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葉月
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「あらまあ!殿下にもとうとうこの美味しさが!」
厨房に行き、菓子担当のムルジャーナにバクラヴァを作ってもらおうと直接頼みに行った。
ムルジャーナは中年女性の菓子職人だ。温厚で面倒見が良い彼女は、小太りというよりは球体に近い体系で菓子職人でありながら乳母を務めていたこともあった。亡くなったサイードの母や腹違いの兄弟たちが彼女の作る菓子が大好きだった。
厨房のスタッフたちはサイードが来たこと自体に驚いたが、あまり甘いものを好まないサイードがバクラヴァを頼むとムルジャーナが歓喜し、張り切って作り始めた。
バクラヴァ以外にもたくさんの菓子を作ってもらい、綺麗に箱に詰める。
葉月の喜ぶ顔が目に浮かんだ。
これをすぐに日本に送ろう。
またネット通話で葉月の嬉しそうな顔が見られる。
本当は直接会ってその笑顔を見たいのだが…。
葉月はぼんやりと外を眺めていた。
今日は休日。詩月は健人と出かけているし、佑月も涼と上手くいっているようだ。
いつもならオメガの友達たちと遊びに行っていたのに、何もする気にならない。
一昨日はサイードとネット通話をした。久しぶりに見た彼の顔は疲れているようだった。
でも彼は終始楽しそうで話も弾み、気が付いたら二時間近く話をしていた。
『また話をしても良いか?』
その言葉に素直に頷いた。ふわふわとした気持ちのまま通話を終了した。しかし暗い画面に切り替わると現実に引き戻され、コリンの顔が浮かんだ。
サイードはコリンが好きなはず。
おそらくコリンも…。
「はあ…。」
こんなことをして良いはずはない。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえと言うではないか。
でも葉月はサイードからの連絡を待っている自分がいることを認めざるを得ない。
もう一度大きなため息をついてソファーに寝転んだ。
「葉月様…。」
ソファーでゴロゴロしていると家政婦の章子に呼ばれた。
「んー?何?」
「それが…。」
困惑した顔の章子の次の言葉に、葉月はソファーから飛び起きて玄関に駆けつけた。
そして驚き固まる。
「葉月っ!」
「さ、サイード⁉︎」
善夜家の玄関に立っていたのは紛れもなくあのサイードだった。ラフな服装で手には大きな箱を抱えている。
少しやつれた顔は満面の笑みを湛えていた。
「な…どうして?」
「葉月、久しぶりだな。ほらこれを持って来たんだ。」
そう言って箱を差し出し蓋を開ける。
甘く香ばしい匂いが広がった。
「これ…。」
「バクラヴァだ。こっちがデーツとバルフィでこれがクナーファだ。」
「わざわざこれを?日本まで?」
「ああ。空輸だと三日かかると言われた。それなら直接持って来たほうが早い。」
葉月は大きな目をさらに大きくして驚いている。
「おまえの家は有名なんだな。ハイヤーの運転手がすぐに分かったよ。」
「…。」
葉月が玄関で固まっていると、様子を伺っていた章子が出て来た。
「葉月様のお知り合いですか?それならここではなんですから上がっていただきます?」
英語が分からない章子が葉月に話しかける。
「あ、うん。そうだね。サイード、上がってく?」
「え?良いのか?」
「うん。章子さん、僕の部屋で良いよ。日本茶を濃い目に淹れてもらえる?」
「はい。分かりました。」
葉月はサイードにスリッパを出して自分の部屋に案内する。
暇だったので、掃除しておいて良かったと安堵した。
二階の一番奥にある葉月の部屋は、高校生にしてはかなり広めの部屋だ。
十畳の洋室にセミダブルベッド、勉強机、二人掛けのソファーとコーヒーテーブルが置いてある。奥にはクローゼットに繋がる扉。
詩月ここへ来るとがよく使っているビーズクッションがベッドの横に転がっていた。グレージュと白で統一され、くすんだペールブルーが使われている。
「ここ。きっとサイードの家に比べたらうさぎ小屋かも。」
「いや、すごくきれいにしてあるな。」
「たまたまだよ。お茶取りに行ってくるから座ってて。」
「ああ。」
葉月が部屋から出て行くとサイードは思い切り部屋の匂いを吸い込んだ。葉月の匂いでいっぱいだ。
立ち上がり部屋の中を見て廻る。
ベッドまで行くと枕に顔を埋めた。
「うー、はぁ…」
ぐりぐりと顔を押し付け匂いを嗅ぐ。
興奮と安堵、不思議な感覚だ。
しばらくそうしているとふと思いついたように顔を上げ辺りを見渡す。机の上に小さなタオルが置いてあるのを見つけた。
今度は机に近づきその小さなタオルを手に取った。鼻に近づけ匂いを嗅ぐと小さく頷く。
そしてジャケットの胸ポケットからあのペールブルーのハンカチを取り出しそのタオルと交換した。
部屋の外からカチャカチャと音がしたためサイードは慌ててソファーに座る。
「お待たせ。」
章子を引き連れた葉月が部屋に入って来る。
コーヒーテーブルの上にお茶やお皿を置くと章子は部屋を出て行った。
「食べてもいい?」
「ああ、もちろんだ。そのために持って来たんだ。」
葉月はにこりと笑うとバクラヴァを皿に取り分ける。
一つをサイードの前に置いて、自分もソファーに座った。
「いただきます。」
手を合わせて軽く礼をしフォークでバクラヴァを口に運んだ。
「うわーっ!甘~い!」
口の中にジュワッとシロップが溢れ出す。
葉月が嬉しそうに悶絶しているとサイードも笑いながらバクラヴァを口に運んだ。
「ぐっ!甘い。今日のはいつもより甘いな。」
「ふふ。ほらこれ。」
サイードは葉月が差し出したお茶を一口飲む。渋さ甘さを洗い流しが口の中がさっぱりした。
「ん!すごいな。本当に合う。」
「だろ?美味しい~、甘~い!お茶と合う!」
葉月がバクラヴァを食べながらお茶を飲み幸せそうに笑った。
ふわふわと漂うフェロモンにサイードは意識を飛ばしてしまうのを必死に耐えていた。
厨房に行き、菓子担当のムルジャーナにバクラヴァを作ってもらおうと直接頼みに行った。
ムルジャーナは中年女性の菓子職人だ。温厚で面倒見が良い彼女は、小太りというよりは球体に近い体系で菓子職人でありながら乳母を務めていたこともあった。亡くなったサイードの母や腹違いの兄弟たちが彼女の作る菓子が大好きだった。
厨房のスタッフたちはサイードが来たこと自体に驚いたが、あまり甘いものを好まないサイードがバクラヴァを頼むとムルジャーナが歓喜し、張り切って作り始めた。
バクラヴァ以外にもたくさんの菓子を作ってもらい、綺麗に箱に詰める。
葉月の喜ぶ顔が目に浮かんだ。
これをすぐに日本に送ろう。
またネット通話で葉月の嬉しそうな顔が見られる。
本当は直接会ってその笑顔を見たいのだが…。
葉月はぼんやりと外を眺めていた。
今日は休日。詩月は健人と出かけているし、佑月も涼と上手くいっているようだ。
いつもならオメガの友達たちと遊びに行っていたのに、何もする気にならない。
一昨日はサイードとネット通話をした。久しぶりに見た彼の顔は疲れているようだった。
でも彼は終始楽しそうで話も弾み、気が付いたら二時間近く話をしていた。
『また話をしても良いか?』
その言葉に素直に頷いた。ふわふわとした気持ちのまま通話を終了した。しかし暗い画面に切り替わると現実に引き戻され、コリンの顔が浮かんだ。
サイードはコリンが好きなはず。
おそらくコリンも…。
「はあ…。」
こんなことをして良いはずはない。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえと言うではないか。
でも葉月はサイードからの連絡を待っている自分がいることを認めざるを得ない。
もう一度大きなため息をついてソファーに寝転んだ。
「葉月様…。」
ソファーでゴロゴロしていると家政婦の章子に呼ばれた。
「んー?何?」
「それが…。」
困惑した顔の章子の次の言葉に、葉月はソファーから飛び起きて玄関に駆けつけた。
そして驚き固まる。
「葉月っ!」
「さ、サイード⁉︎」
善夜家の玄関に立っていたのは紛れもなくあのサイードだった。ラフな服装で手には大きな箱を抱えている。
少しやつれた顔は満面の笑みを湛えていた。
「な…どうして?」
「葉月、久しぶりだな。ほらこれを持って来たんだ。」
そう言って箱を差し出し蓋を開ける。
甘く香ばしい匂いが広がった。
「これ…。」
「バクラヴァだ。こっちがデーツとバルフィでこれがクナーファだ。」
「わざわざこれを?日本まで?」
「ああ。空輸だと三日かかると言われた。それなら直接持って来たほうが早い。」
葉月は大きな目をさらに大きくして驚いている。
「おまえの家は有名なんだな。ハイヤーの運転手がすぐに分かったよ。」
「…。」
葉月が玄関で固まっていると、様子を伺っていた章子が出て来た。
「葉月様のお知り合いですか?それならここではなんですから上がっていただきます?」
英語が分からない章子が葉月に話しかける。
「あ、うん。そうだね。サイード、上がってく?」
「え?良いのか?」
「うん。章子さん、僕の部屋で良いよ。日本茶を濃い目に淹れてもらえる?」
「はい。分かりました。」
葉月はサイードにスリッパを出して自分の部屋に案内する。
暇だったので、掃除しておいて良かったと安堵した。
二階の一番奥にある葉月の部屋は、高校生にしてはかなり広めの部屋だ。
十畳の洋室にセミダブルベッド、勉強机、二人掛けのソファーとコーヒーテーブルが置いてある。奥にはクローゼットに繋がる扉。
詩月ここへ来るとがよく使っているビーズクッションがベッドの横に転がっていた。グレージュと白で統一され、くすんだペールブルーが使われている。
「ここ。きっとサイードの家に比べたらうさぎ小屋かも。」
「いや、すごくきれいにしてあるな。」
「たまたまだよ。お茶取りに行ってくるから座ってて。」
「ああ。」
葉月が部屋から出て行くとサイードは思い切り部屋の匂いを吸い込んだ。葉月の匂いでいっぱいだ。
立ち上がり部屋の中を見て廻る。
ベッドまで行くと枕に顔を埋めた。
「うー、はぁ…」
ぐりぐりと顔を押し付け匂いを嗅ぐ。
興奮と安堵、不思議な感覚だ。
しばらくそうしているとふと思いついたように顔を上げ辺りを見渡す。机の上に小さなタオルが置いてあるのを見つけた。
今度は机に近づきその小さなタオルを手に取った。鼻に近づけ匂いを嗅ぐと小さく頷く。
そしてジャケットの胸ポケットからあのペールブルーのハンカチを取り出しそのタオルと交換した。
部屋の外からカチャカチャと音がしたためサイードは慌ててソファーに座る。
「お待たせ。」
章子を引き連れた葉月が部屋に入って来る。
コーヒーテーブルの上にお茶やお皿を置くと章子は部屋を出て行った。
「食べてもいい?」
「ああ、もちろんだ。そのために持って来たんだ。」
葉月はにこりと笑うとバクラヴァを皿に取り分ける。
一つをサイードの前に置いて、自分もソファーに座った。
「いただきます。」
手を合わせて軽く礼をしフォークでバクラヴァを口に運んだ。
「うわーっ!甘~い!」
口の中にジュワッとシロップが溢れ出す。
葉月が嬉しそうに悶絶しているとサイードも笑いながらバクラヴァを口に運んだ。
「ぐっ!甘い。今日のはいつもより甘いな。」
「ふふ。ほらこれ。」
サイードは葉月が差し出したお茶を一口飲む。渋さ甘さを洗い流しが口の中がさっぱりした。
「ん!すごいな。本当に合う。」
「だろ?美味しい~、甘~い!お茶と合う!」
葉月がバクラヴァを食べながらお茶を飲み幸せそうに笑った。
ふわふわと漂うフェロモンにサイードは意識を飛ばしてしまうのを必死に耐えていた。
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