『婚約破棄された令嬢は、静かに王国から不要な者を消していく』

ふわふわ

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第三十七話 名前が書かれる瞬間

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第三十七話 名前が書かれる瞬間

 決裁は、朝一番ではなかった。
 それは意図的だった。

 王宮の業務が一巡し、人の動きが落ち着いた頃合い。急ぎの報告が片づき、各部署がそれぞれの持ち場に戻った、その隙間の時間に、決裁の場は設けられた。騒ぎを起こす必要はない。必要なのは、正確さだけだ。

 長机の中央に、決裁文案が置かれている。
 まだ署名はない。だが、文面は確定していた。修正の余地は残されていない。空欄は一箇所だけ。そこに書かれる名が、この手続きの終点になる。

 クラリスが席に着く。
 アーヴィンは一歩下がった位置に立った。発言の順番は、すでに決まっている。確認は、すでに終わっている。

「最終確認を行います」

 淡々とした声が、室内に響いた。

 読み上げられるのは、結論ではない。経緯だ。いつ、どの判断がなされ、どの手続きが省略され、どこで制度から逸脱したか。書類としてはすでに何度も目を通した内容だが、口に出して確認することで、曖昧さを完全に消す。

 誰も口を挟まない。
 反論の余地がないからではない。反論が、制度の外にしか存在しないからだ。

 読み上げが終わると、短い沈黙が落ちた。

「異議は?」

 形式的な問いだった。
 だが、形式は重要だ。

 沈黙が続く。
 それで十分だった。

 クラリスは、ペンを手に取った。
 一瞬の迷いもなく、空欄に名が記される。インクが紙に染み込む音は聞こえない。それでも、その瞬間が訪れたことは、全員が理解した。

 名前が書かれた。
 それだけで、すべてが確定する。

 処分の内容は重いが、苛烈ではない。職務停止、権限の剥奪、再任用の不可。制度上、最も妥当で、最も逃げ場のない結論だ。名誉を奪うための文言はない。ただ、役割から外れるという事実だけが、淡々と並んでいる。

 アーヴィンは、その文書を見つめながら思う。
 ざまあとは、公開処刑ではない。名が消されることでもない。役割が終わることだ。

 役割を失った者は、制度の中では語られない。
 語られないということは、戻る道がないということだ。

 午後、関係部署へと通知が回る。
 内容は最小限。余計な説明は付されない。理由は、文書にすべて書かれているからだ。

 当人への通達は、公式な手順で行われる。立ち会いは不要。質問の時間も設けられない。必要があれば、文書で提出することになっている。それが最後の、そして唯一の選択肢だった。

 夕方、王宮の廊下を歩く人々の足取りは、いつもと変わらない。
 笑い声もある。報告の声も聞こえる。

 だが、ある名だけが、今日を境に出てこなくなる。
 それは噂ではなく、確認として共有される。

 制度は、何も語らない。
 ただ、次に進む。

 そしてその無言の前進こそが、最も強いざまあだった。
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