『婚約破棄された令嬢は、静かに王国から不要な者を消していく』

ふわふわ

文字の大きさ
2 / 38

第二話 切り捨てたもの、残されたもの

しおりを挟む
第二話 切り捨てたもの、残されたもの

 舞踏会の翌朝、エルヴェイン侯爵家の屋敷は、驚くほど静かだった。
 使用人たちは必要以上に物音を立てず、廊下ですれ違えば深く頭を下げる。その態度が、昨夜の出来事が夢ではなかったのだと、否応なく突きつけてくる。

 クラリス・フォン・エルヴェインは、自室の窓辺に立ち、庭を眺めていた。
 朝露に濡れた薔薇が、淡い光を反射している。

 ――きれいね。

 それが、今の正直な感想だった。

 胸が張り裂けそうになることもない。涙が込み上げることもない。
 むしろ、長い緊張から解き放たれたような、奇妙な軽さがあった。

「お嬢様……」

 控えめなノックの後、侍女のマリアが入ってくる。
 彼女は幼い頃からクラリスに仕えてきた、数少ない「本音を見せられる相手」だった。

「朝食のご用意が……」

「ええ。すぐに行くわ」

 マリアは一瞬、言葉を探すように視線を揺らした。

「……お体は?」

「問題ないわ」

 即答だった。
 その声音に、マリアはかえって胸を痛めたように唇を噛む。

 食堂では、父であるエルヴェイン侯爵がすでに席についていた。
 厳格な表情はいつも通りだが、クラリスを見る目だけが、わずかに柔らいでいる。

「昨夜の件は聞いている」

 無駄な前置きはなかった。

「はい」

「……辛かっただろう」

 それは、労りというより確認に近い言葉だった。
 だが、クラリスは首を横に振る。

「いいえ。父上」

 侯爵が眉をひそめる。

「正直に申し上げますと……肩の荷が下りました」

 その言葉に、父は小さく目を見開いた。
 やがて、静かに息を吐く。

「そうか」

 それ以上、何も言わなかった。
 だが、その沈黙は、否定ではなかった。

 エルヴェイン家は、王国でも古い歴史を持つ家柄だ。
 華やかさよりも実務を重んじ、表に出るより裏で支えることを良しとしてきた。

 クラリスは、その気質を色濃く受け継いでいた。

 だからこそ、アーヴィンとの婚約は「相性がいい」と判断された。
 彼が前に立ち、彼女が後ろで整える。
 誰もが納得する役割分担だった。

 ――でも、それは「対等」ではなかった。

 朝食後、書斎に呼ばれたクラリスは、久しぶりに家の帳簿や報告書に目を通した。
 婚約期間中、彼女はほとんどそれらに関わらせてもらえなかった。

「花嫁修業に集中しなさい」という名目で。

 だが、数字は嘘をつかない。
 いくつかの取引、いくつかの人事。違和感が、確かに存在していた。

 ――これ……以前、私が指摘した件だわ。

 アーヴィンに意見したことがある。
 だが返ってきたのは、「君は心配性だな」という一言だけだった。

 クラリスはペンを走らせ、静かに整理を始めた。
 これは「侯爵令嬢として」ではなく、「エルヴェイン家の一員として」やるべきことだ。

 一方その頃、グレイソン伯爵家は、祝賀ムードに包まれていた。

「これで、無駄な足枷が外れたな」

 アーヴィンは、ワイングラスを傾けながら満足そうに言った。

 隣に座る新しい婚約者は、彼の言葉に微笑みで応える。

「クラリス様は……優しすぎたのだと思いますわ」

「優しさだけでは、伯爵夫人は務まらない」

 そう言い切る声に、迷いはない。

 彼にとって、婚約破棄は「正しい選択」だった。
 効率的で、将来を見据えた、賢明な判断。

 誰かを傷つけたという認識すら、ほとんどなかった。

 ――彼女は、理解してくれただろう。

 そう信じて疑わなかった。

 だが、その頃クラリスは、静かに、確実に、自分の立ち位置を変え始めていた。

 婚約者という仮の肩書きを失った代わりに、
 彼女は「判断する側」に戻ったのだ。

 選ばれなかったのではない。
 切り捨てられたのでもない。

 ただ、舞台が変わっただけ。

 そしてその変化が、やがて誰の目にも明らかな形で現れることを、
 この時、まだ誰も知らなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

第二王女と次期公爵の仲は冷え切っている

山法師
恋愛
 グレイフォアガウス王国の第二王女、シャーロット。  フォーサイス公爵家の次期公爵、セオドア。  二人は婚約者であるけれど、婚約者であるだけだった。  形だけの婚約者。二人の仲は冷め切っているし冷え切っている。  そもそも温度など、最初から存在していない。愛も恋も、友情も親しみも、二人の間には存在しない。  周知の事実のようなそれを、シャーロットもセオドアも否定しない。  お互いにほとんど関わりを持とうとしない、交流しようとしない、シャーロットとセオドアは。  婚約者としての親睦を深める茶会でだけ、顔を合わせる。  親睦を深める茶会だというのに、親睦は全く深まらない。親睦を深めるつもりも深める意味も、二人にはない。  形だけの婚約者との、形だけの親睦を深める茶会。  今日もまた、同じように。 「久しぶりに見る君が、いつにも増して愛らしく見えるし愛おしく思えて、僕は今にも天に召されそうなほどの幸福を味わっている。──?!」 「あたしのほうこそセオ様とお顔を合わせること、夢みたいに思ってるんですからね。大好きなセオ様を独り占めしているみたいに思えるんですよ。はっ?!」  顔を合わせて確認事項を本当に『確認』するだけの茶会が始まるはずが、それどころじゃない事態に陥った。  

幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。 ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。

【完結】狡い人

ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。 レイラは、狡い。 レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。 双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。 口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。 そこには、人それぞれの『狡さ』があった。 そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。 恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。 2人の違いは、一体なんだったのか?

【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?

ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。 世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。 ざまぁ必須、微ファンタジーです。

私は《悪役令嬢》の役を降りさせて頂きます

・めぐめぐ・
恋愛
公爵令嬢であるアンティローゼは、婚約者エリオットの想い人であるルシア伯爵令嬢に嫌がらせをしていたことが原因で婚約破棄され、彼に突き飛ばされた拍子に頭をぶつけて死んでしまった。 気が付くと闇の世界にいた。 そこで彼女は、不思議な男の声によってこの世界の真実を知る。 この世界が恋愛小説であり《読者》という存在の影響下にあることを。 そしてアンティローゼが《悪役令嬢》であり、彼女が《悪役令嬢》である限り、断罪され死ぬ運命から逃れることができないことを―― 全てを知った彼女は決意した。 「……もう、あなたたちの思惑には乗らない。私は、《悪役令嬢》の役を降りさせて頂くわ」 ※全12話 約15,000字。完結してるのでエタりません♪ ※よくある悪役令嬢設定です。 ※頭空っぽにして読んでね! ※ご都合主義です。 ※息抜きと勢いで書いた作品なので、生暖かく見守って頂けると嬉しいです(笑)

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

処理中です...