紅~いつもの街灯の下で

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結奈&晴人編

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 次の日。晴人の部屋には、朝から結奈の甲高い声が響いた。

「えっ、うそ!マジで!?ルマン館のプリン・アラモードじゃん!すごい、すごい!感激~!」

 晴人が差し出したその洋菓子に、結奈は大はしゃぎ……瞳にはハートマークを出していた。

「うん。好きって言ってたから……」

「そうね、確かに言った……けど、どうせ聞いてないだろうって思ってたわ。あんたって、聞いてないように見えて案外、人の話聞いてるのね」

 結奈は失礼なことをサラッと口にして、クスクス笑った。しかし、晴人は無表情で、何処か上の空だ。

「ちょっと、遠藤。あんた、何をしけた顔してんのよ。もともと暗い顔が、今日はさらに根暗に見えるわよ」

 またまた失礼なことを口にしたが、晴人の反応はない。結奈はふぅっと溜息を吐いた。

「何よ。悩ましい年頃? だったら、あんたの分も食べちゃうわよ。プリン」

「……どうぞ」

「え、ホントに?やったぁ」

 ころっと機嫌が変わって素直に喜ぶ彼女を、晴人はぼぉっと眺める。そんな彼を見て、結奈は眉をひそめた。

「ちょっとぉ。そんなに見られてると、食べにくいじゃん。って言うか、今日持ってきた挿絵でイラスト系は全部揃ったし、データの確認も終わったみたいだし。もう、印刷屋さんに送信できるんじゃない?」

「うん。まぁ……」

「マジで、マジで? さっさと送りなよ。だって私、一刻も早く完成した本、見たいもん」

 口元にクリームをつけながら、結奈は目を輝かせた。

「……そうだね」

 晴人は何か言いたげな……まるで奥歯にものがはさまっているような顔をしていたけれど、結奈はまた、目の前のプリンにがっつき始めて。晴人は仕方なく、パソコンに向かって印刷屋への発注の手続きを始めた。

 ページ数を入力して表紙の素材や遊び紙の色なんかを選び、作品のデータをアップロード、希望の冊数に納品日数などを選択すると見積が出される。その内容で良ければ確認ボタンをクリックし、発注完了となるのだ。晴人は費用は銀行振り込みにしていたので、五通の見積書を手元に置いた。

「へぇ……一作品、三十冊頼んだら一万三千円かぁ。一冊、四百円くらい……って、え? 五作品だったら七万円くらいするんじゃない? あんた、そんなに金持ってんの?」

「うん……前までのイベントの売上とかあるし」

「うそっ、マジで!? すごーい! ホントに売れるんだ、あんたの本」

 結奈はまたはしゃぎ始めたけれど……彼はまだ、何やらぼんやりとした様子で。そんな晴人を見て、結奈は不満そうに眉間に皺を寄せた。

「何なの?」

「えっ?」

「今日のあんた。ずっと景気の悪い顔して沈んでんじゃん。どうしたのよ? あんたがそんなだと、こっちまでブルー入っちゃうじゃん」

「…………」

「言いたいことがあるなら、はっきりと言いなさいよ。男でしょ!」

 結奈はイラついた様子で晴人を睨む。彼は束の間、そんな彼女から目を逸らして……だがしかし、何かを決意したかのようにすっと目を合わせた。

「藤岡さん。嘘……ついてない?」

「は……嘘?」

 彼はこくりと頷いた。

「斎藤くんがアメフトの合宿って。あれ、嘘でしょ」

「えっ……」

 今度は結奈が言葉を詰まらせた。

 確かにそう……大輝がアメフト部の合宿ってのは、咄嗟に出た嘘。酷いフラれ方をしたことを誰にも言いたくなくて、つい吐いてしまった嘘だったのだ。

「それは……」

「昨日、見たんだ。斎藤くんが……浅倉さんと仲良さそうに歩いてるところ。そんで、斎藤くんは今は藤岡さんと付き合ってないって言ってた。それって、どういう……」

「あ……あんたには関係ないじゃない!」

 結奈はつい、声を荒げた。

「私が大輝とどうなってるとか、そんなこと、あんたには関係ない。余計な口出し、しないでよ!」

 そう叫んで晴人を睨んだ。結奈の目には怯んだ顔をした彼が映って……その顔は途端に、熱い涙で霞んだ。彼女は昂ぶる感情にみるみる支配されて、のどの奥から込み上げる嗚咽が止まらなくなった。

(忘れてたのに……同人誌を作るのが楽しくって、折角、忘れたつもりになってたのに)

 大輝が浅倉と歩いていたなんて聞いて、結奈の胸にはまた、堪らなく切ない想いが押し寄せた。大好きだった彼氏に酷い振られ方をした……そんな心にポッカリと空いた穴は精一杯の強がりで埋めていたつもりでも塞がることはなく、彼女はその空虚さに飲み込まれてしまいそうになって。

「…………」

 次から次へと溢れ出る気持ち……大輝との楽しかった思い出とか、彼の優しい笑顔が頭の中を埋め尽くして。どうしようもなくなった結奈は、へなへなと部屋に座り込んで。手で顔を覆い、しゃくりを上げて泣き始めたのだ。

「藤岡さん……」

 晴人は彼女の突然の号泣に、驚いたように目を丸くしていたけれど……何かを察したようにただ黙って、じっと彼女の傍にいたのだった。


 どのくらい、そうしていただろう。ひとしきり泣いた結奈が、やっと落ち着いた時……晴人はそっと、ハンカチを差し出した。

「藤岡さん……本当に、斎藤くんのことが好きだったんだね」

 彼女は、もう悪態を吐いたりはしなかった。無言でハンカチを受け取って、ただ、こくりとうなずいた。

「ごめん……急に、あんなこと言って。藤岡さん、めちゃくちゃ傷ついてたのに……」

 そう言って俯く晴人はとても温かくて、泣きそうなほどに優しかった。こいつになら、全てを話せるような気がして……結奈はゆっくりと口を開いた。

「ねぇ、遠藤。私……馬鹿なんだ」

 呟く彼女の瞳からは、渇れたはずの涙が頬を伝った。

「私と大輝ね、お似合いのイケメンカップルだって、みんなから思われてたでしょ。中学の時からそうだった。大輝と一緒にいるだけで、クラスで中心のグループにいることができて……それでいい気になってた」

 晴人は何も言わず、ただじっと結奈の言葉に耳を傾けていた。

「でもね、大輝の気持ちがもう私にないってこと……実はずっと前から気付いてたんだ。だけど、そんなこと認めたくなくて。誰にもそんなこと、気付かれたくなくて……一人でずっと、無理してた」

 濡れた頬は哀しく光って……だけれども彼女は寂しげに微笑んだ。

「私ね、あの日……あんたにジャケット貸してもらった日。あの日に大輝に振られて。それでやけくそになって、クラブで男、引っ掛けようとしたの。でも……出会った男に襲われかけて、逃げ出した。ホント、最低な馬鹿……笑っちゃうでしょ?」

 こんなこと、話すべきことじゃないって分かってた。こんな、わざわざ軽蔑されるようなこと……。

 でも、結奈は晴人にはもう、嘘をついたり隠し事をしたりなんてしたくなくて。だから、あの日……晴人と出会った時のことも、包み隠さず話したのだった。

 すると、彼は結奈の手をギュッと握って。彼女はドキッとして、涙で霞む目を晴人に向けた。

「馬鹿なんかじゃない。結奈さんは、すごく純粋で……綺麗なんだ」

 初めて、晴人が自分を下の名前で呼んだ……でも、そのことにすら気付かないほどに自分を見つめる彼の瞳は美しく、透き通っていて。結奈の意識はすぅっと彼の中に吸い込まれた。

「イラスト……結奈さんの描いてくれたのを見たら分かる。あぁ、これを描いた人は、すごく純粋で、心が綺麗なんだって。クラスでは一回も話したことなんてなかったけど、でも……すごく温かくて優しくて。だから、僕はそんな結奈さんが無理してるの、ツラくって見ていられないんだ」

「晴人……」

 結奈も、思わず彼の下の名前を口にする。

 そう……彼女はずっと、無理に明るく振る舞っていた。本当は、小学生の頃から何も変わっていなかった。内向的でマイペースで、イラストを描くのが好きで……だけれども、大輝と付き合い始めて、派手なグループとつるむようになって。クラスでのイメージを保つために、無理に背伸びをしていたんだ。

 そんな自分を理解してくれる言葉に、彼女はまるで心の奥からとろけてしまいそうな、言い様のない心地良さを感じた。


「結奈……もう、無理しなくていい」

 自分を見つめる晴人の言ったその言葉は、一瞬、内側の声と重なった。そう……派手に着飾ったり、明るく振る舞ったりしない、本当の自分の声。そんな自分の手を握る晴人の温もりとともに、彼の顔がゆっくりと近付く。

(綺麗……)

 結奈は思う。

 今まで気付かなかった。こいつの顔って、鼻がすっと通っていて、二重瞼の目は大きくて……まるで少女みたいに可愛かったんだ。

 その唇が近付いてきて……そっと、自分のに触れそうになった。


 しかし……

「…………!」

 彼女は反射的に顔を背けた。

 すると、途端に晴人は我に返って。弾かれたように彼女から離れた。

「ごめん! 僕、つい……」

 みるみる顔を赤くしていく彼の瞳はやっぱり透き通っていて、哀しくなるほどに綺麗で……結奈には直視できなかった。

「……ごめん。今日はもう、帰るね」

 立ち尽くしている彼にそっとハンカチを返して。彼女はその家を後にした。


 帰り道。結奈の見上げる西の空には紅色の夕陽が美しく輝いていた。しかし彼女は、初めて抱くその感情にひたすらに戸惑っていた。

(これ……何?)

 彼女の胸ではドックン、ドックンと、鼓動がいつまでも鳴り止まなかった。

 あの時……晴人が嫌だから顔を背けたんじゃなかった。寧ろ、溢れんばかりの彼の優しさに、身を委ねたかった。だけど……じっと見つめる彼のその顔が、あまりに無垢で可愛くて。自分なんかが汚してしまったらいけないと思って……思わず、顔を背けてしまったのだ。

(ドックン、ドックン……)

 あの日、彼と出会った公園の前……結奈は手で自分の胸を押さえて。

(何……? 何なのよ、この気持ち……)

 初めて感じる温かくて……だけれども切なくて堪らないその気持ちに、名を付ける術を知らなくて。夕陽に照らされた彼女は、ただただ立ち尽くしていたのだった。
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