婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ

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第十一話 揺らぐ聖女

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第十一話 揺らぐ聖女

 王宮の礼拝堂には、かつての熱気がなかった。

 聖女エマが祈りを捧げる時間だというのに、集まっている人の数はまばらだ。
 以前であれば、奇跡を一目見ようと貴族や民衆が詰めかけ、立錐の余地もなかったというのに。

「……どうして、今日はこんなに少ないの?」

 エマは祈りの姿勢を保ったまま、かすかに眉をひそめた。

 祈りを終え、顔を上げても、期待していたような視線は向けられない。
 ざわめきも、感嘆の声もない。

「聖女様」

 控えていた神官の一人が、遠慮がちに近づいてくる。

「本日の祈祷は、これで終了となります」

「え? でも、まだ……」

「最近は、簡素な形で十分だという判断がありまして」

 その言葉に、エマの胸がざわりと揺れた。

「……誰の判断?」

「それは……教会と王宮の協議の結果です」

 神官はそれ以上を語らず、一礼して離れていく。

 エマはその場に立ち尽くした。

 ――おかしい。
 ――少し前まで、私は“選ばれた存在”だったはず。

 王太子ロイドの隣に立ち、祝福され、持ち上げられ、何を言っても肯定された。
 それが当然だと思っていた。

 だが今、周囲の態度は明らかに変わっている。

 同じ頃、王宮の別室では、重臣と教会関係者が顔を揃えていた。

「……聖女エマの奇跡について、再検証が必要だと考えます」

 切り出したのは、年配の大神官だった。

「最近、再現性が低すぎる。祈祷の成果も安定しない」

「偶然ではないのか?」

 そう言ったのは、ロイド・ヴァルシュタインだ。
 だが、その声には以前の勢いがない。

「偶然にしては、説明がつかぬ事例が増えております」

 大神官は淡々と資料を差し出す。

「過去の“奇跡”とされる事象を精査した結果、自然発生の範囲内で説明可能なものが大半でした」

 室内に、重い沈黙が落ちる。

「……つまり」

 ロイドが低く呟く。

「聖女では、ないと?」

「断定はいたしません。ただし――」

 大神官は言葉を区切った。

「少なくとも、前例にある“本物の聖女”とは、性質が異なります」

 その言葉に、誰も反論できなかった。

 ――前例にある聖女。

 脳裏に浮かぶのは、マルグリット・フォン・ルーヴェンの姿だ。
 彼女は奇跡を起こしたわけではない。
 だが、王宮と教会の調整役として、祈祷と政治を破綻させなかった。

 その役割が、いかに重要だったかを、今になって皆が思い知らされている。

 一方、辺境公爵領では。

「教会が、聖女エマの再検証に動き出したそうです」

 報告を受けたフェリクス・フォン・グランツは、短く頷いた。

「当然だな」

「……ご存じでしたか」

「兆候はあった。奇跡が“安定しない”というのは、致命的だ」

 彼は視線を資料から外し、マルグリットを見る。

「あなたは、どう思う」

 突然の問いに、マルグリットは一瞬だけ考えた。

「……聖女であるかどうか以前に、支える体制が崩れています」

「体制?」

「はい。奇跡が本物であれ、そうでなかれ、それを扱う側が未熟でした」

 フェリクスは、わずかに口角を上げた。

「なるほど。責任は、担ぐ者にあると」

「奇跡だけを見て、人を見なかった。その結果です」

 それは、王宮への直接的な批判でもあった。
 だが、感情はこもっていない。ただの事実だ。

 王宮では、その夜。

 エマは一人、与えられた部屋で震えていた。

「……どうして」

 最近、ロイドは以前ほど会いに来ない。
 会話も短く、どこか上の空だ。

 教会の神官たちも、視線を合わせようとしない。

「私は、選ばれたはずなのに……」

 その言葉は、誰にも届かない。

 “選ばれた”という立場は、
 支えがなくなった瞬間、驚くほど脆い。

 同じ夜、マルグリットは執務を終え、静かに書類を閉じた。

 辺境公爵領では、街道補修が順調に進み、物流の改善が数字として現れ始めている。
 成果は、確実だった。

「……噂は、いずれここにも届くでしょうね」

 王宮で起きている変化を、彼女は正確に理解していた。

 だが、そこに戻るつもりはない。

 揺らいでいるのは、聖女だけではない。
 王宮そのものが、支えを失い、均衡を崩し始めている。

 それは、誰かが仕組んだ復讐ではない。
 ただ、“本来あるべき形”に戻ろうとしているだけだ。

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、窓の外を見つめながら思う。

 ――揺らぐ者ほど、大きな声を上げる。
 ――だが、真に価値のあるものは、静かに残る。

 そして今、
 残る側と、崩れる側の差は、誰の目にも明らかになりつつあった。
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