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第一話 静かな婚約破棄
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第一話 静かな婚約破棄
王宮の大舞踏会は、いつもと変わらず華やかだった。
天井から下がる幾重ものシャンデリアが淡い光を落とし、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが、優雅な音楽に身を委ねている。ここは祝福と栄光の場であり、少なくとも今夜までは、誰もがそう信じて疑わなかった。
その中心に立つのが、王太子ロイド・ヴァルシュタインと、その婚約者であるマルグリット・フォン・ルーヴェンだった。
――正確には、つい先ほどまで婚約者だった、というべきか。
「皆に伝えたいことがある」
演奏が途切れ、ざわめきが広がる中、ロイドが一歩前に出た。自信に満ちた声だった。自分が今から何を告げるのか、その言葉がどれほどの波紋を広げるのかを、彼は理解していない――あるいは、理解していないつもりでいたのだろう。
「私は、マルグリット・フォン・ルーヴェンとの婚約を、ここに破棄する」
一瞬、時が止まったように感じられた。
次の瞬間、会場はざわめきに包まれる。驚き、困惑、興奮、そして好奇の視線が一斉に集まり、マルグリットへと注がれた。
だが、その渦中に立つ彼女は、微動だにしなかった。
背筋を伸ばし、両手を静かに重ね、ただロイドを見つめる。その表情に怒りはなく、悲嘆もない。まるで、あらかじめ予定されていた出来事を確認しているかのような、淡々とした眼差しだった。
「理由は明白だ」
ロイドは続ける。
「私は真実の愛を見つけた。形式だけの婚約に縛られる必要はない。これからは、心から愛する相手と未来を歩む」
そう言って、彼は一人の少女を招き寄せた。
淡い色のドレスに身を包んだ平民の娘――エマ。つい数か月前に“聖女”と認定され、奇跡の象徴として持ち上げられている存在だ。
「彼女こそが、神に選ばれた存在だ。私の隣に立つにふさわしい」
貴族たちの間から、ささやき声が漏れる。
同情、嘲笑、あるいは興味本位。そのすべてを受け止めるように、マルグリットは一度だけ深く息を吸った。
そして、静かに口を開く。
「……承知いたしました」
あまりにもあっさりとした返答に、今度はロイドのほうが戸惑ったように瞬きをした。
「婚約破棄の件、正式な手続きをもって受諾いたします。王家との契約に基づき、私が担っておりました王太子妃補佐としての権限、ならびに管理業務は、すべて本日付で返上いたしますわ」
会場が、再び静まり返る。
「お待ちください、マルグリット」
思わず声を上げたのは、重臣の一人だった。
「補佐権限の返上とは……そこまでなさらずとも」
「いいえ」
マルグリットは穏やかに首を振る。
「婚約者でない以上、私がそれらを保持する理由はありません。責任の所在を曖昧にするほうが、王宮にとっても不利益でしょう」
理路整然とした言葉だった。感情に流されることなく、ただ事実だけを積み上げている。その姿に、ざわめいていた貴族たちも、次第に言葉を失っていく。
ロイドは、なぜか胸の奥に小さな違和感を覚えた。
彼女は泣かない。縋らない。引き留めようともしない。まるで――最初から、この結末を見越していたかのようだ。
「それでは」
マルグリットは一礼する。
「今夜はこれにて失礼いたします。王宮の繁栄を、心よりお祈り申し上げます」
その言葉に、皮肉は一切なかった。ただ、静かな区切りだけがあった。
彼女は踵を返し、誰にも振り返らずに会場を後にする。
背後でどれほどの視線が交錯していようと、気にも留めない様子で。
――その夜、王宮の歯車は、確かに一つ外れた。
だが、誰一人として、その“外れた歯車”が、どれほど大きな役割を担っていたのかを、この時点ではまだ理解していなかった。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、ただ静かに王宮を去る。
それが、後に訪れる崩壊の、確かな始まりであるとも知られぬままに。
王宮の大舞踏会は、いつもと変わらず華やかだった。
天井から下がる幾重ものシャンデリアが淡い光を落とし、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが、優雅な音楽に身を委ねている。ここは祝福と栄光の場であり、少なくとも今夜までは、誰もがそう信じて疑わなかった。
その中心に立つのが、王太子ロイド・ヴァルシュタインと、その婚約者であるマルグリット・フォン・ルーヴェンだった。
――正確には、つい先ほどまで婚約者だった、というべきか。
「皆に伝えたいことがある」
演奏が途切れ、ざわめきが広がる中、ロイドが一歩前に出た。自信に満ちた声だった。自分が今から何を告げるのか、その言葉がどれほどの波紋を広げるのかを、彼は理解していない――あるいは、理解していないつもりでいたのだろう。
「私は、マルグリット・フォン・ルーヴェンとの婚約を、ここに破棄する」
一瞬、時が止まったように感じられた。
次の瞬間、会場はざわめきに包まれる。驚き、困惑、興奮、そして好奇の視線が一斉に集まり、マルグリットへと注がれた。
だが、その渦中に立つ彼女は、微動だにしなかった。
背筋を伸ばし、両手を静かに重ね、ただロイドを見つめる。その表情に怒りはなく、悲嘆もない。まるで、あらかじめ予定されていた出来事を確認しているかのような、淡々とした眼差しだった。
「理由は明白だ」
ロイドは続ける。
「私は真実の愛を見つけた。形式だけの婚約に縛られる必要はない。これからは、心から愛する相手と未来を歩む」
そう言って、彼は一人の少女を招き寄せた。
淡い色のドレスに身を包んだ平民の娘――エマ。つい数か月前に“聖女”と認定され、奇跡の象徴として持ち上げられている存在だ。
「彼女こそが、神に選ばれた存在だ。私の隣に立つにふさわしい」
貴族たちの間から、ささやき声が漏れる。
同情、嘲笑、あるいは興味本位。そのすべてを受け止めるように、マルグリットは一度だけ深く息を吸った。
そして、静かに口を開く。
「……承知いたしました」
あまりにもあっさりとした返答に、今度はロイドのほうが戸惑ったように瞬きをした。
「婚約破棄の件、正式な手続きをもって受諾いたします。王家との契約に基づき、私が担っておりました王太子妃補佐としての権限、ならびに管理業務は、すべて本日付で返上いたしますわ」
会場が、再び静まり返る。
「お待ちください、マルグリット」
思わず声を上げたのは、重臣の一人だった。
「補佐権限の返上とは……そこまでなさらずとも」
「いいえ」
マルグリットは穏やかに首を振る。
「婚約者でない以上、私がそれらを保持する理由はありません。責任の所在を曖昧にするほうが、王宮にとっても不利益でしょう」
理路整然とした言葉だった。感情に流されることなく、ただ事実だけを積み上げている。その姿に、ざわめいていた貴族たちも、次第に言葉を失っていく。
ロイドは、なぜか胸の奥に小さな違和感を覚えた。
彼女は泣かない。縋らない。引き留めようともしない。まるで――最初から、この結末を見越していたかのようだ。
「それでは」
マルグリットは一礼する。
「今夜はこれにて失礼いたします。王宮の繁栄を、心よりお祈り申し上げます」
その言葉に、皮肉は一切なかった。ただ、静かな区切りだけがあった。
彼女は踵を返し、誰にも振り返らずに会場を後にする。
背後でどれほどの視線が交錯していようと、気にも留めない様子で。
――その夜、王宮の歯車は、確かに一つ外れた。
だが、誰一人として、その“外れた歯車”が、どれほど大きな役割を担っていたのかを、この時点ではまだ理解していなかった。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、ただ静かに王宮を去る。
それが、後に訪れる崩壊の、確かな始まりであるとも知られぬままに。
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