婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ

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第三十五話 功績を持たない人

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第三十五話 功績を持たない人

 嵐の翌朝、辺境公爵領は、驚くほど平静だった。

 川沿いの農地では、復旧作業が始まり、
 役所では補償手続きが淡々と進められている。
 声を荒げる者も、責任を追及する者もいない。

「……対応、早かったですね」

 報告書を抱えた文官が、ぽつりと言った。

「ええ。
 事前規定が、きちんと機能しました」

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、頷くだけで深追いしない。
 “うまくいった理由”を誇るより、
 “次も同じように動けるか”の確認が先だ。

 自治組織の合同会議では、事後検証が行われていた。

「判断の分岐点は、ここです」

「避難勧告を出すかどうか、迷いました」

「結果として、出さなくて正解でしたが……」

「“正解だった”では、次に使えません」

 議長役が静かに制す。

「条件を整理しましょう。
 水位、雨量、風向き。
 どこまで来たら、次は勧告を出すのか」

 議論は、評価ではなく、基準に向かう。

 誰が決めたか。
 誰が活躍したか。
 その話題は、最後まで出なかった。

 午後、フェリクス・フォン・グランツが、王宮からの報告を持ってきた。

「嵐の対応、王宮でも話題になっている」

「……評価、でしょうか」

「いや」

 彼は首を振る。

「“誰の功績なのか分からない”と」

 マルグリットは、少しだけ微笑んだ。

「それは、褒め言葉ですね」

 功績が分からない。
 それは、
 個人の手柄として切り出せないほど、
 仕組みが自然に働いたということだ。

 王宮では、重臣たちが報告書を前に首を傾げていた。

「迅速だ。
 判断も適切だ」

「だが、誰を評価すればいい?」

「……名前が、ない」

 ロイド・ヴァルシュタインは、そのやり取りを黙って聞いていた。

 かつての王宮は、
 “功績を与えることで人を動かす”場所だった。

 だが、功績が見えない成果は、
 扱いづらい。

「功績がないのではない」

 ロイドが、静かに言う。

「功績を、一人に帰属させていないだけだ」

 その言葉に、誰も反論しなかった。

 夕方、マルグリットは城下を歩いていた。

 農地のそばで、作業をする人々の姿がある。

「助かりました」

 声をかけられ、足を止める。

「役所の動き、早かったです」

「それは、皆さんが協力してくださったからです」

 彼女は、そう答えた。

 自分の名前を出す必要は、ない。

 夜、執務室。

 マルグリットは、一日の書類を片付けながら考える。

「……功績を持たない人」

 それは、無名ということではない。
 “奪われない”ということだ。

 功績が個人に紐づけば、
 期待も、責任も、
 いずれ歪む。

 だが、功績を持たなければ、
 次も、同じ判断ができる。

 誰かが欠けても、
 同じように動ける。

 彼女は、灯りを落とす。

 称賛は、不要だ。
 拍手も、いらない。

 ただ、
 次の嵐が来たときも、
 今日と同じように動ければ、それでいい。

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、静かに扉を閉める。

 功績を持たないという選択は、
 この領を、
 最も強くしていた。
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