ドッペルツィマー ~影武者の反乱~

空松蓮司

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第37話 王の器

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「君の名前はアイビス=サムパーティだよ」

 仮面を被った女性にそう名付けられた。
 私の中で最も古い記憶だ。
 名付けられた、という表現は正しくないかな。それは私の名前ではなく、私の役割の名前だったのだから。

 第3王子の影武者ドッペル、それが私の役割だった。

 他にも同じ境遇の子供が8人居た。この島に居るのは影武者ドッペル9人と先生が2人。合計11人。

 先生には大先生と先生が居て、大先生も仮面を被っていたけど、声や肌の感じから老人だとわかった。私が物心ついた時には多分、70歳ぐらいだったのではないのだろうか。

 黒曜刀・影打。
 その前で、大先生と話したことを良く覚えている。

「我々は影、何者にもなれん。『自分』を持ってはいかん」

 続けざまに大先生は言う。

「名付けが禁じられているのもその為。人は名を持つと自我を持とうとする」

 自我を持たず。自分を持たず。
 ただ命じられることに従い、王族の影として生きる。
 それが、私達――影武者ドッペルだ。

「影の未来に栄光はない」

 それが大先生の口癖だった。
 大先生はよく、私の話相手になってくれた。だけど、私が14歳の時に心臓発作で亡くなった。その死に顔すら、私は拝むことを許されなかった。

 私には大先生以外にもう一人、話し相手が居た。

「この足音……アイビスね」

 彼女は第2王子の影武者ドッペルで、目が見えず、足も不自由だった。
 いつも彼女は窓辺で本を手に持って、私を待っていた。

「今日はこの本、読んでくれるかしら」
「いいぞ。任せろ」

 私は朗読が好きだった。
 キャラクターのセリフをそのキャラクターに成り切って読むのが好きだった。
 私が悪役のように声を低くすると、彼女は笑った。私が女性の声を出すと、彼女は驚いた。
 彼女に朗読するこの時間が、人生で一番幸せな瞬間ときだった。

「……アイビスは器用ね」
「俺のオリジナルもかなり器用な人間みたいだからな。影武者ドッペルの俺も、同じように器用な造りなんだろう」
「本当に凄い。本の中のそれぞれの登場人物にピッタリな声出して……でも、あなたがアイビスとして喋る時だけ、ぎこちない」
「そうか?」
「うん。無理して話してない?」
「……物語に浸っている時はどんな声でも出せるんだけど、素の状態だとどうも難しくて。特にアイビスの口調は俺に合ってないんだ」
「そうなんだ。それならさ、一回好きに話してみてよ」
「でも、先生に聞かれたら怒られる」
「今はいないよ。お願い。あなたのを聞かせて」

 うながされるまま、私は声を出した。

「……わかりました。本当はゆったりとした口調で、丁寧な言葉遣いが私の口に合っているのです。うん、この声と口調なら自然に喋れます。どうでしょうか……あまり、男らしくないですよね。変、ですよね」
「ううん、そんなことないわ。とっても素敵な喋り方。聞きやすくて、心によく馴染む。私……今のあなたの声が一番好きよ」

 彼女は笑顔で言う。とても、美しく儚げな笑顔で。
 思わず照れて、顔が赤くなってしまう。

 とても大切な人だった。

 世界で一番大切な人だった。
 彼女さえいれば、この世界のあらゆる不条理に立ち向かえる気がした。
 しかし、世界は私の覚悟を容易く踏みにじった。

――王卵が起動した。

 私が18歳の時だった。
 目が見えず、歩けない彼女が魔獣巣食うダンジョンで生き抜けるはずもなく。

 虚しく王卵を生き抜いた私は、『先生』となった。

 ただ生に執着し、時間を貪る、悪魔となった。


 --- 


 花畑の上に立ち、
 私は来客を待つ。

「来ましたか」

 ザ。と足音を立てて、少年が木影から現れた。 
 少年――いや、今はもう青年か。黒い髪の青年だ。

「少し、背が伸びましたね」
「……」

 青年――カルラは喋らない。
 ジッと、私を睨むのみだ。
 つかいにやったガーゴイルの気配がない。倒されたか……。

「あなたが勝ち抜きましたか。あなたかクレインのどちらかだと思っていましたよ」

 影武者ドッペル九人の中で二人は飛びぬけた戦闘力を誇っていた。ワッグテールの力にも驚いたが、こと戦闘センスに関しては二人の方が上だろう。

 しかし、8割方クレインが勝ち残ると思っていた。カルラが来たのは僅かに驚きだ。

「本来なら、今日からあなたには『先生』になってもらう予定でしたが……残念ながらカルラ、あなたには今日、ここで死んでもらいます」

 王卵を勝ち抜いた者は、次の先生となる。先生となり、次代の影武者ドッペルを育てる。
 前任の先生は大先生となり、先生に教育に必要なスキルを与える。寿命が持つなら、先生の補佐として大先生は生きる。
 そうやってこの教室は……影武者教室ドッペルツィマーは回っていた。だが、

「意味がわからないな。俺は王卵を生き抜いた。俺が次代じだいの先生のはずだろ」
「……本来、王卵の儀が終わったら王卵は消え、8つの王冠となって世界に散らばる。だけど、王卵はまだ消えていない」

 未だに学校の上には巨大な王卵がある。
 儀式が完遂されていない証だ。

「どうやらが足りなかったようです。原因はハクとアルバトロスでしょう。二人の遺体はあまりにも損傷していて、人間一人分の生贄にはならなかったのです」

 ハクもアルバトロスも丸焦げだった。そのせいで、王卵はまだ、王族の血を求めている。

「アルバトロス、ハク、ワッグテールの3人で王卵は無事第二形態になった。だから何とか足りていると思っていたのですが……見当違いだったようです」

 まったく第9王子オリジナルめ、余計なことをしてくれた。

「ホルスクラウンを造るにはあと一人分、王族の血が足りない」
「……だったら別に、アンタをあの中にぶち込んでも儀式は成るだろ?」

 その通り。
 いまこの場に、生贄足りえる人物は二人。

「なぁ、いい加減……その仮面外せよ」
「……」

 もはや隠す必要もないか。
 私は真っ黒なマスクを外し、顔を晒す。
 を外気に晒す。

「アンタも誰かの影武者ドッペルだとは思っていたが、まさかアイツの影武者ドッペルとはな」

 この姿を、また見せる日が来るとは思わなかった。

「現国王、アイビス=サムパーティの影武者ドッペル。それがアンタの正体か」
「そういえばあなたは任務の際に、あの方に会っていたのでしたね。その通りです。私も影武者ドッペルとして育ち、そして王卵を勝ち抜き先生となった者です」

 腰から剣を抜き、カルラに向ける。

「私とあなた、どちらかは王卵へと還り、ホルスクラウンを成さなければならない。勝負ですカルラ……『先生』の座を賭けて」
「生憎だが、俺は『先生』なんてちゃちな席に用はない」
「……なんですって?」
「俺はさ、先生、本物になりたいんだよ」

 この子は……一体なにを言っているんだ?
 私たちは影武者ドッペル、偽物だ。それは産まれた時に決まったことであり、覆すことはできない。

「我々は生まれながらに偽物です。本物にはなれません」
「なれるさ。一つだけ方法がある。俺たちが本物になって、アイツらが偽物になる方法が」

 諦めの悪い。
 そんな方法があるはずがない。

「聞き分けのない子ですね……私たちはこの鳥籠から出ることはできない。王卵で抗いようのない運命があると知ったでしょう? 贋作として育ち、代用品として死ぬ。それが我々の運命だ。もしくは私のように、『先生』としてリサイクルされる運命しかない」
「俺は違う。この鳥籠を破り、この国を奪う」

 国を、奪う……?
 まさか、

「まさか、あなたは……!」
「もしも俺がさ、玉座に座ったら……誰も俺を影武者ドッペルと言えないだろう。あの王冠を手に入れることができれば、俺も、散っていった兄弟たちも、本物になれると思わないか? 誰も俺を、俺たちを、偽物とは呼べない。呼ばせない……!」

 ずっと、自分に関心がない子だった。
 運命を受け入れ、従う子供だった。
 だけどどうだ、いま私の目の前にいるこの青年の目には……確かな風格が見える。運命を打ち砕く、勇者の瞳だ。

「ハッキリと言おうか?」

 青年は真っすぐな瞳で、言い放つ。



「俺が王になる」



 青年が覚悟を口にすると、彼の影が浮き上がり、女性の形となり、彼を後ろからハグした。
 どこか神秘的なあの雰囲気は間違いなく、

「――影法師ゲンガー!?」

 馬鹿な! この1年の間に、幻影封氣を習得したのか!?

『ようやく決心したな。我が王よ。ずっと待っていた……君が“王になる覚悟”を決める時を! それこそが我を従える資格!! 今こそ教えよう! 私の名は――』
「いいよ。聞かなくてもわかる。行くぞ! ――“エクリプス”!!」

 彼の纏う陽氣が大きく、猛々しく燃え上がる――!!

「……この腐った仕組み……運命……全部全部全部!!! この国ごと作り変えてやる!!!! 俺が、この手で! 王になって!!!!」

 その勢いに、私はつい、後ずさってしまった。


「構えろよ先生。王の器ってやつを見せてやる……!」
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