2 / 40
第二話 予想されていた破局
しおりを挟む
第二話 予想されていた破局
王宮の回廊を歩きながら、私は自分の足取りが驚くほど落ち着いていることに、わずかな違和感を覚えていた。
つい先ほどまで、私は王太子フェリクス・アルノーの婚約者だった。そう言われれば、胸を掻きむしられるほどの衝撃や、立っていられないほどの動揺があってもおかしくない。
けれど、現実は違った。
――やはり、という感想が先に立つ。
重厚な扉が閉まる音を背に、私は一度だけ深く息を吐いた。
涙は出ない。喉が詰まることもない。胸の奥にあるのは、静かな確信だけだ。
この結果は、予想されていた。
思い返せば、兆候はいくつもあった。
フェリクス殿下が私を訪ねてくる頻度は、いつの間にか月に一度、やがて形式的な面会だけになった。視線は合っても、心がこちらを向いていないことは、はっきりと伝わってきた。
代わりに、彼の周囲に現れたのが、ミュリエルという少女だった。
平民出身でありながら、王宮に出入りすることを許され、護衛までつけられている存在。最初は「保護されている可哀想な娘」として噂されていたが、やがて「王太子殿下の特別な方」という表現に変わっていった。
その変化を、私は見逃していなかった。
――いつか、こうなる。
それが、いつなのか。
それが、公の場なのか、私的な場なのか。
違いはあっても、結末そのものは、最初から決まっていたように思う。
自室へ戻ると、侍女が慌てて駆け寄ってきた。
「お嬢様……! その、ご無事で……」
言葉を探している様子に、私は小さく首を振る。
「大丈夫よ。心配はいらないわ」
それは慰めではなく、事実だった。
侍女は戸惑いながらも一礼し、湯茶の準備に向かう。
私は窓辺の椅子に腰を下ろし、王宮の庭を見下ろした。穏やかな午後の光が、まるで何事もなかったかのように降り注いでいる。
その光景を見て、ふと、過去の記憶が蘇った。
――婚約が決まった日のこと。
私はまだ若く、王太子妃となる未来を、当然のものとして受け止めていた。恋愛感情があったかと問われれば、答えに困る。だが、期待と責任、そして覚悟はあった。
「王太子妃として、国を支える覚悟はあるか」
そう問われたとき、私は迷わず頷いた。
それが、グリューンリヒト家の娘として、最も正しい選択だと理解していたから。
だからこそ、学んだ。
礼儀作法だけでなく、法、外交、財政、契約。
婚約は、愛の証ではなく、国家と家同士の約束だと、何度も教え込まれた。
――感情に左右されてはいけない。
それが、私の基準になった。
ミュリエルの存在が明らかになったときも、私は問い詰めることはしなかった。泣いて縋ることもしなかった。ただ、静かに確認しただけだ。
殿下は、変わったのだ、と。
それでも、彼が婚約を破棄する決断を下すかどうかは、別の話だった。
王太子である以上、責任がある。恋愛だけで突き進める立場ではない。
だが、彼はそれを選んだ。
――だから、私は受け入れた。
受け入れたからといって、何もかもを手放すつもりはない。
婚約を破棄されたからといって、私の価値まで失われるわけではない。
侍女が運んできた紅茶に手を伸ばし、ゆっくりと口に含む。
温かさが喉を通り、思考が整っていく。
これから必要なのは、感情ではなく整理だ。
婚約破棄が正式に成立すれば、王家とグリューンリヒト家の関係は変化する。
私個人の名誉。
家の立場。
そして、破棄に伴う補償。
それらは、曖昧にしてはいけない問題だった。
「お嬢様……本当に、悔しくはございませんのですか?」
侍女が、恐る恐る問いかけてくる。
私は少し考え、正直に答えた。
「悔しさがないと言えば、嘘になるわ。でも……」
一度、言葉を切る。
「これは、突然奪われたものじゃない。ずっと前から、終わりに向かっていた関係よ」
侍女は目を見開き、やがて静かに頷いた。
私は再び窓の外に視線を向ける。
王宮のどこかで、フェリクス殿下とミュリエルは、安堵しているのかもしれない。障害が取り除かれたと。
けれど、その安堵は、長くは続かない。
婚約破棄は、感情の問題ではない。
選択の結果には、必ず責任が伴う。
私は、誰かを貶めるつもりはない。
復讐を叫ぶつもりもない。
ただ、正しく、筋を通すだけだ。
――それが、私のやり方。
ミレイナ・グリューンリヒトとして、
そして、かつて王太子妃となるはずだった者として。
静かに、だが確実に。
私は、次の一手を思い描き始めていた。
王宮の回廊を歩きながら、私は自分の足取りが驚くほど落ち着いていることに、わずかな違和感を覚えていた。
つい先ほどまで、私は王太子フェリクス・アルノーの婚約者だった。そう言われれば、胸を掻きむしられるほどの衝撃や、立っていられないほどの動揺があってもおかしくない。
けれど、現実は違った。
――やはり、という感想が先に立つ。
重厚な扉が閉まる音を背に、私は一度だけ深く息を吐いた。
涙は出ない。喉が詰まることもない。胸の奥にあるのは、静かな確信だけだ。
この結果は、予想されていた。
思い返せば、兆候はいくつもあった。
フェリクス殿下が私を訪ねてくる頻度は、いつの間にか月に一度、やがて形式的な面会だけになった。視線は合っても、心がこちらを向いていないことは、はっきりと伝わってきた。
代わりに、彼の周囲に現れたのが、ミュリエルという少女だった。
平民出身でありながら、王宮に出入りすることを許され、護衛までつけられている存在。最初は「保護されている可哀想な娘」として噂されていたが、やがて「王太子殿下の特別な方」という表現に変わっていった。
その変化を、私は見逃していなかった。
――いつか、こうなる。
それが、いつなのか。
それが、公の場なのか、私的な場なのか。
違いはあっても、結末そのものは、最初から決まっていたように思う。
自室へ戻ると、侍女が慌てて駆け寄ってきた。
「お嬢様……! その、ご無事で……」
言葉を探している様子に、私は小さく首を振る。
「大丈夫よ。心配はいらないわ」
それは慰めではなく、事実だった。
侍女は戸惑いながらも一礼し、湯茶の準備に向かう。
私は窓辺の椅子に腰を下ろし、王宮の庭を見下ろした。穏やかな午後の光が、まるで何事もなかったかのように降り注いでいる。
その光景を見て、ふと、過去の記憶が蘇った。
――婚約が決まった日のこと。
私はまだ若く、王太子妃となる未来を、当然のものとして受け止めていた。恋愛感情があったかと問われれば、答えに困る。だが、期待と責任、そして覚悟はあった。
「王太子妃として、国を支える覚悟はあるか」
そう問われたとき、私は迷わず頷いた。
それが、グリューンリヒト家の娘として、最も正しい選択だと理解していたから。
だからこそ、学んだ。
礼儀作法だけでなく、法、外交、財政、契約。
婚約は、愛の証ではなく、国家と家同士の約束だと、何度も教え込まれた。
――感情に左右されてはいけない。
それが、私の基準になった。
ミュリエルの存在が明らかになったときも、私は問い詰めることはしなかった。泣いて縋ることもしなかった。ただ、静かに確認しただけだ。
殿下は、変わったのだ、と。
それでも、彼が婚約を破棄する決断を下すかどうかは、別の話だった。
王太子である以上、責任がある。恋愛だけで突き進める立場ではない。
だが、彼はそれを選んだ。
――だから、私は受け入れた。
受け入れたからといって、何もかもを手放すつもりはない。
婚約を破棄されたからといって、私の価値まで失われるわけではない。
侍女が運んできた紅茶に手を伸ばし、ゆっくりと口に含む。
温かさが喉を通り、思考が整っていく。
これから必要なのは、感情ではなく整理だ。
婚約破棄が正式に成立すれば、王家とグリューンリヒト家の関係は変化する。
私個人の名誉。
家の立場。
そして、破棄に伴う補償。
それらは、曖昧にしてはいけない問題だった。
「お嬢様……本当に、悔しくはございませんのですか?」
侍女が、恐る恐る問いかけてくる。
私は少し考え、正直に答えた。
「悔しさがないと言えば、嘘になるわ。でも……」
一度、言葉を切る。
「これは、突然奪われたものじゃない。ずっと前から、終わりに向かっていた関係よ」
侍女は目を見開き、やがて静かに頷いた。
私は再び窓の外に視線を向ける。
王宮のどこかで、フェリクス殿下とミュリエルは、安堵しているのかもしれない。障害が取り除かれたと。
けれど、その安堵は、長くは続かない。
婚約破棄は、感情の問題ではない。
選択の結果には、必ず責任が伴う。
私は、誰かを貶めるつもりはない。
復讐を叫ぶつもりもない。
ただ、正しく、筋を通すだけだ。
――それが、私のやり方。
ミレイナ・グリューンリヒトとして、
そして、かつて王太子妃となるはずだった者として。
静かに、だが確実に。
私は、次の一手を思い描き始めていた。
60
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~
有賀冬馬
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」
婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。
けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。
セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。
「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。
――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。
だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。
失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。
どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。
「悪女に、遠慮はいらない」
そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。
「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。
王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」
愛も、誇りも奪われたなら──
今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。
裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス!
⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。
しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが──
「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」
なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。
さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。
「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」
驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。
ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。
「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」
かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。
しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。
暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。
そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。
「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」
婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー!
自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる