婚約破棄?ええ、結構ですわ。――私が手を引いた瞬間、国が傾くとも知らずに』

ふわふわ

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第十六話 選ばれたはずの席が揺れましてよ

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第十六話 選ばれたはずの席が揺れましてよ

 王妃教育の三週目。

 王城の空気は、どこか重たくなっていた。

「本日は外交儀礼です」

 講師の声が響く。

 長机の上には各国の紋章一覧、同盟関係図、近年の交易推移。

「北方同盟と我が国の関係悪化の要因を、簡潔に述べなさい」

 セリーナは一瞬だけ目を伏せ、微笑む。

「誤解があったのだと思いますわ」

「具体的に」

「……関税の、行き違い?」

 空気が止まる。

 講師は淡々と続ける。

「では次。北方商会と国内商会の力関係は?」

「それは……」

 答えられない。

 視線が痛い。

 王妃教育は、感情では通らない。

 数字と事実と構造。

 それを知らねば、外交はできない。

 広間の隅で王太后が静かに見ている。

 表情は動かない。

 だが評価は刻まれていく。

 一方、第二王子の執務室。

「王妃教育、芳しくないようです」

 側近が報告する。

 ユリウスは静かに目を閉じる。

「兄上は?」

「苛立っておられます」

「……当然だ」

 だがそれは、婚約者への苛立ちではない。

 焦り。

 自分の選択が揺らぐことへの焦り。

「レティシア嬢は?」

「公爵家の商会再編が順調です。塩依存率も低下」

 ユリウスは小さく息を吐く。

 彼女は前に出ない。

 だが確実に国を安定させる動きをしている。

 目立たず、堅実に。

 公爵邸。

「王妃教育、外交で苦戦だとか」

 侍女が小声で伝える。

「そう」

 私は書類から顔を上げる。

「当然ですわ」

 責めるつもりはない。

 ただ、準備の差。

「お嬢様なら即答でしたのに」

「……昔は、答える立場でしたもの」

 私は淡く笑う。

 王太子の隣で、資料をまとめ、数字を整理し、答えを整えていた。

 彼は選ぶだけでよかった。

 だが今は。

「隣で支える者が変われば、難易度も変わります」

 それだけのこと。

 王城・私室。

「もうやめろ!」

 カイゼルが声を荒げる。

「そこまで厳しくする必要があるか!」

 王太后は静かに見つめる。

「王妃は飾りではありません」

「だが!」

「あなたは王になるのです」

 重い言葉。

「隣に立つ者が支えられぬなら、あなたが支えるのですか」

 沈黙。

 答えは出ない。

 王太后はさらに続ける。

「真実の愛とやらで国が回るなら、誰も苦労はいたしません」

 その一言が刺さる。

 セリーナは涙を浮かべる。

「わたくしが未熟で……」

「未熟なら学びなさい」

 王太后の声は変わらない。

 甘さはない。

 夜。

 王都にまた小さな噂が流れる。

「王妃教育、厳しいらしい」 「公爵令嬢の時は優秀だったと聞くわ」 「比べてしまうわね……」

 比べるなと言っても、比べられる。

 それが立場。

 公爵邸のバルコニーで、私は夜風に当たっていた。

「お嬢様、胸は痛みませんか」

 侍女がそっと問う。

「少しだけ」

 本音。

 かつて夢見た席。

 そこに別の女性が立ち、苦戦している。

 胸がまったく痛まないわけではない。

「ですが」

 私はゆっくりと微笑む。

「選ばれたはずの席が揺れるのは、私のせいではございません」

 選んだのは、王太子。

 そして責任も、彼のもの。

「私はもう、あの席に未練はございません」

 未練よりも。

 誇り。

 尊重される場所を選ぶ。

 それだけ。

 王城では、王太子が窓の外を見ていた。

 遠く、公爵家の灯りが見える。

 失った席は戻らない。

 だが揺れているのは、婚約者の席だけではない。

 王太子の足場もまた、静かに揺れ始めていた。

 物語は、次の局面へ。

 感情ではなく、器が問われる段階へと進む。
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