『婚約破棄された令嬢は、静かに王国から不要な者を消していく』

ふわふわ

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第三話 評価されなかった理由

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第三話 評価されなかった理由

 エルヴェイン侯爵家の書斎は、朝から静かな緊張に包まれていた。
 分厚い帳簿と報告書が机の上に並べられ、クラリス・フォン・エルヴェインは、その中央に腰を下ろしている。

 婚約が解消されてから、まだ数日しか経っていない。
 だが彼女の生活は、すでに大きく変わり始めていた。

 ――私は、何を「できなかった」のか。

 それは、昨夜から何度も自問している問いだった。

 アーヴィン・グレイソンが告げた言葉。
 「資質がない」。
 その一言が、静かに、しかし確実に引っかかっている。

 感情としては、すでに整理がついている。
 だが、理屈として理解しなければならない。

 クラリスは、数字に目を落とした。

 ここ数年のグレイソン伯爵家との共同事業。
 契約条件、資金の流れ、人員配置。

 ――やはり。

 彼女は、心の中で小さく頷いた。

 婚約中、何度か感じていた違和感。
 それが、今になってはっきりと形を成して見えてくる。

 取引先の偏り。
 短期的な利益を優先しすぎた投資。
 リスク評価の甘さ。

 どれも、致命的ではない。
 だが積み重なれば、確実に足を取られる類の判断だ。

 クラリスは、同じ内容の指摘を、かつてアーヴィンに伝えたことがある。
 遠回しに、柔らかく、彼の自尊心を傷つけないよう、言葉を選んで。

 結果は、第二話で見た通りだった。

「君は慎重すぎる」
「それは心配のしすぎだ」

 そのたびに、話は打ち切られた。

 ――評価されなかった理由は、能力ではない。

 クラリスは、そう結論づけた。

 彼が求めていたのは、助言ではなく同意だった。
 補佐ではなく、賛美だった。

 自分の決断を肯定し、疑問を差し挟まず、
 失敗した時には黙って後始末をする存在。

 それが、彼の考える「ふさわしい伴侶」だったのだ。

「……なるほど」

 思わず、声が漏れた。

 その瞬間、胸の奥で、何かが静かにほどけていくのを感じた。

 理解できてしまえば、もう傷にはならない。

 同じ頃、王都の別の屋敷では、アーヴィン・グレイソンが不機嫌そうに机を叩いていた。

「なぜ、この件が通らない」

 目の前に立つ家臣が、困惑した表情で答える。

「相手方が、条件の再検討を求めておりまして……エルヴェイン侯爵家が後ろ盾だった頃とは、少々状況が……」

 アーヴィンは、舌打ちをした。

 ――やはりか。

 頭では理解している。
 クラリスとの婚約が、単なる「個人的な関係」以上の意味を持っていたことを。

 エルヴェイン家は、表に出ないが影響力のある家だ。
 調整役、仲介役、裏方としての信頼。

 それらを、彼女が担っていた。

 だが、そんなものは「誰にでもできる」と思っていた。

「……まぁいい」

 アーヴィンは、そう自分に言い聞かせる。

 新しい婚約者は、華やかで、人当たりがよく、社交界での評判もいい。
 今は、そちらに集中すべきだ。

 彼は、まだ気づいていなかった。

 問題が起きるたび、
 「誰か」が裏で整えていたという事実に。

 一方、クラリスは、侯爵家の執務室で父と向き合っていた。

「父上、ひとつ、お時間をいただけますか」

 侯爵は、娘の真剣な表情を見て、頷いた。

「これからのことについて、お話ししたいのです」

 クラリスは、静かに、しかしはっきりと続ける。

「私は、しばらく社交から距離を置きます。その代わり、家の実務に本格的に関わらせてください」

 一瞬、沈黙が落ちた。

 侯爵は、娘をじっと見つめる。
 その視線は、婚約者を失った娘を見るものではなかった。

 ――後継者を見る目だった。

「……覚悟はあるのか」

「はい」

 即答だった。

「中途半端な同情も、遠慮も、必要ありません」

 その言葉に、侯爵は、わずかに口元を緩めた。

「分かった」

 短い返事だったが、それで十分だった。

 その日から、クラリスは正式に、家の中枢に加わった。

 表に出ることはない。
 賞賛されることもない。

 だが、確実に、物事を動かす位置。

 かつて、彼女が「資質がない」と切り捨てられたその理由こそが、
 これからの彼女を支える最大の武器になることを、
 まだ誰も知らない。

 評価されなかった理由を理解した令嬢は、
 ようやく、自分の価値を正しい場所で使い始めたのだった。
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