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第二章 過去
34歳は現実から強制的に逃避させられた
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「ちゃんと理解しなさい!
仕事が遅いのは怠惰、わかっててやらないのは悪よ!覚悟を決・め・ろ!」
オフィスの会議室から厳しい声が漏れる。
フロア内の若手社員にも、やはり丸聞こえだった。
「直さんのアレ、また出ちゃいましたね」
「いつもいつも覚悟決めてらんねえっての」
外野の若手社員はバカにするかのように顔を見合わせて失笑している。
会議室内で怒られている方―――長谷部 賢人、22歳。女性と見間違えるような端正な顔だちの草食系男子で全く仕事が出来ない。
怒っている方―――山田 直
東京にさみしく一人暮らし、独身、性別・女、日本人。
親に真っすぐ育ってほしいとの名前通りに育ち、中学校では生徒会長で、曲がった事キライ・でしゃばる・メガネ・顔面偏差値フツウ・黒髪・黒目・体型ややぽっちゃりのまじめキャラ。
大人になってからの同窓会では、
「ああ!生徒会長の!・・・」
しか印象のないであろう。
大学を出て、就職して姉御肌のビジネスウーマンになるも、厳しすぎて部下からは人気がないのは周知の事実。
あの人、男いないんだろとか、いつまで会社にいるんだよとか、陰で言われているのが胸に刺さる結婚できない34歳。
この女性が数週間後には全く違う生き方をすることになるのである。
「はあ…またやっちゃったなあ…」
夜になって仕事が終わり、帰路についていた山田直が呟く。
「長谷部くん、悪い子じゃないんだけど、頑張ろうという気持ちが入らないのよねぇ…
ちゃんとやれればいい仕事するんだからもったいないなあ…」
会議室での出来事を反省して、かつ部下を心配し、さらには自己嫌悪になる。
いろいろと忙しい。
帰りながらも部下の心配するほど面倒見はいいのだが、いつもうまく伝えきれてなく、暑苦しいとかウザがられてしまう。
「どう言ったら頑張れるのかしら…
若くてかわいい女の子に言われないとダメなのかな…」
「きっとそうなんだろうなぁ」
山田直は見た目に自信がなかった。
男性が守ってあげたくなるような、華奢で見た目のかわいい女の子になりたい願望が非常に強かった。
帰路の途中の駅から徒歩の時間はほぼ必ずそんな事を考えている。
いつものルーティーンだ。
そんな矢先、いつもと違う事が起こった。
一台のトラックが横断歩道の上を歩く山田直に向かって行く!
ドガァァン!!!
トラックは激しい轟音と共に山田直を巻き込み、コンクリートの外壁に突っ込んだ。
運転手の居眠り運転による、暴走事故。
ナオの体はコンクリートとトラックに挟まれて、いたるのところの骨がぐしゃぐしゃに折れ、方々から出血している。
「ーーーーーーーー!!!」
ナオは痛すぎる衝撃に悶絶して声を上げることもできない。
意識もだんだん薄れて行く。
その薄れていく意識の中で誰かが両手を組んで祈る姿がぼんやりと浮かんで消えた。
『どうか・・・どうか祖国の再興を・・・・』
『何・・・?いま・・・の・・・』
山田直の思考はそこで完全に止まってしまっていた・・・。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
開け放たれた窓からやわらかな朝の日差しが入りこむ。
木の窓の桟には小鳥が2羽、じゃれ合いながら楽しげにチュンチュンと鳴いている。
すがすがしい朝の部屋の中でトラックに轢かれたはずの山田直はベッドに横たわっていた。
全身には傷1つない。
「ん・・・んん・・・」
やがて山田直は目を覚ました。
上半身を起こしたがどうやら頭がぼーっとしているらしく、しばらく固まっている。
少しの時間の後、山田直のいる部屋に人が入ってきた。
「おや?目覚めたかい?」
白髪の初老の男性が話しかける。
老人は手に2つのカップを持っていて、その1つを山田直のベッドの横のテーブルに置いた後、近くの椅子に腰かける。
「うちのばあさんの入れたハーブ入りの紅茶はおいしいんじゃよ。気持ちも安らぐ。ほら飲みんさい」
「ありがとうございます・・・」
とりあえずお礼を言って山田直はカップを取り、口をつける。
「うわあ、いい香り・・・、おいしい・・・」
数種類であろうハーブのさわやかな香りにはちみつの甘さがとても心地よく、山田直はあっという間に飲んでしまった。
「おやおや、舌は火傷しなかったかい、ハハハ。
どれ、ばあさんに行っておかわりの紅茶をもらってこよう」
そういうと老人は部屋から出て行った。
紅茶でだいぶ頭がすっきりしたためか、現状に気づき始めた山田直の顔色はだんだん青ざめていく。
『確かあの時トラックが突っ込んできて・・・目の前が真っ暗になって・・・
何かが見えた気がして・・・』
『私は生きてたの?・・・でもここはどこ?病院でもないし・・・』
『それにさっきの老人は明らかに日本人ではないけど日本語を話してた・・・いや、待って???
私が日本語を話してない・・・知らない国の言葉を話してる・・・』
はっとなった瞬間に部屋の本棚が目に入った。
そこにある本の題名は日本語ではない文字で書かれているが、山田直はそれを読むことができる。
どうやら山田直自身のネイティブ言語として身についている言葉らしい。
『ど・・・どうゆうこと・・・?』
さらに混乱して固まっていると、先ほどの老人が戻ってきた。
もう一人、お婆さんも一緒に入ってきた。
「はい、紅茶のおかわりよ」
そう言ってお婆さんが笑顔でティーポットで紅茶をついでくれる。
「親切にしていただいて、ありがとうございます。
でも私には今の状況が何が何だか・・・」
山田直は混乱しつつもお礼を述べる。
老夫婦は少し驚いた表情で一度顔を見合わせたが、すぐに笑顔に戻る。
「混乱しているのも無理はない。昨日、皇都へ道の途中の林の中で行き倒れておったんでな。
わしが家まで運んできて休ませたんじゃよ」
「皇都?林?・・・」
「すみません。記憶が混乱してて全くよくわからないです・・・。ここはどこなんですか・・・?」
「そうか、それは大変じゃのう。
わしはニコル。隣の婆さんは妻のレリア。
ここはオルネア帝国の皇都から西に少し離れたところにあるコパ村じゃよ。
ほとんどが小麦の農業で生計を建てておるのどかな村じゃよ。」
「ああ、この場合は日付も教えとくべきじゃな。
今日はオルネア帝国歴363年9月4日じゃよ」
老人は不安がる山田直に安心しなさい、とばかりの優しい笑顔で教えてくれる。
『オルネア帝国・・・コパ村・・・そんなの聞いたことない・・・』
『いや・・・現代には存在しない・・・・これはやはり異世界に来ちゃった系だよね・・・』
山田直は次第に冷静になっていった。
ビジネスウーマンとして34歳にもなれば様々な理不尽なことも経験あるものだ。
すんなりと現実を受け止め始める。
「おじいさん、おばあさん。
本当にいろいろありがとうございます。」
落ち着いた山田直は顔を上げて二人に話し始めた。
「私は山田直といいます。34歳です。
こことは全く違う国の出身です。原因はわかりませんがこの国に迷い混んでしまったようです。」
山田直の話に二人は面白い冗談だとばかりに声をあげて笑った。
「ハハハハ。すまんすまん。この状況でなかなか面白い冗談を言える子じゃな」
「??どういう意味ですか??冗談を言ったつもりはないですが・・・」
きょとんとしている山田直にニコルは続けた。
「ほらなに、34歳と言ったじゃろう?おまえさんはどう見ても17、18歳くらいじゃろうが。
ほれ、鏡見てみんさい」
ニコルから近くにあった手鏡を渡される。
「ふえエエエエーーーーーーー!!!?」
手鏡にはプラチナブロンドの美少女の姿が映し出されている。
こころなしか驚いた時の声も若返っている。
異世界に来てもすぐ冷静になれたのに、山田直は自分を見てパニックになり、そして気を失った・・・☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
その日の夜、ニコル老人の家のテーブルで三人は夕食を囲んでいた。
野菜とジャガイモだけの温かいスープに小麦のバゲット。素朴で質素だ。
「直さん、どうじゃな?だいぶ落ち着いたかの?」
素朴ながらおいしいスープに目をキラキラさせて食べていた山田直に、ニコル老人が話しかける。
山田直は食べる手を休めて答える。
「はい、ニコルさん。
朝はだいぶ記憶が混乱してました。亡くなった母が34歳だったんです。」
山田直は目を覚ました後に一人考えにふけり、頭を整理させていた。
助けてくれた2人に心配かけないように嘘も用意していた。
トラックに轢かれて多分死んでしまったこと、異世界に迷い込んだこと、自分が全く違う姿をしていたこと。
死んでしまったことは仕方ない。
そして現実世界に満足していたわけでもなく、全く違う世界に生きていたらと妄想したこともなくはない。
山田直はだいぶ悩んだが、人生をまたやり直せることに少しだけ喜びも感じていた。
白金の長く輝く髪、宝石のような碧眼、人形の様に可愛く整った顔立ち、若々しくてぜい肉など一切なく、スレンダーで均整の取れた身体。
見た目は以前の現実世界と比べ、遥かに高スペック。
とりあえず、裸になって自分の体を舐めるように見てうっとりしていたのは言うまでもない☆
その時に左目の涙袋のほくろは男を悩殺する武器ということ、右肩の後ろに鳥の形に見える小さなアザがあることに気づいた。
「私は18歳でした。
どうしてこの国にいるのかは思い出せませんが、たぶん故国に帰ることはできません。
この国で生きていくしかないと思ってます。」
山田直は決意に満ちた表情で二人を見た。
すると、レリアが微笑みかける。
「いろいろと大変だったねえ。
でもこの国にいるのだったら好きなだけうちにいたらええよ。なあじいさん?」
「ああ、もちろんじゃよ。
わしたちも皇都の鍛冶屋に嫁に行った娘が帰ってきた気がして嬉しいしのう。」
二人の優しい言葉に山田直は少し涙ぐんだ。
「ニコルさん、レリアさん。
見ず知らずの私にこんなに優しくしてくれて本当にありがとう。
しばらくお世話にならせてください」
山田直は立ち上がって二人の手を取る。
「気軽に直と呼んでください。
そして私もおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばせてください」
二人は愛情に満ちた笑顔でほほ笑み、頷いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
山田直は食事をしながらしばらく国の事などいろいろな話を教えてもらった。
グラン・シエクルという名の世界、オルネア帝国。人々の生活。そして近隣の国。
帝国の周りにもいくつもの国があり、この10数年はあまり大きな戦争にはなっていない。
「そういえば直は苗字を名乗っておったな。
山田じゃったか。この国では苗字を名乗れるのは貴族だけじゃ。
直は故国では貴族じゃったんか?」
「うーん、貴族ではなかったです。
私の国では誰もが苗字を持っていて、みんなが自由でした。」
その言葉にニコルとレリアの顔が曇る。
「それは素晴らしい国じゃのう。
しかし、この国は帝国じゃ。臣民もなにもすべては帝王のもの。逆らえば容赦はされぬ。もともと厳しかったが、さらに最近は圧政が厳しくてのう。」
困った顔をしたニコルがさらに続ける。
「この村でも帝王や貴族への民衆の不満は高まるばかり。苗字を名乗ると直も貴族と思われるやもしれんで言わんほうがいいかもしれん」
「おじいちゃん。心配ありがとう。
そうですね、それでは私は二人の孫ということにさせていただけないでしょうか。
他の人に私のことをいうときはコパ村のニコルおじいちゃんの孫のナオ、最近遠い村から帰ってきた。ですかね♪」
自分の居場所ができたのがうれしかったのか、ナオは二人にとびきりの笑顔を見せた。
それを見た二人も安堵した表情になる。
「それがええね。しかし、いきなり大きな孫ができたのう」
ニコルが冗談をいう。すかさず、レリアが続く。
「いいえ、じいさん。前からいましたよ。ボケがまわってきましたねえ?」
三人は顔を見合わせた後、おかしくて吹き出してしまう。
その日の夜は遅くまで家中に笑い声が響いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ナオが孫ということになってから1月が過ぎた。
ニコルの畑仕事を手伝い、レリアと一緒に食事の支度をする。夜は3人で団欒する。
自給自足の生活、地に足がついた生活を送っていた。
水は貴重だからそうそう湯浴みすることはできないし、食べ物はといえばジャガイモ主体の野菜ばかり。肉はといえば干し肉くらいで、とても質素な生活だ。
そんな生活だが、以前の都会での隣人の名前も知らない殺伐とした生活を考えると比べ物にならないほどナオは充足感を得ていた。
『この穏やかで、心温まる生活は私にとってのオアシスだなあ・・・』
『ああそうか、こういった穏やかな気持ちで部下の子たちに接していたらもっと違ったのかな・・・』
すっかり忘れていた空の青さ、太陽の光に陰影を作る真っ白い雲、頬を撫でる心地よい風。
収穫を迎える小麦畑は穂が楽しく踊るように揺れている。
美しい世界とゆったりとした時間の流れ。
荒み切ってしまっていた心が潤って行き、ナオは忘れかけていた人としての大切な何かを思い出していた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ある日、ナオはニコルと収穫した小麦を王都に売りに行くことになった。
荷馬車にたくさんの小麦を積み、皇都まで半日の道を行く。
前回のこの道程で休憩したニコルにナオは拾われたのだ。
皇都についた二人はニコルの馴染みの商人のもとに向かい、小麦を売る交渉をする。
「ニコルじいさん。本当に無理なんだ。これ以上は出せない。」
商人は懇願してくるニコルに困惑していた。
「知ってるだろ?皇帝陛下の圧政を。
皇都の商人の税金はめちゃくちゃ高くなってしまって、みんな必死にやりくりしているんだ。
実際に税金を払えなくて牢獄につながれてるやつが大勢いるんだ。俺も明日は我が身かといつも冷や冷やしてるんだ」
「しかし、これでは去年の半分の値段にもならんではないか・・・わしもこれでは税金を払えんよ・・・」
商人の裾を引っ張ってニコルが食い下がる。
「これでも昔からのよしみでの値段なんだ!この金額で嫌なら他を当たってくれ!
ただ、うちより多く出すところなんてないだろうがな!」
商人の怒声に負けて、ニコルは不服だが小麦を売ることになった。
ナオも手伝って荷台の小麦を下す。
あれだけ荷台いっぱいにあった小麦の値段はオルネア銀貨12枚分にしかならなかった。
「ナオ、すまんのう。せっかくだったから服の1着でも買ってやりたかったんじゃが、どうにもその余裕は全くないみたいじゃ・・・」
帰りの馬車の上でうなだれたニコルはナオに謝る。
「おじいちゃん、気にしないで?
それよりもごめんなさい。私の分もいろいろ負担になってしまうから・・・」
ナオも事情を気にして、シュンと小さくなる。と、その時である。
軍服に身を包んだ騎兵2人がナオたちの道を塞ぐ。
「これから、皇帝陛下がお通りになられる。馬車から降りて平伏せよ」
「ナオ!まずい。早く馬車から降りなさい」
慌ててニコルはナオに指示し、馬車をできるだけ道の端にずらしニコル自らも馬車を降りて地に伏せる。
ナオはあっけにとられたが、すぐさま地面に膝をつく。
しかし、顔は下げなかった。
目の前を皇帝陛下ご一行の馬車やら騎馬が通り過ぎていく。
1番煌びやかな馬車が2人の前を通りすぎたと思った瞬間、その馬車が止まった。
その馬車のキャリッジのドアが開き、中から男性が出てきた。
非常に仕立ての良い豪華な正装で、ところどころに宝飾がちりばめられ、そして左胸にオルネア皇家の紋章が施されている。
「娘!そこに立て!」
出てきたその人はナオに向かって声を放つ。
ナオは驚いたが、言うことを聞かないと大変なことになりそうだと本能的に察知してすぐに立ち上がる。
そのナオのもとに先ほどの男性が近寄ってくる。その両脇をすぐに衛兵が囲む。
「ほほう。見目麗しい娘だな。結婚はしているのか?」
男性は赤色の自分のあごひげを触りつつ、ナオを見定めるようにいう。
「いいえ。結婚はしておりません。」
ナオはおそるおそる答える。この男性が皇帝であることはすぐに感じたが、目は背けなかった。
「見目もいいが、なるほど意思の力もあるか。」
そして、皇帝はその場の誰もが驚愕する衝撃的な言葉をその場に残した。
「お前を我が愛妾にする。数日のうちに皇城に入れ!」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
コパ村に戻ったナオとニコルはすぐに家でレリアに事の顛末を話した。
村には護衛のためなのか、監視のためなのか、2人の騎士が付き添ってきていた。
「女好きの皇帝陛下のことじゃ。こういった話はよく耳に入る。
じゃが、断ったという話は聞いたことがないわい。
皇帝に飽きられて村に帰ってきた娘の話はよく・・・」
「やっぱりそうなのね!あんなに簡単に愛妾を決めるだなんて、使い捨てにしか思ってない!」
ナオは憤りを感じて鼻息が荒くなる。
「この話を断ることはできるのかねえ?」
レリアはナオの美貌だと仕方ないとばかりに、少し冷静だった。
「突然、失礼いたします。」
外にいた騎士の一人が家に入ってきた。
「失礼かとは存じましたが、多分かなり混乱されているかと思いまして。
私はオルネア帝国近衛騎士団のラヴェル・リヒッターと申します。」
20歳前半であろう栗色の髪の騎士、鍛えられた細身の身体に若々しい魅力を携えている。
「僭越ではあるのですが、皇帝陛下のご無礼をお許しください。
おっしゃる通り、このようなことはたまにあることです。
陛下のお心次第ですので、私共はお諫めすることはかないません。」
当然ラヴェルも貴族である。
しかし平民の3人に対してラヴェルはとても礼儀正しく振る舞った。
「しかし、悪いことばかりではありません。
愛妾を出した家にはオルネア金貨20枚をお礼として差し上げております。
そしてその村は愛妾特権で1年間の税金が全て免除されます。
帝国の住民の皆さまの暮らしは大変になっていっていると聞いております。
心よく受け入れてくだされば皆さまにも幸せなことなんです。」
なるほど、わかりやすいやり方である。
村と家族を懐柔し、娘を孤立させてNOと言わせない。
しかしラヴェルはわかっていないのか、よほどのお人よしなのか、作為や裏もない真剣な表情で3人を説得しようとしていた。
ナオは少し呆気にとられたが1度溜息をついた後、含み笑いをしてから口を開いた。
「騎士ラヴェル様。ありがとうございます。
正直私は帝国に不信感をもっておりました。
しかし、あなたの様に誠実な騎士様もいらっしゃるのですね。少し、帝国に好意を持てました。」
「それにどうしたってお断りすることは叶わないのでしょう?
それでしたら、私はおじいちゃんとおばあちゃんへの恩返しのためにも喜んで愛妾になります。」
ラヴェルのおかげで憤りは落ち着いている。
そしてナオの頭の片隅には今日の小麦売買のことも思い浮かんでいて、とても断ることなどできもしなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ナオは騎士に連れられて皇城内の後宮に入った。
与えられた部屋はもとの世界のホテルのスイートルームばりに豪華だ。
そして半透明のベールが垂れ下がる煌びやかな天蓋のついたダブルサイズの大きなベッドがある。
荷物を整理して一息ついたナオは、ニコルとレリアの言葉を思い出す。
「短い間になってしまったが、ナオと一緒にいられて本当に楽しかった。
わしたちはもう本当の家族じゃよ。嫌になったらいつでも帰ってきなさい」
「これはナオが好きなジャガイモのスープのレシピだよ。心細くなったら作ってごらん。
私たちとの楽しい思い出でいっぱいになれるよ。」
「おじいちゃん、おばあちゃん。ありがとう。がんばるよ・・・」
様々な不安を抱えていても気丈に振る舞うつもりでは来ていたが、2人の優しさを思い出してしまうとすぐ目頭が熱くなる。
こらえようとすればするほど涙があふれてしまう。
コンコン。ドアをノックする音が聞こえる。
「あっ、はい。どうぞ」
ナオは少し慌てたがドアに向かって声をかけた。
すると、2人の侍女が入ってくる。
「本日よりお側役を命じられました、侍女のロレンツェと申します。
こちらはクリスティーヌ。どうぞお見知りおきを」
ロレンツェは30代後半であろうか。ブルネットの髪色がよく似合う落ち着いた風貌で、女性らしからぬ鋭さを纏っている。
身長は170cm後半だろうか、とても背が大きく体格もとてもしっかりしている。
反対にクリスティーヌの方はまだ10代後半であろう。
明るめな茶色の髪でそわそわと落ち着きがなく、160cmくらいの身長で細身で華奢だ。ただ、メイド服に強調されてか胸は異常に大きい。
恭しく挨拶をしたロレンツェが顔を上げてナオを見ると、いまだに涙ぐんでいたナオが視界に入る。
すぐに気持ちを察してか、ロレンツェはナオに近づいてチーフを渡そうとする。
「ナオ様、大丈夫ですか?」
「ありがとう。ロレンツェと言いましたね。これからよろしくお願いします。
早速1つお願いがあります。」
チーフで目を抑えたままでナオは言った。
「気持ちが落ち着くまで胸を貸してください」
基本は常に引き締まった表情のロレンツェだがナオの言葉で少し赤面する。
侍女が主人を抱きしめることなどまずない。
そして通常のパターンは町娘が愛妾の位と特権を与えられ、勘違い甚だしく傲慢になってしまう。
しかしナオは立場など気にせず、さらに自分をさらけ出すようなことを簡単に言ってしまう。
初対面だがその人柄にロレンツェはとても好感を持つ。
そして、大体の事情は想像できる。
家族の事、これからの事やプレッシャーで押しつぶされそうになっている少女を守ってやりたいとも思った。
ロレンツェはふわっと優しくナオを抱きしめる。そして頭を優しく撫でた。
「ぐすっ。ありがとう、ロレンツェ・・・」
ロレンツェのメイド服は本人の汗を吸うより先に、主人の涙でぐっちょりと濡れる事となった。
仕事が遅いのは怠惰、わかっててやらないのは悪よ!覚悟を決・め・ろ!」
オフィスの会議室から厳しい声が漏れる。
フロア内の若手社員にも、やはり丸聞こえだった。
「直さんのアレ、また出ちゃいましたね」
「いつもいつも覚悟決めてらんねえっての」
外野の若手社員はバカにするかのように顔を見合わせて失笑している。
会議室内で怒られている方―――長谷部 賢人、22歳。女性と見間違えるような端正な顔だちの草食系男子で全く仕事が出来ない。
怒っている方―――山田 直
東京にさみしく一人暮らし、独身、性別・女、日本人。
親に真っすぐ育ってほしいとの名前通りに育ち、中学校では生徒会長で、曲がった事キライ・でしゃばる・メガネ・顔面偏差値フツウ・黒髪・黒目・体型ややぽっちゃりのまじめキャラ。
大人になってからの同窓会では、
「ああ!生徒会長の!・・・」
しか印象のないであろう。
大学を出て、就職して姉御肌のビジネスウーマンになるも、厳しすぎて部下からは人気がないのは周知の事実。
あの人、男いないんだろとか、いつまで会社にいるんだよとか、陰で言われているのが胸に刺さる結婚できない34歳。
この女性が数週間後には全く違う生き方をすることになるのである。
「はあ…またやっちゃったなあ…」
夜になって仕事が終わり、帰路についていた山田直が呟く。
「長谷部くん、悪い子じゃないんだけど、頑張ろうという気持ちが入らないのよねぇ…
ちゃんとやれればいい仕事するんだからもったいないなあ…」
会議室での出来事を反省して、かつ部下を心配し、さらには自己嫌悪になる。
いろいろと忙しい。
帰りながらも部下の心配するほど面倒見はいいのだが、いつもうまく伝えきれてなく、暑苦しいとかウザがられてしまう。
「どう言ったら頑張れるのかしら…
若くてかわいい女の子に言われないとダメなのかな…」
「きっとそうなんだろうなぁ」
山田直は見た目に自信がなかった。
男性が守ってあげたくなるような、華奢で見た目のかわいい女の子になりたい願望が非常に強かった。
帰路の途中の駅から徒歩の時間はほぼ必ずそんな事を考えている。
いつものルーティーンだ。
そんな矢先、いつもと違う事が起こった。
一台のトラックが横断歩道の上を歩く山田直に向かって行く!
ドガァァン!!!
トラックは激しい轟音と共に山田直を巻き込み、コンクリートの外壁に突っ込んだ。
運転手の居眠り運転による、暴走事故。
ナオの体はコンクリートとトラックに挟まれて、いたるのところの骨がぐしゃぐしゃに折れ、方々から出血している。
「ーーーーーーーー!!!」
ナオは痛すぎる衝撃に悶絶して声を上げることもできない。
意識もだんだん薄れて行く。
その薄れていく意識の中で誰かが両手を組んで祈る姿がぼんやりと浮かんで消えた。
『どうか・・・どうか祖国の再興を・・・・』
『何・・・?いま・・・の・・・』
山田直の思考はそこで完全に止まってしまっていた・・・。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
開け放たれた窓からやわらかな朝の日差しが入りこむ。
木の窓の桟には小鳥が2羽、じゃれ合いながら楽しげにチュンチュンと鳴いている。
すがすがしい朝の部屋の中でトラックに轢かれたはずの山田直はベッドに横たわっていた。
全身には傷1つない。
「ん・・・んん・・・」
やがて山田直は目を覚ました。
上半身を起こしたがどうやら頭がぼーっとしているらしく、しばらく固まっている。
少しの時間の後、山田直のいる部屋に人が入ってきた。
「おや?目覚めたかい?」
白髪の初老の男性が話しかける。
老人は手に2つのカップを持っていて、その1つを山田直のベッドの横のテーブルに置いた後、近くの椅子に腰かける。
「うちのばあさんの入れたハーブ入りの紅茶はおいしいんじゃよ。気持ちも安らぐ。ほら飲みんさい」
「ありがとうございます・・・」
とりあえずお礼を言って山田直はカップを取り、口をつける。
「うわあ、いい香り・・・、おいしい・・・」
数種類であろうハーブのさわやかな香りにはちみつの甘さがとても心地よく、山田直はあっという間に飲んでしまった。
「おやおや、舌は火傷しなかったかい、ハハハ。
どれ、ばあさんに行っておかわりの紅茶をもらってこよう」
そういうと老人は部屋から出て行った。
紅茶でだいぶ頭がすっきりしたためか、現状に気づき始めた山田直の顔色はだんだん青ざめていく。
『確かあの時トラックが突っ込んできて・・・目の前が真っ暗になって・・・
何かが見えた気がして・・・』
『私は生きてたの?・・・でもここはどこ?病院でもないし・・・』
『それにさっきの老人は明らかに日本人ではないけど日本語を話してた・・・いや、待って???
私が日本語を話してない・・・知らない国の言葉を話してる・・・』
はっとなった瞬間に部屋の本棚が目に入った。
そこにある本の題名は日本語ではない文字で書かれているが、山田直はそれを読むことができる。
どうやら山田直自身のネイティブ言語として身についている言葉らしい。
『ど・・・どうゆうこと・・・?』
さらに混乱して固まっていると、先ほどの老人が戻ってきた。
もう一人、お婆さんも一緒に入ってきた。
「はい、紅茶のおかわりよ」
そう言ってお婆さんが笑顔でティーポットで紅茶をついでくれる。
「親切にしていただいて、ありがとうございます。
でも私には今の状況が何が何だか・・・」
山田直は混乱しつつもお礼を述べる。
老夫婦は少し驚いた表情で一度顔を見合わせたが、すぐに笑顔に戻る。
「混乱しているのも無理はない。昨日、皇都へ道の途中の林の中で行き倒れておったんでな。
わしが家まで運んできて休ませたんじゃよ」
「皇都?林?・・・」
「すみません。記憶が混乱してて全くよくわからないです・・・。ここはどこなんですか・・・?」
「そうか、それは大変じゃのう。
わしはニコル。隣の婆さんは妻のレリア。
ここはオルネア帝国の皇都から西に少し離れたところにあるコパ村じゃよ。
ほとんどが小麦の農業で生計を建てておるのどかな村じゃよ。」
「ああ、この場合は日付も教えとくべきじゃな。
今日はオルネア帝国歴363年9月4日じゃよ」
老人は不安がる山田直に安心しなさい、とばかりの優しい笑顔で教えてくれる。
『オルネア帝国・・・コパ村・・・そんなの聞いたことない・・・』
『いや・・・現代には存在しない・・・・これはやはり異世界に来ちゃった系だよね・・・』
山田直は次第に冷静になっていった。
ビジネスウーマンとして34歳にもなれば様々な理不尽なことも経験あるものだ。
すんなりと現実を受け止め始める。
「おじいさん、おばあさん。
本当にいろいろありがとうございます。」
落ち着いた山田直は顔を上げて二人に話し始めた。
「私は山田直といいます。34歳です。
こことは全く違う国の出身です。原因はわかりませんがこの国に迷い混んでしまったようです。」
山田直の話に二人は面白い冗談だとばかりに声をあげて笑った。
「ハハハハ。すまんすまん。この状況でなかなか面白い冗談を言える子じゃな」
「??どういう意味ですか??冗談を言ったつもりはないですが・・・」
きょとんとしている山田直にニコルは続けた。
「ほらなに、34歳と言ったじゃろう?おまえさんはどう見ても17、18歳くらいじゃろうが。
ほれ、鏡見てみんさい」
ニコルから近くにあった手鏡を渡される。
「ふえエエエエーーーーーーー!!!?」
手鏡にはプラチナブロンドの美少女の姿が映し出されている。
こころなしか驚いた時の声も若返っている。
異世界に来てもすぐ冷静になれたのに、山田直は自分を見てパニックになり、そして気を失った・・・☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
その日の夜、ニコル老人の家のテーブルで三人は夕食を囲んでいた。
野菜とジャガイモだけの温かいスープに小麦のバゲット。素朴で質素だ。
「直さん、どうじゃな?だいぶ落ち着いたかの?」
素朴ながらおいしいスープに目をキラキラさせて食べていた山田直に、ニコル老人が話しかける。
山田直は食べる手を休めて答える。
「はい、ニコルさん。
朝はだいぶ記憶が混乱してました。亡くなった母が34歳だったんです。」
山田直は目を覚ました後に一人考えにふけり、頭を整理させていた。
助けてくれた2人に心配かけないように嘘も用意していた。
トラックに轢かれて多分死んでしまったこと、異世界に迷い込んだこと、自分が全く違う姿をしていたこと。
死んでしまったことは仕方ない。
そして現実世界に満足していたわけでもなく、全く違う世界に生きていたらと妄想したこともなくはない。
山田直はだいぶ悩んだが、人生をまたやり直せることに少しだけ喜びも感じていた。
白金の長く輝く髪、宝石のような碧眼、人形の様に可愛く整った顔立ち、若々しくてぜい肉など一切なく、スレンダーで均整の取れた身体。
見た目は以前の現実世界と比べ、遥かに高スペック。
とりあえず、裸になって自分の体を舐めるように見てうっとりしていたのは言うまでもない☆
その時に左目の涙袋のほくろは男を悩殺する武器ということ、右肩の後ろに鳥の形に見える小さなアザがあることに気づいた。
「私は18歳でした。
どうしてこの国にいるのかは思い出せませんが、たぶん故国に帰ることはできません。
この国で生きていくしかないと思ってます。」
山田直は決意に満ちた表情で二人を見た。
すると、レリアが微笑みかける。
「いろいろと大変だったねえ。
でもこの国にいるのだったら好きなだけうちにいたらええよ。なあじいさん?」
「ああ、もちろんじゃよ。
わしたちも皇都の鍛冶屋に嫁に行った娘が帰ってきた気がして嬉しいしのう。」
二人の優しい言葉に山田直は少し涙ぐんだ。
「ニコルさん、レリアさん。
見ず知らずの私にこんなに優しくしてくれて本当にありがとう。
しばらくお世話にならせてください」
山田直は立ち上がって二人の手を取る。
「気軽に直と呼んでください。
そして私もおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばせてください」
二人は愛情に満ちた笑顔でほほ笑み、頷いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
山田直は食事をしながらしばらく国の事などいろいろな話を教えてもらった。
グラン・シエクルという名の世界、オルネア帝国。人々の生活。そして近隣の国。
帝国の周りにもいくつもの国があり、この10数年はあまり大きな戦争にはなっていない。
「そういえば直は苗字を名乗っておったな。
山田じゃったか。この国では苗字を名乗れるのは貴族だけじゃ。
直は故国では貴族じゃったんか?」
「うーん、貴族ではなかったです。
私の国では誰もが苗字を持っていて、みんなが自由でした。」
その言葉にニコルとレリアの顔が曇る。
「それは素晴らしい国じゃのう。
しかし、この国は帝国じゃ。臣民もなにもすべては帝王のもの。逆らえば容赦はされぬ。もともと厳しかったが、さらに最近は圧政が厳しくてのう。」
困った顔をしたニコルがさらに続ける。
「この村でも帝王や貴族への民衆の不満は高まるばかり。苗字を名乗ると直も貴族と思われるやもしれんで言わんほうがいいかもしれん」
「おじいちゃん。心配ありがとう。
そうですね、それでは私は二人の孫ということにさせていただけないでしょうか。
他の人に私のことをいうときはコパ村のニコルおじいちゃんの孫のナオ、最近遠い村から帰ってきた。ですかね♪」
自分の居場所ができたのがうれしかったのか、ナオは二人にとびきりの笑顔を見せた。
それを見た二人も安堵した表情になる。
「それがええね。しかし、いきなり大きな孫ができたのう」
ニコルが冗談をいう。すかさず、レリアが続く。
「いいえ、じいさん。前からいましたよ。ボケがまわってきましたねえ?」
三人は顔を見合わせた後、おかしくて吹き出してしまう。
その日の夜は遅くまで家中に笑い声が響いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ナオが孫ということになってから1月が過ぎた。
ニコルの畑仕事を手伝い、レリアと一緒に食事の支度をする。夜は3人で団欒する。
自給自足の生活、地に足がついた生活を送っていた。
水は貴重だからそうそう湯浴みすることはできないし、食べ物はといえばジャガイモ主体の野菜ばかり。肉はといえば干し肉くらいで、とても質素な生活だ。
そんな生活だが、以前の都会での隣人の名前も知らない殺伐とした生活を考えると比べ物にならないほどナオは充足感を得ていた。
『この穏やかで、心温まる生活は私にとってのオアシスだなあ・・・』
『ああそうか、こういった穏やかな気持ちで部下の子たちに接していたらもっと違ったのかな・・・』
すっかり忘れていた空の青さ、太陽の光に陰影を作る真っ白い雲、頬を撫でる心地よい風。
収穫を迎える小麦畑は穂が楽しく踊るように揺れている。
美しい世界とゆったりとした時間の流れ。
荒み切ってしまっていた心が潤って行き、ナオは忘れかけていた人としての大切な何かを思い出していた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ある日、ナオはニコルと収穫した小麦を王都に売りに行くことになった。
荷馬車にたくさんの小麦を積み、皇都まで半日の道を行く。
前回のこの道程で休憩したニコルにナオは拾われたのだ。
皇都についた二人はニコルの馴染みの商人のもとに向かい、小麦を売る交渉をする。
「ニコルじいさん。本当に無理なんだ。これ以上は出せない。」
商人は懇願してくるニコルに困惑していた。
「知ってるだろ?皇帝陛下の圧政を。
皇都の商人の税金はめちゃくちゃ高くなってしまって、みんな必死にやりくりしているんだ。
実際に税金を払えなくて牢獄につながれてるやつが大勢いるんだ。俺も明日は我が身かといつも冷や冷やしてるんだ」
「しかし、これでは去年の半分の値段にもならんではないか・・・わしもこれでは税金を払えんよ・・・」
商人の裾を引っ張ってニコルが食い下がる。
「これでも昔からのよしみでの値段なんだ!この金額で嫌なら他を当たってくれ!
ただ、うちより多く出すところなんてないだろうがな!」
商人の怒声に負けて、ニコルは不服だが小麦を売ることになった。
ナオも手伝って荷台の小麦を下す。
あれだけ荷台いっぱいにあった小麦の値段はオルネア銀貨12枚分にしかならなかった。
「ナオ、すまんのう。せっかくだったから服の1着でも買ってやりたかったんじゃが、どうにもその余裕は全くないみたいじゃ・・・」
帰りの馬車の上でうなだれたニコルはナオに謝る。
「おじいちゃん、気にしないで?
それよりもごめんなさい。私の分もいろいろ負担になってしまうから・・・」
ナオも事情を気にして、シュンと小さくなる。と、その時である。
軍服に身を包んだ騎兵2人がナオたちの道を塞ぐ。
「これから、皇帝陛下がお通りになられる。馬車から降りて平伏せよ」
「ナオ!まずい。早く馬車から降りなさい」
慌ててニコルはナオに指示し、馬車をできるだけ道の端にずらしニコル自らも馬車を降りて地に伏せる。
ナオはあっけにとられたが、すぐさま地面に膝をつく。
しかし、顔は下げなかった。
目の前を皇帝陛下ご一行の馬車やら騎馬が通り過ぎていく。
1番煌びやかな馬車が2人の前を通りすぎたと思った瞬間、その馬車が止まった。
その馬車のキャリッジのドアが開き、中から男性が出てきた。
非常に仕立ての良い豪華な正装で、ところどころに宝飾がちりばめられ、そして左胸にオルネア皇家の紋章が施されている。
「娘!そこに立て!」
出てきたその人はナオに向かって声を放つ。
ナオは驚いたが、言うことを聞かないと大変なことになりそうだと本能的に察知してすぐに立ち上がる。
そのナオのもとに先ほどの男性が近寄ってくる。その両脇をすぐに衛兵が囲む。
「ほほう。見目麗しい娘だな。結婚はしているのか?」
男性は赤色の自分のあごひげを触りつつ、ナオを見定めるようにいう。
「いいえ。結婚はしておりません。」
ナオはおそるおそる答える。この男性が皇帝であることはすぐに感じたが、目は背けなかった。
「見目もいいが、なるほど意思の力もあるか。」
そして、皇帝はその場の誰もが驚愕する衝撃的な言葉をその場に残した。
「お前を我が愛妾にする。数日のうちに皇城に入れ!」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
コパ村に戻ったナオとニコルはすぐに家でレリアに事の顛末を話した。
村には護衛のためなのか、監視のためなのか、2人の騎士が付き添ってきていた。
「女好きの皇帝陛下のことじゃ。こういった話はよく耳に入る。
じゃが、断ったという話は聞いたことがないわい。
皇帝に飽きられて村に帰ってきた娘の話はよく・・・」
「やっぱりそうなのね!あんなに簡単に愛妾を決めるだなんて、使い捨てにしか思ってない!」
ナオは憤りを感じて鼻息が荒くなる。
「この話を断ることはできるのかねえ?」
レリアはナオの美貌だと仕方ないとばかりに、少し冷静だった。
「突然、失礼いたします。」
外にいた騎士の一人が家に入ってきた。
「失礼かとは存じましたが、多分かなり混乱されているかと思いまして。
私はオルネア帝国近衛騎士団のラヴェル・リヒッターと申します。」
20歳前半であろう栗色の髪の騎士、鍛えられた細身の身体に若々しい魅力を携えている。
「僭越ではあるのですが、皇帝陛下のご無礼をお許しください。
おっしゃる通り、このようなことはたまにあることです。
陛下のお心次第ですので、私共はお諫めすることはかないません。」
当然ラヴェルも貴族である。
しかし平民の3人に対してラヴェルはとても礼儀正しく振る舞った。
「しかし、悪いことばかりではありません。
愛妾を出した家にはオルネア金貨20枚をお礼として差し上げております。
そしてその村は愛妾特権で1年間の税金が全て免除されます。
帝国の住民の皆さまの暮らしは大変になっていっていると聞いております。
心よく受け入れてくだされば皆さまにも幸せなことなんです。」
なるほど、わかりやすいやり方である。
村と家族を懐柔し、娘を孤立させてNOと言わせない。
しかしラヴェルはわかっていないのか、よほどのお人よしなのか、作為や裏もない真剣な表情で3人を説得しようとしていた。
ナオは少し呆気にとられたが1度溜息をついた後、含み笑いをしてから口を開いた。
「騎士ラヴェル様。ありがとうございます。
正直私は帝国に不信感をもっておりました。
しかし、あなたの様に誠実な騎士様もいらっしゃるのですね。少し、帝国に好意を持てました。」
「それにどうしたってお断りすることは叶わないのでしょう?
それでしたら、私はおじいちゃんとおばあちゃんへの恩返しのためにも喜んで愛妾になります。」
ラヴェルのおかげで憤りは落ち着いている。
そしてナオの頭の片隅には今日の小麦売買のことも思い浮かんでいて、とても断ることなどできもしなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ナオは騎士に連れられて皇城内の後宮に入った。
与えられた部屋はもとの世界のホテルのスイートルームばりに豪華だ。
そして半透明のベールが垂れ下がる煌びやかな天蓋のついたダブルサイズの大きなベッドがある。
荷物を整理して一息ついたナオは、ニコルとレリアの言葉を思い出す。
「短い間になってしまったが、ナオと一緒にいられて本当に楽しかった。
わしたちはもう本当の家族じゃよ。嫌になったらいつでも帰ってきなさい」
「これはナオが好きなジャガイモのスープのレシピだよ。心細くなったら作ってごらん。
私たちとの楽しい思い出でいっぱいになれるよ。」
「おじいちゃん、おばあちゃん。ありがとう。がんばるよ・・・」
様々な不安を抱えていても気丈に振る舞うつもりでは来ていたが、2人の優しさを思い出してしまうとすぐ目頭が熱くなる。
こらえようとすればするほど涙があふれてしまう。
コンコン。ドアをノックする音が聞こえる。
「あっ、はい。どうぞ」
ナオは少し慌てたがドアに向かって声をかけた。
すると、2人の侍女が入ってくる。
「本日よりお側役を命じられました、侍女のロレンツェと申します。
こちらはクリスティーヌ。どうぞお見知りおきを」
ロレンツェは30代後半であろうか。ブルネットの髪色がよく似合う落ち着いた風貌で、女性らしからぬ鋭さを纏っている。
身長は170cm後半だろうか、とても背が大きく体格もとてもしっかりしている。
反対にクリスティーヌの方はまだ10代後半であろう。
明るめな茶色の髪でそわそわと落ち着きがなく、160cmくらいの身長で細身で華奢だ。ただ、メイド服に強調されてか胸は異常に大きい。
恭しく挨拶をしたロレンツェが顔を上げてナオを見ると、いまだに涙ぐんでいたナオが視界に入る。
すぐに気持ちを察してか、ロレンツェはナオに近づいてチーフを渡そうとする。
「ナオ様、大丈夫ですか?」
「ありがとう。ロレンツェと言いましたね。これからよろしくお願いします。
早速1つお願いがあります。」
チーフで目を抑えたままでナオは言った。
「気持ちが落ち着くまで胸を貸してください」
基本は常に引き締まった表情のロレンツェだがナオの言葉で少し赤面する。
侍女が主人を抱きしめることなどまずない。
そして通常のパターンは町娘が愛妾の位と特権を与えられ、勘違い甚だしく傲慢になってしまう。
しかしナオは立場など気にせず、さらに自分をさらけ出すようなことを簡単に言ってしまう。
初対面だがその人柄にロレンツェはとても好感を持つ。
そして、大体の事情は想像できる。
家族の事、これからの事やプレッシャーで押しつぶされそうになっている少女を守ってやりたいとも思った。
ロレンツェはふわっと優しくナオを抱きしめる。そして頭を優しく撫でた。
「ぐすっ。ありがとう、ロレンツェ・・・」
ロレンツェのメイド服は本人の汗を吸うより先に、主人の涙でぐっちょりと濡れる事となった。
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