公爵令嬢の異世界旅行記 ―婚約破棄されたので旅に出ます。何があっても呼び戻さないでください

ふわふわ

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第三十九話 世界の入口

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第三十九話 世界の入口

馬車の軋む音は、今日も変わらないリズムを刻んでいた。
だが、心の中では何かが確かに変わっている。
それは目に見える景色の変化ではなく、
風を感じる速度で、ゆっくりと訪れた“内面の揺らぎ”のようなものだった。

領都を離れた直後、彼女の視線はいつも道の先を追っていた。
遠くへ、もっと先へ——という思いは、
最初は漠然としていたが、いくつもの丘を越え、村を通り、星を見上げていく中で、明確な形となっていった。
問いは消えないまま、彼女の胸の奥で軽やかに揺れ続け、
やがてそれは、これから行くべき方向を指し示す羅針盤になっていった。

「……世界は、どんな顔をしているのでしょうか」

静かな声。
けれど、その問いはもう迷いを含んでいない。
迷いは消えたわけではない。
ただ、それが旅そのものになった。

馬車が進む道は、これまでと似たように見えて、
少しずつ違う表情を見せ始めていた。
道端の草の色が変わり、丘の稜線が緩やかに波打つ。
遠くに見える山並みは、領地の東端を越えたことを告げている——
それは、彼女が未だ足を踏み入れたことのない世界の入口だった。

領都での生活は、確かに彼女を形づくった。
しかし、旅をしてきた今、彼女はその枠を軽やかに脱ぎ捨てている。
それは脱走でも逃避でもない。
世界を「知るための選択」だった。

「ここを越えたら、どんな景色が待っているのかしら」

メイドのつぶやきは、柔らかく、くすぐるような期待を帯びていた。
騎士は黙ったまま視線を先へ向けている。
言葉は少ないが、それで十分伝わる。

道が次第に細くなり、森の縁を通り抜けると、
遠くの地平線が一段と広く見えた。
そこにはまだ名もない村や、道そのものが生活の輪郭を描いているようだった。
そしてその向こうには、領都では決して見られなかったほど高く、雄大な山々がそびえている。

「……どこまで行けるのでしょうか」

問いは彼女自身へ向けられたものだったが、
同時に旅の行き先そのものへの問いでもある。

風は、彼女の頬を撫でるように吹いた。
それは歓迎の風ではない。
ただ通り過ぎるだけの風。
だが、その強さは、これから進む道の気配を含んでいた。

道が山へと続いていく。
それは緩やかな傾斜であり、
同時に、未知という名の傾斜でもある。

「進むしかありませんわね」

彼女の声は、確かなリズムを持っていた。
不安や恐れではなく、淡い期待と静かな確信。
この道を進むことが、彼女の旅であり、
同時に、世界そのものを知るための入り口だと思えた。

馬車は進む。
草原を抜け、森を抜け、
そしてこれから訪れる新しい世界へと向かっていく。

道の先に何があるのか。
それは誰にも分からない。
だが、確かなのは、彼女がこれから見るであろう色や匂いや風の感触が、
今までの旅のどれよりも鮮烈であるということだ。

世界は広く、
そしてまだ見ぬ色を持っている。

その入口に立ちながら、
彼女は静かに目を細めた。

旅は、まだ終わらない。
今、世界の入口で、
新たな一歩が踏み出されたのだから。
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