音のない世界を裂く!

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~第一章 これって……手話?~

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「皆さん、御入学おめでとうございます! 本学で共に学べる仲間が増えること、大変嬉しく思います。本学で精一杯努力され、実りの多い月日を過ごされること、期待しております。さて、本学の障害学生学習支援ルームでは『ノートテイカー』を募集しています」
 希望に胸を踊らせる、大学の入学式。
 学長の長い話の後に、一人の女子学生を連れた青年が講壇に立って言った。

(『ノートテイカー』……何だ、そりゃ?)
 僕は、自分とは無関係とは思いながらも、初めて聞く単語にやや興味を持った。

「『ノートテイカー』とは、耳の不自由な学生に付いて、講義の内容をノートに纏めるサポーターのことです。現在、皆さんと同じく努力し、大学の講義に参加したい、と思いながらも耳が不自由なため、それが叶わない学生がいます。こちらでは、そういった学生の『耳』となるサポーターを募集しています」
 青年は、真剣な眼差しを講堂の新入生達に向ける。
「この女子学生も、耳が不自由なために大学の講義に参加できないうちの一人です。この学生の講義を聞きたい、参加したいという強い想いを、どうか最後まで聞いて下さい」
 青年が手を動かして何やら伝えると、その女子学生が講壇に立った。その途端、男達が色めき立った。
「すっげぇ美人!」
「やべぇよな。入学初日から、ついてるぜ」
 僕の前の席の、チャラチャラした男二人がひそひそと話すのが聞こえる。

(入学して早々、そんな話かよ)
 僕は思う。
 だがその女子学生、確かに綺麗だ。
 髪は流れるように美しく、香水のかおりが漂ってきそうだ。長い睫毛にアイラインをひいた切れ長の目が、艶やかな色気を醸している。
 僕も、つい、見惚れてしまった。

 しかし、講壇の女子学生が口を開いた瞬間、その場は異様な空気に包まれた。
「はつぁしぃの!にゃまうぇはぁ……くぃしゃらぐぃ……りぃにゃどぅぇしゅ」
 新入生達は、ざわつく。しかし、女子学生は続ける。
「はつぁしぃはぁ……くぉぉぎうぉ……うくぅぇりぇましぇん。どぅぁかりゃ、くぉぉぎうぉ、にょぉぉつぉにぃ、つぉぉってくぅだしゃい!」
「プッ……」
 新入生席の所々から笑い声が漏れる。

「彼女の名前は、如月 里菜(りな)です。こんなに真剣に、一生懸命に自分の『講義に参加したい』という想いを伝えてくれているのです。皆さん、どうか、『ノートテイカー』にご協力をお願いします」
 真剣な表情の女子学生に代わって青年が締めのお願いをした。
 しかし、僕の前の男二人はひそひそとこんなことを話した。
「うっわ、声、恐竜みてぇ。何言ってるかも全然分からんし」
「だな。どんなに美人でも、あれはないわ」
 その発言を聞き、僕はとても嫌な気分になった。
 女子学生が、真剣に自分の意思を伝えようとした。それを蔑ろにする行為や発言に対する嫌悪感。
 それが、僕が『聾』という障害に向き合うきっかけになったんだ。

 大学生活初日は、誰もが自分のキャラを印象づけようと、躍起になっている。
 『勉強なんてほとんどせずに勢いで受かった』だの、『バカ高校から現役で受かった』だのという話に華を咲かせているが、皆等しくガリ勉でなかった訳がない。
 そうまでして自分の個性を押し出したいものなのか。

 入学オリエンテーション後の休み時間。
 僕は溜息を吐き、窓際の席から窓の外を眺めた。
「ねぇ、何見てるの?」
 不意に尋ねられ、顔を前に戻した。
 前の席の女子学生が椅子をこちらに回して好奇の眼差しを向けている。
「別に」
「感じ悪っ。あんた、入学初日からそんなんだったら大学で友達なんてできないわよ」
 何やら、絡んできた。
「もう大学生なんだから、友達と仲良くつるむなんてバカバカしいよ」
 素っ気なく言う。
 しかし、何故かそんな僕の態度に興味を持たれてしまったようで、女子学生は椅子をより近づけてきた。
「しゃあない。大学生活の楽しみ方が分からないあんたのために、私が友達になってあげる。私、社会福祉学科の如月 里香(りか)。あんたは?」
「いらねぇよ」
 僕はブスっとしながらも自分の名前を言う。
「社会福祉学科の幸田 拓真(たくま)」

「あんた、何で社福なんかに入ったの?」
 大学の学食。日替わりランチを運んできた僕の横に来た彼女は言う。
 僕に『友達なんてできない』なんて言っておきながら、自分も誰一人、女友達できていないじゃないか。
 そう思いながらも、僕はそのままの理由を返した。
「家に近いこの大学で、僕の成績で文系で入れる学科、社福しかなかったから」
「何それ? もっとこう、大きな希望とか、動機とか、なかったの? 進みゆく高齢化社会で、お年寄りの為になる仕事がしたかったとか」
「うるせー。自分こそ、どうして社福なんかに入ったんだよ」
「私は……」
 少し、俯いた。
 この里香っていうコ、こうして見るとちょっと可愛い。
 ぱっちりとした目が印象的で、喋る時にちらっと見える八重歯も眩しい。
「お姉ちゃんの影響」
「えっ?」

 すると、里香の肩を一人の女性が叩いた。
 この清楚で綺麗な女性、見覚えがある。確か、入学式の時……。
 里香は、振り返る。そして、溢れんばかりのキラキラした笑顔を見せた。
 それからは、僕の入ってゆけない、二人だけの世界……やりとりが続いた。
 二人とも、両手を巧みに動かし笑い合っている。
(これって……手話? )

「こちらは、私のお姉ちゃんの里菜。まぁ、入学式の講壇で見たとは思うけどね」
 里香は紹介を始めた。
 今度は姉の方を向き、何やら手で『話して』いる。
 すると、姉の里菜は僕に眩いばかりの笑顔を向けた。
(この人、こんな表情もできるんだ……)
 講壇の前ではひたすら真剣な表情をしていたから、全然分からなかった。

 里菜は、右手を上げながら人差し指を立てた後、両手の人差し指を向かい合わせた。
「はじめまして」
 きょとんとする僕に、里香は姉譲りの笑顔で言う。
「今のは、『はじめまして』っていう手話よ」
「これが、手話……」
 日本語でも外国語でもない、未知の言語。僕の知らなかった世界。
 僕が初めてそれに触れた瞬間だった。
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