たちの肩が、わずかに揺れた。
「それでもなお、私に“来てほしい”と望まれるのであれば」
「主導権は、こちらにあります」
誰も、異を唱えない。
「第一に」
私は指を一本立てた。
「現地に入った場合、すべての医療判断は、私に一任していただきます」
「王太子殿下であろうと、王族であろうと、例外は認めません」
空気が、張りつめる。
「第二に」
指をもう一本。
「聖女リリカは、現場から完全に外していただきます」
即座に、息を呑む気配。
「能力の有無ではありませんわ」
「責任を負えない方に、命の現場は任せられません」
反論が出そうになり、しかし誰も口を開かなかった。
それが、現実だったからだ。
「第三に」
私は、少しだけ声を和らげた。
「救う対象は、国民です」
「王族や貴族の延命、権威の保持が優先されるのであれば」
「その時点で、私は撤退します」
「……それは……」
高官の一人が、震える声で言いかけた。
「国の主権を、脅かすものではありません」
私は静かに続ける。
「ただし、“命の現場”に口出しされるつもりもありませんの」
沈黙。
重く、長い沈黙。
やがて、全員が深く頭を下げた。
「……条件、すべて受け入れます」
その言葉を聞いた瞬間、私は理解した。
(ようやくですわね)
この国は、今この瞬間――
選ぶ側から、選ばれる側へと降りたのだ。
夜。
ガルディア王国の静かな街並みを見下ろす宿の一室で、
名を名乗らぬ青年が口を開いた。
「行くのだな」
「ええ」
私は、迷いなく答える。
「条件が守られる限りは」
「……戻ることになるが」
「戻りませんわ」
私は、微笑んだ。
「向かうだけです」
「帰る場所は、もう決まっていますから」
彼は一瞬、驚いたように目を見開き――
すぐに、理解したように小さく頷いた。
「……無事を祈ろう」
「ありがとうございます」
窓の外には、灯りの消えない街。
人々が、明日を信じて眠る場所。
守るべき場所。
帰るべき場所。
「千年生きてきましたけれど……」
私は外套に手を伸ばし、静かに呟く。
「“選ばれる覚悟”を示した国を、見捨てるほど」
「私は、冷たくはありませんの」
同時に――
覚悟を持たなかった王太子が、何を失ったのかを思い知る日も、近い。
そのことだけは、揺るぎなく確信していた。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄から50年後
あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。
そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。
余命3ヶ月と言われたので静かに余生を送ろうと思ったのですが…大好きな殿下に溺愛されました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、ずっと孤独の中生きてきた。自分に興味のない父や婚約者で王太子のロイド。
特に王宮での居場所はなく、教育係には嫌味を言われ、王宮使用人たちからは、心無い噂を流される始末。さらに婚約者のロイドの傍には、美しくて人当たりの良い侯爵令嬢のミーアがいた。
ロイドを愛していたセイラは、辛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになるのを必死に耐えていたのだ。
毎日息苦しい生活を強いられているせいか、最近ずっと調子が悪い。でもそれはきっと、気のせいだろう、そう思っていたセイラだが、ある日吐血してしまう。
診察の結果、母と同じ不治の病に掛かっており、余命3ヶ月と宣言されてしまったのだ。
もう残りわずかしか生きられないのなら、愛するロイドを解放してあげよう。そして自分は、屋敷でひっそりと最期を迎えよう。そう考えていたセイラ。
一方セイラが余命宣告を受けた事を知ったロイドは…
※両想いなのにすれ違っていた2人が、幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いいたします。
他サイトでも同時投稿中です。
兄を溺愛する母に捨てられたので私は家族を捨てる事にします!
ユウ
恋愛
幼い頃から兄を溺愛する母。
自由奔放で独身貴族を貫いていた兄がようやく結婚を決めた。
しかし、兄の結婚で全てが崩壊する事になった。
「今すぐこの邸から出て行ってくれる?遺産相続も放棄して」
「は?」
母の我儘に振り回され同居し世話をして来たのに理不尽な理由で邸から追い出されることになったマリーは自分勝手な母に愛想が尽きた。
「もう縁を切ろう」
「マリー」
家族は夫だけだと思い領地を離れることにしたそんな中。
義母から同居を願い出られることになり、マリー達は義母の元に身を寄せることになった。
対するマリーの母は念願の新生活と思いきや、思ったように進まず新たな嫁はびっくり箱のような人物で生活にも支障が起きた事でマリーを呼び戻そうとするも。
「無理ですわ。王都から領地まで遠すぎます」
都合の良い時だけ利用する母に愛情はない。
「お兄様にお任せします」
実母よりも大事にしてくれる義母と夫を優先しすることにしたのだった。
旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?
白雲八鈴
恋愛
我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。
離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?
あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。
私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?
幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。
ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。
[完結]気付いたらザマァしてました(お姉ちゃんと遊んでた日常報告してただけなのに)
みちこ
恋愛
お姉ちゃんの婚約者と知らないお姉さんに、大好きなお姉ちゃんとの日常を報告してただけなのにザマァしてたらしいです
顔文字があるけどウザかったらすみません
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
知らぬはヒロインだけ
ネコフク
恋愛
「クエス様好きです!」婚約者が隣にいるのに告白する令嬢に唖然とするシスティアとクエスフィール。
告白してきた令嬢アリサは見目の良い高位貴族の子息ばかり粉をかけて回っていると有名な人物だった。
しかも「イベント」「システム」など訳が分からない事を言っているらしい。
そう、アリサは転生者。ここが乙女ゲームの世界で自分はヒロインだと思っている。
しかし彼女は知らない。他にも転生者がいることを。
※不定期連載です。毎日投稿する時もあれば日が開く事もあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる